【カラス Vol.2】

【1】から続く

 興味深いクルマが復元された。ホンダS600をレーシングカスタマイズした「カラス」である。

 当時の空力は、現代のダウンフォース志向とはまったく異なるもので、他の高速移動体を見ても分かるよう、流線形という言葉がブームとなり、空気の流れに逆らわないフォルムが理想とされていた時代だ。

 カラスも、こうした考え方で造られたことがひと目で分かるフォルムをしているが、残念ながら実際どの程度の効果があったか断定できない。

 浮谷は、1965年8月、鈴鹿での練習走行中に事故死していたが、まさにカラス製作真っ最中のできごとで、浮谷が乗っていたS600は林みのるの個人車だったのである。

 当時の浮谷は、上り調子のまっただ中にあり、車両の性能差を技量で逆転できる数少ない優秀なドライバーのひとりだった。極論すれば、カラスでなくオリジナルのS600でも楽勝のドライバーだが、それを差し引いてもデビューウインの50秒差は強烈だった。

 艶消しの黒で塗られたボディ、鳥のくちばしのように突き出たノーズ。まさにカラスとは言い得て妙だったが、浮谷の死後もカラスは進化し、ついにはS800(時代はS600からS800に)のオリジナルボディを降ろして独自製作のFRPボディを架装するマクランサにまで発展。

 独立したスチールフレームを持つホンダSシリーズならではの手法だったが、FRP成型とはいってもバスタブが関の山だった時代に、抑揚のある自動車のボディ、それもレーシングカーのボディを製作するというのは、かなりの冒険だったようである。実際、試行錯誤の連続だったことを、林は自伝で語っている。

 こうした意味でのカラスは、まさにカスタムレーシングカーの先駆けといえる存在で、いくつかのレーシングコンストラクターが誕生するきっかけにもなっていた。もちろん、林自身も1975年に「童夢」を設立して、レーシングカーやロードゴーイングGTカーを世に送り出す足取りをたどっている。

 その林が、童夢設立40周年、自身の現役引退のセレモニーに合わせ、カラスの復刻を計画したわけである。もちろん、復刻作業の先頭に立ったのは林自身だったことは言うまでもない。

 印象に残ったのは、間近に置いて撮影作業に臨んでみると、当時の手作り感が意図的に残され、なかなか時代感を伝える仕上がりだったことだ。林に言わせれば、現代の技術で再現すると精緻になり過ぎ、当時とは雰囲気の異なる車両になってしまう、とのことだった。手作りによるあいまいな感じ、これがカラスだという。半世紀前、発展初期のレース界に新境地をもたらしたクルマ、その意味は大きい。(文中敬称略)


とくに目立つ改造は行われていないキャビン内など【写真6枚】


【1】から続く