【WACOAL DOME 85C Vol.1】

 ワークス撤退後、トヨタのモータースポーツ活動を担ったのは、トムスを筆頭とするトヨタ系のプライベートチームだった。トムスの場合は、チューナー業、用品開発販売業のほかレース運営会社という一面も持っていたが、扱える車両は事実上トヨタ車に限られ、70年代後半はワークス放出のKP47スターレット以外にこれといったモデルもなかったことから、レース活動に苦慮する状態が続いていた。

 しかし、80年代に入るとモータースポーツを取り巻く環境に変化が起きた。排ガス対策が一段落し、メーカーが再び参戦できる条件が整ったのである。同時に、世界的にしばらく動きのなかった各規定が、時流に合わせて大きな見直しが進められた時期でもあった。

 1982年、スポーツカー世界選手権のカテゴリーで、それまでのグループ6規定に代わり、グループC規定が適用されることになった。一見するとグループ6と大して変わらないようにも見えるが、使用燃料量を制限する、これまでのレース史にはない新たな試みが盛り込まれていた。


 一方、こうした時代の移り変わりのの中で、スポーツカーシャシーを開発しル・マンに挑戦を続けるコンストラクターがあった。古くは浮谷東次郎の「カラス」、ホンダS800のシャシーにカスタムカウルを架装した「マクランサ」と和製コンストラクターの先駆けとなっていた童夢である。

 童夢は1979年にグループ6カーの童夢ZERO‐RLでル・マンに初参戦して以来、RL‐80、RL‐81、RC82、RC82iを順次開発してル・マンに挑戦を続けていた。これら一連のモデルは童夢の単独プロジェクトで、コスワースDFV/DFLエンジンを採用して車両を組み上げていた。

 そんな折、トムスとジョイントするプロジェクトが発足した。1979年から始まったスーパーシルエットシリーズに対応した童夢セリカ(RA40系)で、すぐさま1982年の富士WEC用に、日本車初のグループCカーとなるトムス童夢セリカCを開発。

 さらに1983年から始まるJSPC戦(全日本スポーツプロトタイプカー選手権)用に開発したドームRC83を、フロント/リアのカウルデザインをセリカ風に変え、トムス83Cとして納入。童夢はコスワースDFLを搭載したが、トムスはWRC用にリリースされたトヨタ4T‐GT型直列4気筒ターボの排気量を上げて搭載した。


モノコックを構成するアルミパネルの地肌が見えるコクピット内や、無駄のない合理的なデザインのメーターパネル回りなど【写真7枚】


【2】に続く