慣れ親しんだわが家で暮らしたい。だが、被災から1カ月たとうとしているのに、片付けさえままならない。九州豪雨で被災した福岡県の朝倉市、東峰村、大分県日田市では、計550人が避難生活を余儀なくされている。「いつまで続くんかね…」。生活再建はまだ見えない。

 炎天下、朝倉市杷木星丸の日隈伸次さん(71)は泥にまみれながら自宅を掃除していた。7月5日の豪雨で乙石川が氾濫し、家が濁流に襲われた。生涯学習センターらくゆう館(同市杷木池田)で避難所生活を送りながら、片付けのため、毎日通っている。

 ボランティアの手を借りて床下の土砂は撤去した。直後、7月31日の大雨で再び浸水。建物は無事だったが、改修工事は順番待ちが続く。「盆には家族全員で集まりたいけどな」。日焼けした顔に疲労がにじむ。

 豪雨は生活の糧も奪った。「家も農機具もなんもかんも流された。この年齢では、他の仕事は見つからんし」。朝倉市黒川で農業を営む町田実さん(64)も避難先の総合市民センター「ピーポート甘木」で肩を落とす。自宅は流され、ヘリコプターで救助された。集落に20軒ほどあった民家はほとんど残っていない。道路も寸断されたままだ。

 農機具など全てそろえるには1千万円以上かかる。1ヘクタール以上ある田畑の修復費も計算できない。仮設住宅には真っ先に応募したが、外れれば避難所に残るしかない。「家も決まらんし、食いぶちもどうなるか分からん。涙も出らんよ」

 病気や障害のある避難者もいる。杷木中に身を寄せる男性(59)=朝倉市杷木寒水=は脊髄損傷で手足が不自由だ。頼れる身内はおらず、被災したアパートは家主が取り壊しを決めた。2万5千円だった家賃は、障害者年金が支えの男性にとって払える限界だった。仮設住宅や「みなし仮設」に入れても、行政の補助は2年で切れる。

 ソーシャルワーカーと相談し、長く住める物件を探している。「役所は頑張ってくれているし、わがままを言ったらいかん。ただ、途方に暮れている市民がいることも知ってほしい」。慣れ親しんだ杷木にとどまれるかどうか、まだ分からない。

=2017/08/04付 西日本新聞朝刊=