時代に適したアスリートのSNS活用法とは−。
ラグビーで2011年W杯ニュージーランド大会の日本代表主将を務めた菊谷崇さん(45)が、このほど“SNS改革”を始めた。
2018年の現役引退後は競技の普及活動やコーチングのみならず、日本ブラインドラグビー協会理事、世界遺産下鴨神社ラグビー第一蹴の地顕彰会理事などを担ってきた。
近年、課題と感じてきたのがSNSでの情報発信。その道の“3人のプロ”と手を組み、踏み出した第1歩を追った。【取材・構成=松本航】
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プロジェクトの始まりは、強烈な一言だった。
「菊谷さんのSNSは、日記ですね」
ラグビー元日本代表主将。その肩書など関係なく、SNSが主戦場のプロは率直な感想を伝えてくれた。自覚があった菊谷さんは、2024年12月の初顔合わせを苦笑いで振り返った。
菊谷さん「芸能人の方は日記でもいい。ただ、私の場合は思いをきちんと伝えないと世間には届かない。そういった話でした。確かにそこまでの発信は、何も考えていませんでした。『この案件、なぜ、引き受けたんですか?』『このビジョンは何ですか?』。ミーティングで問われることは、自分の思いを言語化する取り組みにもなりました」
生まれは1980年。日本や米国がボイコットしたモスクワ五輪が開かれた年だ。ラグビーと出合ったのは1995年、奈良・御所工高(現御所実)だった。
1998年に大阪体育大に入学し、2002年にトヨタ自動車(現トヨタヴェルブリッツ)へと進んだ。
菊谷さん「高校はポケベル、大学はPHSでした」
2005年に7人制、2008年に15人制日本代表の初キャップをつかんだ。主将として2011年W杯を戦う頃にはスマートフォンが普及。Facebook、インスタグラムなどSNSも身近な存在となったが、用途は限定的だった。
菊谷さん「現役の時は『ファンと交流しよう』という思いも特になく、プライベートでチーム内、代表メンバー内の交流を目的に使っていました。引退後も何かを意識したかと考えても、特にない。『日記ですね』と言われた通り、あったことを報告していただけでした」
一方、2018年の現役引退後は活動の幅を大きく広げていった。ビジネス面はもちろん、理事の肩書を背負って、社会へ貢献していく役回りも増えた。
菊谷さん「そこには自分の持っている知的財産を共有するだけでなく、世の中へ伝える役割があります。何か活動をした時に、自分のところで終わってしまっている。SNSをどう整理して、発信していくのがいいのか。すごく悩みがありました」
“SNS改革”への第1歩も、ラグビーが紡いだ縁だった。母校である御所実高の合宿に参加した際、福岡の強豪として知られる筑紫高の教員と知り合った。
とりとめもなく情報発信への思いを話したことが“1人目のプロ”とめぐり合う、きっかけになった。かつて筑紫高に教員として務め、現在は株式会社コアコネクトを立ち上げてSNSを活用したビジネス設計、プロデュースをしている立野龍太朗さんを紹介された。
立野さん「菊谷さんのお話を伺っていると『引退後も輝ける場所を作る』という、アスリートのセカンドキャリアへの考え方に共鳴しました。私自身も元々は保健体育の教員で、幼い頃から剣道に携わってきました。アスリートとは初めてのお仕事ですし、すぐに『私も関わりたい』という思いになりました」
発信のコンセプトを定めるため、インスタグラムによる起業支援をしているBond合同会社の野々市谷周さんが、立野さんのつながりで加わった。「菊谷さんのSNSは日記ですね」と伝えた張本人が野々市谷さん。“2人目のプロ”もアスリートとの仕事は初めてだったが「発信コンセプトは難しくなかった」といい、大枠を組み立てていった。
野々市谷さん「思いがある人が一番強いです。菊谷さんは社会、人に対しての思いがあります。一方でSNSを使い、社会とどう接点を持つか。SNSは名刺代わりですし、使い方によっては、考えを形として波及させやすいと言えます」
立野さんの人脈でプロジェクトに加わったのが“3人目のプロ”であるDコレクトの松井謙太さん。ショート動画による企業ブランディングを支援している。
松井さん「『菊谷さんと一緒にラグビーを盛り上げたい』と考えました。元々の菊谷さんのアカウントは、ラグビーをやっていない人からすると、正直怖い。ショート動画で程よく親近感を演出し、視聴者との共感も生みつつ、活動内容をテンポ感のある編集で構成することで、これまでリーチできなかった層にも認知を広げる起点になります。私自身も見た人からどのような声が届くのか未知なので、まずは『探り』と『崩す』の2つの軸を持って撮影しました。ラフにしたいけれど、例えば菊谷さんが踊ったり、エンタメに寄せすぎるのも違うと考えています」
その一例として、3月5日にインスタグラムへアップした動画が挙げられる。そこでは宮崎・高鍋町を訪問する1泊2日の様子を53秒に収めた。松井さんが同行し、カメラを回しながら質問を投げかけていった。
菊谷さん「これまでのように1人で高鍋に行っていても、写真をまず撮らない。撮ったとしても、基本は風景でした。こういった動画で活動を知ってもらったり、松井さんと話をしながら、思いを映像として出す。解説で訪れたリーグワンの会場や、親戚のおばさん、子どもたち…。伝え方を変えてから、SNSをきっかけに、声をかけられる機会が一気に増えました」
ショート動画はインスタグラムと、認知を拡散させるTikTokで活用する。“3人のプロ”の知見を取り入れ、動き始めた菊谷さんは力を込めた。
菊谷さん「現役時代は『レギュラーになりたい』『優勝したい』『日本代表になりたい』…と目標設定は比較的簡単です。でも、その後の自分の人生となると難しい。SNSの価値を考えるアスリートがいた時に『これじゃ、できない』となったら意味がありません。持続可能なものにしないといけない。専門家の皆さんが思いを持って集まってきてくださったことで、私の意識も変わりました。SNSを起点として、活動を広げた先に、今度は新しいビジネスも見えてきています」
現代社会とSNSは、切っても切り離せないものとなった。トップアスリートとしてのキャリアを積んだ菊谷さんと“3人のプロ”の人脈が交わり、近い将来には大学と連携してSNSブランディングを取り上げた教育プランも生まれたという。
「菊谷さんのSNSは、日記ですね」
その一言から始まった新たな挑戦は、まだ見ぬ景色を追いながら続く。
◆菊谷崇(きくたに・たかし)1980年(昭55)2月24日、奈良県生まれ。奈良・御所工高、大体大を経てトヨタ自動車。14年にキヤノン(現横浜キヤノンイーグルス)移籍。7人制と15人制で日本代表を経験し、15人制は通算68キャップ。11年W杯ニュージーランド大会で主将を務めた。ポジションは主にフランカー、NO8。18年に現役引退。日体大大学院でコーチングを専攻し、修士課程修了。187センチ。


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