【SPECIAL INTERVIEW - スカイライン開発主管が語る、プリンスと日産 - 伊藤修令  Vol.2】

【1】から続く

 入社から2年後に、富士精密工業は社名をプリンス自動車工業に変更した。この時期、伊藤さんは2代目のS40系グロリア(S4)のサスペンション設計にかかわり、量産のメドが立つとS5と呼ばれるS50系スカイラインのサスペンション設計に移っている。2代目のスカイラインは、初代と違い、純オーナーカーとして設計を行った。

 その開発が一段落した後に手がけたのが、第2回日本グランプリで勝つために企画したスカイラインGTのサスペンションだ。伊藤さんは、櫻井さんに頼まれ、設計の最初の段階からかかわった。もちろん、快適性は無視し、速く走るためのサスペンション設計だ。
「S54と名付けたスカイラインGTのサスペンション設計は、いい勉強になりました。G7型直列6気筒エンジンを積むために鼻先を延ばし、パワーアップしたエンジンに耐えられるようにサスペンションも大幅に強化しています。レース出場のために100台造りましたが、かなりじゃじゃ馬でした。レース終了後、再販を望む声が多かったので、サスペンションなどを改良した量産型の2000GTを発売することにしたのです」
 と、伊藤さんは述べている。

 S50型とS54型スカイラインに続いて伊藤さんが手がけたのが3代目のC10系スカイラインのサスペンション設計だ。開発の早い段階から4気筒エンジンと6気筒エンジンの二本立てで行くことが決まっていた。
 リーダーとなる2000GTは、4輪独立懸架のサスペンションを採用する。これはレースに出場し、常勝を誇っている2000GT‐Bの後継モデルには、さらなる高性能エンジンを積むことが予定されていたからだ。
「3代目のS7(C10)は、サスペンションのレイアウトからやっています。2000GT(GC10)は早い段階にストラットとセミトレーリングアームの4輪独立懸架にしようと決めていました。ベレットの足がよかったので、私たちも次期スカイラインは4輪独立懸架で、と考えていたのです」
 と、3代目の構想を述べている。


>>【画像6枚】スカイラインの生みの親、故・櫻井眞一郎さんのもとでシャシー設計を中心に手腕を奮われた、伊藤修令さんとスカイラインの初期など



【3】に続く