福沢諭吉(1835〜1901)の直筆書簡が新たに見つかり、福沢記念館(大分県中津市留守居町)で公開されている。書簡は、耶馬渓にある「競秀峰」の風致保存を目的に、自費で土地買い取りを始めるきっかけになった旅で書かれた。同館は「今年は耶馬渓が日本遺産となった年。耶馬渓と諭吉の関係を改めて再確認してほしい」と話す。

 「諭吉の書簡を入手した。本物なら無料でお貸しする」。きっかけは昨年12月、岡山県在住の古物収集家からの連絡だった。同館は慶応義塾福沢研究センターの西沢直子教授(近代日本史)に鑑定を依頼し、本物のお墨付きを得た。

 書簡は郵便物で、封筒とともに掛け軸(縦1・4メートル、横1メートル)に貼られてある。諭吉にとって最後となった1894(明治27)年3月の帰郷において、慶応義塾の門下生で中津在住だった中野松三郎(1848〜1924)に世話になったことへの礼状だ。

 中津市によると、20年ぶりに帰郷した諭吉が旧中津藩主奥平家の別荘を建てたいと耶馬渓を散策した際、競秀峰が売却されることを耳にした。「万一、心ない人に渡り、天下の絶景が損なわれては取り返しがつかない」と一帯の土地購入を決意。自分の名を隠し、複数の所有者から計約1・3ヘクタールを3年がかりで購入した。同館は「日本の(自然環境や文化財などを守る)ナショナルトラスト運動の先駆け。120年以上も前に自然を守ろうとした福沢諭吉の先見の明と行動力には驚かされる」と話す。

 同館は今回の書簡展示に合わせて諭吉が厚い信頼を寄せたとされる中野にも焦点を当てる。中野は旧中津藩士で72(明治5)年に帰郷し、中津市学校の教員となった。その後、県議会議員や旧中津銀行頭取などを歴任。諭吉と旧中津藩士との連絡役として重要な役割を担ったとされる。

 同館特設コーナーでは、諭吉が神戸商業講習所(現兵庫県立神戸商高)所長に中野を推薦した旨が書かれた中野宛ての書簡や、中野が慶応義塾に入塾する際に持参したとされる旧中津藩の朱印が押された推薦書なども展示する。同館は「福沢諭吉と中津を結ぶ重要な人物だったにもかかわらず、地元での知名度が低い中野を知ってもらうきっかけにしたい」としている。

 公開は2018年1月末まで。

=2017/08/03付 西日本新聞朝刊=