日本マイクロソフトの元業務執行役員で「プレゼンテーションの神様」とも呼ばれた澤円(さわ・まどか)さん。しかし、高校・大学受験はいずれも失敗。若手エンジニア時代も「ポンコツだった」と振り返る。自己肯定感ゼロだった澤さんは、どのようにしてIT(情報技術)界で屈指のプレゼンターになったのか。磨き上げたプレゼンの極意とは。

「実は今をときめく渋谷教育学園幕張高校(渋幕)の出身なのです」と澤さんは笑う。渋幕と言えば、全国有数の進学校だが、「当時はまだ千葉の新興高校で、偏差値は50台。第1志望の県立高校に落ち、渋幕は第3志望だった」と振り返る。3期生として入学し、偶然にも4期生には後に日本マイクロソフト社長を務めた平野拓也氏がいる。「彼とは仲がいい。いま思えば渋幕に行けたのはすごくラッキー」という。

■2人の兄は優秀、劣等感でいっぱい

だが、当時の澤さんは劣等感でいっぱいだった。「学業はパッとせず、運動もさっぱり。いつも家族から駄目な奴という目で見られていた」。澤さんには年の離れた2人の兄がいる。長兄は現在、国立大の理系の教授を務める秀才。次兄はIQ(知能指数)180以上の天才児と呼ばれた。個性的な兄にいじられ、常にイライラしていた。高校時代はバンド活動にはまり、まともに受験勉強もせず、浪人生活を送った。立教大学経済学部に進学後もバイト三昧で、明確な人生の目標はなかった。

就職活動ではいったん、生命保険会社の内定をもらったが、「手に職があった方がいいかな」と思い、1993年に金融機関系の情報システム会社に入社した。当時は「COBOL(コボル)」という汎用性の高いプログラミング言語の活用が広がり、文系でもシステムエンジニア(SE)になる新卒社員が増えていた。しかし、「底辺のエンジニアだった。もともと技術者には向いていなかった」と語る。

澤さんは「ハーマンモデル」と呼ばれる大脳生理学に基づく自己分析診断テストの結果を見せてくれた。脳を左脳の「論理・理性脳」「堅実・計画脳」、右脳の「冒険・創造脳」「感覚・友好脳」の4つの部位に分け、点数化されている。澤さんの場合、感覚・友好脳は非常に高いが、論理・理性脳が極端に低い。「一般的に有能なエンジニアは、論理・理性脳の数値が高い」と説明する。