息をのみ、言葉が見つからなかった。かきあげた髪の下に、肌色にふくれあがった傷があった。1945年8月6日。福岡県飯塚市相田の杉林宏さん(72)は広島市の爆心地から1・2キロのところで被爆した。当時、生後半年あまり。後頭部のケロイドは、記憶がなくとも残る戦争の傷痕だ。「聞く方もつらいと思うけど」。私自身、被爆者の生の声を聞くのは初めて。杉林さんは静かに語り始めた。

 セミが鳴き、青空がまぶしく、とにかく暑かったという。5年前に101歳で亡くなった母春江さんは生前、あの夏のことを繰り返し教えてくれた。学徒動員された姉の豊子さんを軍事工場に送った後だった。

 広島市中区加古町(旧水主(かこ)町)にあった自宅近く。春江さんはぐずる宏さんをあやすため、知人宅の蔵で母乳をあげ、立ち上がった瞬間、爆発音とともに閃光(せんこう)を感じた。宏さんを背負ったまま、2、3メートル吹き飛ばされた。春江さんの顔や手足の皮膚は垂れ下がり、数分間意識を失った。豊子さんは今も見つかっていない。