1960年代前半からサファリに本格参戦を始めた日産に比べ、トヨタによる体系立ったラリー活動はほとんど見られなかった。しかし、70年代中盤にTTE(トヨタチームヨーロッパ)が設立されてオベ・アンダーソンが代表に就くと、トヨタのラリー活動は一気に本格化。日本メーカー初のWRCレギュラー参戦を果たし、王座に君臨するラリーの名門ランチアと死闘を演じた末にタイトルを獲得。立役者となったのはターボ4WDのグループA、セリカGT-FOURだった。

【トヨタ セリカ GT-FOUR Gr.A for WRC Vol.1】

 トヨタがWRCで勝てるようになったのはTA64の時代(1980年代中盤)。そしてWRCへのレギュラー参戦を開始してシリーズタイトルを争うようになったのは、このST165の時代から。今回紹介する車両は1990年のサファリラリー優勝車、B・ワルデガルド/F・ギャラハー組のセリカGT-FOURだ。

 ラリースペシャルとして、1980年代前中盤のWRCを牽引したグループB規定は、高いベースポテンシャルがもたらすスピードとパワーで、多くのファンを魅了したが、終盤期にはドライバーの手に余る危険な代物にまで予想外の変貌を遂げていた。結果、このハイポテンシャルはリスクとなって幾多のアクシデントを生んでいた。


【画像11枚】公表値295ps/6000rpm、38.0kg-m/4400rpmの3S-GTE型エンジン。TTEが定番ホイールとして使用していたOZレーシングなど


 グループB車両は、車名こそ量産車を名乗るものの、究極の例になるとパワートレインはミッドシップターボ+4WD、独立した専用シャシーとファイバーボディを持ち、公道を走るレーシングカーそのものだった。いや、むしろ4WDである分トラクション性能が高く、サーキット用のレーシングカーより粗暴な面も持ち合わせていた。

 グループB規定は、公認取得のために最低200台の生産台数を必要としたが、競技用の特別仕様は全体の1割にあたる20台以上の生産で済むことから、かなり突出した車両も企画されていた。実際には、初期のグループBカーはグループ4の延長線上で企画され、オペル・マンタや日産240RSのように、市販FR車をラリー用に手直しする段階から始まっていた。

 こうした状況のとき、すでにTTE経由でWRC活動を行っていたトヨタは、TA60系セリカのグループB公認モデル、TA64セリカターボ(GT‐TS)を生産。これをTTEに供給してWRC活動を継続。この車両は手慣れたTTEの作業により、サファリを3連覇するほど戦闘力の高いラリーカーに仕上げられていた。





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