2021年に開かれた東京五輪で、格上のチームを次々と撃破し銀メダル獲得という史上初の快挙を成し遂げたバスケットボール女子日本代表。そのチームをアシスタントコーチとして支え、同年9月にトム・ホーバス氏(現男子代表ヘッドコーチ)から指揮官の座を引き継いだのが恩塚亨氏(43)だ。選手として特筆すべき実績はなく、もともと中高一貫の進学校で保健体育の教師をしていた同氏。そこから無名の大学チームをインカレ5連覇の強豪チームに育て上げ、ついには日本代表を率いるまでになった。異色のキャリアを振り返ると、節目節目での人との出会いを、自らの成長の種としてきた軌跡が見えてくる。

■大学で出会ったロジカルで熱いコーチ

大分県中津市で育った恩塚亨氏が、バスケットボールに出合ったのは中学の時。通っていた中学のバスケ部は市内にある4チーム中、万年3位という弱小チームだったが、シュートを決めた時の爽快感と、シュートに至るまでのプロセスに無限の選択肢があるというダイナミズムに心をわしづかみにされた。

大分県立中津南高校でもバスケに熱中。「高校3年になるまで、筑波大がどこにあるのか、どういうレベルなのかも知らなかった」が、隣町出身で高校バスケの強豪、福岡大学付属大濠高校で活躍していた1つ上の先輩の進学先が筑波大だと知り、猛勉強。模試のE判定を覆し体育専門学群に合格した。

当時から指導者を目指す気持ちはあったが、その決意を固いものにしたのは、大学の男子バスケ部に外部コーチとしてやってきた日高哲朗氏との出会いだった。部のOBで米国流のコーチングや戦術論に精通する日高氏は、卓越した指導者として知られていた。

「中高ではコーチに対して、練習法にせよ戦術にせよ、ずっともう少し手取り足取り教えてほしいと思っていました。日高先生はまさに僕が求めていたロジカルな説明をしっかりしてくれて、どうプレーすれば成長できるかというマインドの部分も含めて、とても熱い気持ちで教えてくださったんです。ロジックと情熱の両方を兼ね備えた指導は本当に感動的で、こんなコーチに僕もなりたいと憧れました」

故郷の大分に戻り、日高氏のような指導者を目指そうと教員採用試験を受けた。ところが受け取ったのはまさかの不合格通知。困っていた時、大学のバスケ部長から人を介して学校法人渋谷教育学園の田村哲夫理事長を紹介され、進学校、渋谷教育学園幕張中・高(渋幕中・高)の保健体育教師に採用された。

バスケットボール女子日本代表ヘッドコーチ 恩塚亨氏 @FIBAWWC