■2000年、大東京火災海上保険の統合推進室担当部長に。千代田火災海上保険との統合作業に明け暮れる。

労働組合と賃下げの協議をしたことで、生き残るには「他社との合併は避けられない」という認識が社内で広がりました。ほどなく千代田との合併が決まり、あいおい損害保険の設立に関わることになりました。

「野武士」の大東京とトヨタ自動車系の千代田では社風が全く異なりました。使う言葉から違い、お互い外国人と話しているようでした。現場と本社の書類のやりとりを大東京は「送付」と言い、千代田は「還元」です。まずは互いに理解できるように言葉の読み替え表を作りました。

事務などのルールの一本化も難題でした。ルールの変更は外部の代理店の業務などにも影響し、苦情も来ます。両社出身者が納得するまで議論するように努めました。「会社の方針だから」と言って議論を避ける人に「ふざけるな」と怒ったこともありました。

人事はどちらの出身かを気にせずに混ぜることになりました。混乱は大きかったのですが、同時に進んでいた他社の統合に比べて融合は早かったと思います。収益環境が厳しく、危機意識も強かったのです。

■01年4月の合併時に社長室の特命部長に就いた。9月の米同時テロに絡む巨額損失にかかわった。

合併に向けた作業中から千代田が米保険代理店「フォートレス・リー」と結んでいた航空機関連の再保険を引き受けた契約が気になっていました。送られてきた明細は手書きで、疑問に感じました。担当者の説明を聞いても、どういうリスクを引き受けているのかが明確ではありません。

どうにかしようと考えていた時に同時テロが起きました。JR恵比寿駅(東京・渋谷)近くの居酒屋で飲んでいると、社員が電話で「飛行機が突っ込みました」と言うのです。再保険契約に影響する事態で「まずいな」と思いました。

明細に書かれた会社に電話をかけ、多数の契約をさかのぼって当社の損失額をはじく作業を1件1件進めました。3カ月間、ほぼ同僚と2人だけのたいへんな業務でした。

損失が2千億〜3千億円に達するという噂が流れ、株価も日に日に下がりました。判明した損失は1千億円規模。役員の一人が「なんで合併したんだ」とこぼすのを横目に「早く決議してほしい」と正確な情報公開をせかしました。

合併したことで巨額の損失も吸収できました。合併によって強い組織ができたのだということを実感した出来事でもありました。

■あのころ…

1990年代後半の保険料自由化は、中堅以下の損保会社の収益を圧迫した。バブル崩壊による経済低迷も金融業界の再編を促し、損保は2010年の3メガ損保グループの成立へと突き進んだ。01年の米同時テロも、関連する保険契約のあった損保に大打撃をもたらした。

[日本経済新聞朝刊 2020年3月10日付]