作曲家でタレントの小林亜星さんが、5月30日に88歳で亡くなった。小林さんと言えば、「この木なんの木」で知られる日立グループの『日立の樹』のほか、レナウンの『ワンサカ娘』など、数多くのCMソングを手がけた。さらに『寺内貫太郎一家』(TBS系)では俳優デビューを果たすなど、マルチな活躍を見せた。

 小林さんは1932年、昭和7年生まれ。この学年は芸能人ばかりでなく、小説家など多くのクリエイターを生み出した黄金世代、ゴールデンジェネレーションであり、「花の昭和7年組」とも呼ばれる。

 小林さんのほかにも、3月に亡くなった俳優の田中邦衛さんも同学年だ。さらに、「ルパン三世」の声優として知られる故・山田康雄さん、小説家では石原慎太郎氏や、五木寛之氏なども同学年だ。小林さんは石原氏が作曲を務めた『青年の国をつくろう』を作曲。五木氏原作のドラマ『艶歌・旅の終りに』(フジテレビ系)に小林さんが音楽を付けるなど、仕事を通して親交がある。

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 なぜ、この世代に多ジャンルの才能が集中したのだろうか。

 まず挙げられるのは数の多さだ。厚生省(現・厚生労働省)の人口動態調査を見ると、人口1000人当たりの1932年の出生率は32.9。1931年が32.1、33年が31.5であり、前後の学年に比して高くなっている。この時代は10人きょうだいなども当たり前であり、子どもの数は多いと言われるが、小林さんの学年はとりわけ多いのだ。

 さらに、戦後のメディア史の発展との関わりも大きい。32年生まれは、1950年代から60年代にかけてが20~30代に当てはまる。この時代は、テレビ局が次々と開局し、さらに雑誌を始めとする出版文化も黄金期にあたる。若い世代がクリエイティブな才能を発揮する場が多く用意されていたと言える。草創期のテレビ業界で放送作家としてキャリアーをスタートさせた元東京都知事の故・青島幸男さんも、32年生まれだ。

 小林さんの活躍には、本人が持っていた才能はもちろん、時代背景も大きく関係していると言えるだろう。