■八百屋お七〜比翼塚の由来
八っつぁん「駒込まで仕事に行った帰り、吉祥寺で比翼塚ってのを見てきました。あの八百屋お七って、本当にあった話なんですってね」
ご隠居「おやおや。もう50年も昔になるかな、あたしの若いころ。江戸中が、いや、日本中が大騒ぎだったもんだ。というのもね……」
このあたりからご隠居さんの回想になります。
火事で店を焼かれた八百屋の娘お七は、家が新築できるまで家族や奉公人たちとともに駒込の吉祥寺に身を寄せていた。仮住まいのどさくさに、かねてお七に思いを寄せる番頭が寺の片隅で手荒な真似(まね)をしようとした時に、お七を助けてくれたのが小姓の吉三郎。同い年の17歳ということもあり二人はすぐに恋仲になる。
しばらくして家が完成して、お七は本郷に帰った。それでも二人は、人目を忍んでこっそりと互いに行き来する日が続いていた。
この関係に気づいた番頭が八百屋の主人に言いつけたため、ついに二人は会えなくなってしまう。お七の身の回りの世話をするおきよが手紙を届けるなどする中で、「また火事になればお寺でいっしょにいられる」というやりとりを番頭が耳にした。
そしてある夜、八百屋の中庭にある物置小屋から火の手が上がった。まっさきに火に気づいたお七の頭に、吉三郎のことよりも火事で焼け出された人々の悲嘆にくれた顔がよぎった。思わずはだしでとびだす。
「火事です! 火事です! 起きて! 火事です!」
叫びながら通りをへだてた火の見やぐらにかけのぼると、半鐘を打ち鳴らした。ジャンジャーン! ジャンジャーン! ジャンジャーン!
火事はぼやで収まった。お七が店に帰ると、駆け付けた火消し連中や町内のやじ馬がごった返す中、お役人の調べを受ける店の番頭と主人の姿があった。
「暗かったのですが月明かりに坊主頭(ぼうずあたま)が光ってました。やせて背の高いその男が木戸から逃げていくのをこの目で見ました。それに、男が逃げるときにあれを落としました」。番頭の話を聞いた役人が拾って調べると、手ぬぐい。吉祥寺と染め抜いてある。主人もそれを見て「むむ。それでは番頭の言う通り、やはり吉三郎とやらのしわざか」。「旦那さま、間違いございません。この家がまた火事になればまた寺でふたり一緒に暮らせるなどと手紙のやりとりをしていたようですし」
役人が鋭く部下たちに吉三郎捜索の命令をとばすのを見て、お七は気が付いた。このぼや騒ぎは吉三郎に罪を着せるため番頭がしかけた計略なのだ。火つけは天下の大罪。被害の大小にかかわらず死罪になる。このままでは吉三郎の命はない。
「私です! 私が火をつけました!」
ご隠居さんの語り口に引き込まれる八っつぁん。息をのんで続きを待ちます。
江戸中は沸き返った。死罪を承知で火つけをした。犯人は美少女で、恋しい人に会いたい一心からとは、なんとはかなくも愚かな純愛話であろうか。とはいえ、若気の至りという言葉もある。ぼやで済んだことでもあり、同情は集まったが、法は法。火つけは火あぶりと決まっている。お奉行様も助けてやりたいが、どうにもならない。
鈴ケ森の刑場には見物人がひしめいた。材木にくくりつけられたお七の姿が現れると大きなどよめきが起こる。お七はまっすぐに群衆をみつめて口を開いた。
「おとっつぁん、おっかさん、ごめんなさい。そして、吉三郎様に伝えて。『どうぞこの先お達者で、所帯も構えて末永くお過ごし下さいね。お寺で一緒に過ごした、あのときが私の宝物です。しあわせでした』」
お七が目を閉じる。役人が目くばせをすると役回りの男たちがお七の足元に駆け寄った。材木の周囲に杭(くい)を立て、むしろで覆うように囲いをしつらえると、その中に薪の束が積み上げられる。薪は荷車で次々に運びこまれ、ついにはお七の頭もすっかり隠れるほど。お上にもお慈悲がある。苦しまないで済むようにとのわずかながらの心配りだ。周囲のむしろが外されるとご丁寧に油がたっぷりまかれた。
火縄が放られるとボッと音を立てて大きな炎が燃え上がり、群衆から悲鳴が上がった。お七の名前を叫ぶもの。お題目を唱えるもの。
無残にも黒く焼け焦げた中を検分した役人が深くうなずいて手を合わせると、三々五々見物人たちも涙を拭きながら鈴ケ森を後にしたと。
ご隠居「おまえさんが見た比翼塚の由来とは、まあ、こういう話だ。比翼連理。比翼の鳥というのはな、つがいの鳥が、片方ずつしか翼がなくなっても二羽が一緒になって飛び続ける。深い深い夫婦の契りをたとえたもんだ。お七と吉三郎と離れ離れになっても心はひとつだということかな」
お七の最期を聞いて、悔しがる八っつぁん。しかしご隠居の話はまだ途中でした。「実は……」と真相を明かします。
〇お奉行様の計らいによって、火あぶりのとき薪を積む作業にまぎれてお七はむしろに巻かれ荷車で助け出されていたこと。〇悪い番頭は身をもちくずし、その後まもなく博打(ばくち)場で命を落としたこと。
〇吉三郎はお七とふたりで江戸を離れてしばらく素性を隠していたこと。
〇商売にも成功して、いまは江戸に戻ってふたり仲良く隠居暮らしを楽しんでいること。
〇この話は、他の誰にも言ってはいけないということ。
そして最後に、その昔お七と呼ばれたおばあさんがほほ笑む。こういう話です。
悪くないでしょ?
立川談笑