サクラクレパスは子供向けの図画用具として始まった

幼いころ、図画の時間に親しんだ文具として多くの人が思い浮かべるものの一つに、「クレパス」「クーピーペンシル」があるだろう。どちらも2021年に創業100周年を迎えたサクラクレパス(大阪市)が開発した商品だ。同社の原点であるクレパスは1925年、オリジナル画材として発売された。海外からの持ち込みではなく、日本から生まれた商品だ。大阪の一企業が世に送り出した「クレパス」が今や地域や年代を問わず、その名を知られる存在に育ったのはなぜなのか。100年の軌跡をたどった。

一般的な呼び名として定着している感があるが、クレパスは同社が商標を登録している独自の商品だ。他社製品は「クレパス」と名乗れない。

紙に巻かれた棒状の見た目がクレヨンとよく似ているせいで、「クレヨン=クレパス」と誤解されがちだが、実は全くの別物。幼いころにお絵かきでクレヨンを使ったという記憶を持っている人も、実際にはクレパスだった可能性がある。

クレパス開発の歴史は、大正時代にさかのぼる。着想のきっかけは初期の学校教育現場にあった。サクラクレパス広報の大塚さゆり氏は次のように語る。

「当時の学校で図画の時間に画材として使われていたのは、色鉛筆と水彩絵の具が主流でした。ただ、品質が低かった。色鉛筆は折れやすい上に、水彩絵の具は紙に塗ったときの色付きもよくありませんでした。色彩を表現するのに適した画材ではなかったのです」(大塚氏)

そもそも、当時の図画教育の方針は現代とはかなり異なっていたという。図案を書いたり、物の形を正確に模写したりといった、創造的というよりは実利的な作業が求められた。「臨画」と呼ばれるこの教育スタイルは手本通りに書き写すスキルを求め、本人の自発的な表現を引き出す意味合いは薄かったとされる。

現代で図画の時間といえば、子供たちが思い思いの色を使って独自の表現を楽しんでいる光景が目に浮かぶ。しかし、そのころは多彩な色を、自在に操れる画材の出番はまだ到来していなかった。

しかし、そうした教育現場にやがて新しい風が吹き始める。旗振り役となったのが、画家・版画家の山本鼎(かなえ)だ。美術運動家でもあった山本は、手本を模写することが重視されていた図画教育に異を唱えた。

子供たちにとって大切なのは、写し取る技術ではなく、自分の目で見て感じたとったものを、ありのままに描くことだと説く「児童自由画教育運動」を起こした。