<全国高校野球選手権:鶴岡東9−5習志野>◇14日◇2回戦

9回2死、打席には習志野・根本翔吾外野手(3年)。

「今までやってきたことを思い出していたら、ふとブラスバンドの声援が聞こえなくなりました」。

「美爆音」さえも打ち消す集中力で臨んだ打席だったが、初球を思い切り振り抜き二飛でゲームセット。

センバツではラッキーボーイ的存在で、準優勝の原動力となった根本だったが、この日は3打数0安打。

「ここ一番で打てなかった。チームに迷惑をかけてしまった。後悔しかありません」。真っ赤な目で話した。

根本は、今大会特別な思いで臨んでいた。

それは、千葉大会開幕を2日後に控えた7月8日のことだった。県大会の背番号発表の日。「いよいよ最後の夏が始まる」そんな思いでグラウンド向かうと、普段は訪れない母がいた。「8番をもらったよ!」笑顔で話すと、母から意外な言葉が返ってきた。祖父・武雄さん(享年78)の死。胃がんだった。

「大好きなおじいちゃんだったので…自然と涙が出てきて。僕にとって忘れられない日になりました」。

ちょうど1週間前の練習休みには、実家に帰り見舞ったばかり。

「まさか大会2日前に亡くなるなんて…」。止めどなく涙があふれた。

幼い頃、同じ敷地に住み、農家を営む祖父がいつも遊び相手になってくれた。稲作作業をする祖父の傍らで、田んぼを駆け回り、田植えの手伝い。野球を始めると、キャッチボールの相手も祖父だった。この春、センバツでの活躍も、祖父は病床からうれしそうに観戦していたという。

「翔吾はおじいちゃん子でしたからね。死を知って、相当ショックを受けたようでしばらく泣いていました。でも、1時間ほどして『練習してくる』と。気持ちを切り替えたみたいです」と、母恭子さん(44)は振り返る。

「おじいちゃんに活躍する姿を見せる」と心に誓い県大会に向かった。決勝の八千代松陰戦では本塁打を放ち、大会後、そのホームランボールを祖父の墓前にささげた。

「いつでもおじいちゃんを見られるように」と、亡くなる1週間前に2人で撮影した写真を、携帯の待ち受け画面に設定。試合前「悔いなく戦うよ」と誓い臨んだ甲子園での2回戦だったが、願いはかなわなかった。しかし、初球から積極的に振り、どんな場面でも全力疾走。最後まであきらめない姿は、天国の祖父に届いたはず。

「最後は意地を見せたかった…」。結果は出なかったが、おじいちゃんと始めた野球は、甲子園で実を結んだ。根本は、最後に少しだけほほ笑み甲子園を後にした。【保坂淑子】