【WACOAL DOME 85C Vol.2】

【1】から続く

 そして翌1984年シーズン用として新設計による童夢84Cを開発。このモデルからトムス版も同一仕様となり、童夢も4T‐GT型エンジンを使う流れに変わっていた。このモデルはチーム・イクザワにも供給され、トヨタ系グループCカー勢による一大勢力が形成されていくことになる。

 84Cはシャシーにアルミモノコック構造を採用。当時のグループCカーとしては標準的なもので、ポルシェ956、ライバル日産勢が使うマーチ社のシャシーも、すべてアルミパネルをリベットで留めるモノコック構造が採られていた。この時代にカーボンモノコックを使っていたのはF1ぐらいだが、まだモノコックタブを一体成形するまでには至らず、貼り合わせの手法が採られていた。

 フロントラジエーターを採用した84Cは、ローマウントヘッドライト、フェンダーの抑揚が小さなフロントカウルと、他のグループCカーには見られない独自のデザインを持っていた。


 そしてこの84Cは、トヨタ車として初のJSPC優勝を飾る記念すべきモデルとなっていた。85年4月のJSPC開幕戦、鈴鹿500kmレースでE・エルグ/G・リース組のワコール童夢84Cが力走。3台のポルシェ956(アドバン、ヰセキ、フロムエー)を破っての優勝だったから、価値ある1勝と言ってよかった。

 当時の車両デリバリー状況は、シーズン開幕までにイヤーモデルが間に合わず、前年モデルを使うことも少なくなかった。85年の場合も例に漏れず、カスタマーのトムスには85Cを納入できたものの、本家童夢は前年型の84Cを使う状況だった。しかし、なにが正解になるのか分からないところがレースのおもしろいところで、最新型を使うトムスがリタイアを喫し、前年型の84Cを使った童夢が優勝、しかも国産Cカー初優勝というオマケまでつく好対照の結果となっていた。

 85Cは、基本的に84Cの延長線上にあるモデルで、空力面でのリファインなどが主な変更点となっていた。それだけに84Cは、85Cと比べて目立って劣る部分があるわけでもなく、むしろ1年間かけて熟成させた信頼性の高さで勝っていた、という結論になる。

 第2戦の富士1000kmで本家の童夢も85Cに切り替わった。その車両が今回ここで紹介するワコール童夢85Cである。この個体は、1985年のJSPC全6戦中の5戦(第2戦から最終第6戦)で使われ、富士1000km6位、富士500マイル・リタイア、鈴鹿1000km21位、富士WEC9位(雨、途中終了)、富士500km2位という成績を残している。トラブルがなければ、上位に食い込む実力を備える車両であったことが、この戦績からうかがうことができる。84C╱85Cは成功作だった。


 そしてこの85C、同年のル・マンに遠征することになる。トヨタ車によるル・マン参戦は、80年にトムスがIMSA仕様のセリカターボを持ち込んでいたが、予選タイムをクリアできず、残念ながら決勝グリッドまで駒を進めることはできていなかった。

 一方、2年目のル・マンとなった童夢は、RL‐80(DFV)を持ち込み25位ながらも完走を果たし、一定の成果を引き出していた。

 この両者が、5年後のル・マンで手を携え、結果的にトヨタ車による初のル・マン参戦を実現させることになった。85年のル・マンに参戦した85Cは2台。E・エルグ/G・リース/鈴木利男組のワコール童夢車と中嶋悟/星野薫/関谷正徳組のトムス車で、童夢は12時間目にクラッチを壊して戦列から去っていたが、トムスは完走を果たすことに成功。強豪ポルシェ勢に交じっての総合12位だった。

 童夢とトムスは、その後もトヨタエンジンを搭載するグループCカーの開発を手掛け、86C/87C/88Cと3S‐G型直列4気筒エンジンを積むモデルでル・マンとJSPCを戦った。

 なお、トヨタは87年からトヨタ自動車としてレース活動を再開。1988年にグループCカー用の3.2LV8ターボ、R32V型エンジンを開発して、童夢も開発に参画した88C‐Vに搭載。翌年以後、89C‐V、90C‐Vと順次発展し、ル・マンとJSPCのほか、1990年にはWSPCへのレギュラー参戦も果たすことになる。


ダウンフォースを得るためのディフューザー形状をしたリアエンド。グループBセリカGT-TS用として3T-GT型をモディファイした4T-GT型の2090cc発展仕様のエンジンなど【写真7枚】