初マラソンで強烈な印象を残した新星は、3年後の大舞台を虎視眈々と狙っている。
低迷続く日本男子マラソン界の、希望の光になることはできるのか――。
Number924号(3月30日発売号)の特集を全文掲載します。

「明らかに、差は詰まっている。一気に追いつくんじゃない。徐々に近づこう。できれば追いついて、粘りたい――」

 2月に行なわれた東京マラソン。10kmから15kmの道中で、視線の先を走る“世界”との差をぐんぐんと縮めながら、設楽悠太はそんなことを考えていた。

「走る前は、世界のトップ選手と戦う上で、『どれだけ走れるかな』という意味で楽しみが大きかったです。走っているときも、自然と体が動いたんで『速いな』とは感じなかったですね。ハーフまでは気持ち的にも余裕がありました」

 東京マラソンは今年からコースが変更され、下り基調の世界記録も狙えるような高速コースへと様変わりを果たした。その影響か、元世界記録保持者のウィルソン・キプサング(ケニア)を筆頭に世界でもトップクラスのランナーが顔をそろえ、日本人選手の多くははじめから後方で集団を形成する戦略をとった。そんな中でただ1人、前半からハイペースで先頭集団の背中を追いかけたのが設楽だった。

「どれだけ世界と戦えるのかを試したかったんです」

 本人が語る通り、中間点までは日本記録はおろか、世界記録すら視界に入るような、驚異的なスピードで押し続け、10kmからの5kmは出場選手中、最速ラップを記録した。しかし、35km以降は失速。2時間9分27秒の日本人3位という結果に終わり、今夏の世界陸上の代表権も逃した。

 それでも、3月に行なわれた代表発表の場では、瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーが「将来を見据えれば、選びたい思いはあった」と語ったように、このレースで最も周囲の目を引いたのは、設楽の積極性だった。

「練習では35kmまでしか走ったことがなかったので、プラス7kmの部分で経験の差が出てしまったと思います。でも、自分の中では初マラソンでも挑戦ではなく、勝負に来ていたので、前半から積極的に攻めの走りができたのはいい経験だったと思います。ああいうレースをするのはもちろん勇気も要りますけど、やっぱり走るからには『何かやってやろう』という想いはあって。ただ走って終わりじゃなく、どれだけ世界と戦えるのかを試したかったんです」

こういう走りを積み重ねれば、日本記録は絶対破れる。

 初めてのマラソンということに加え、年始のニューイヤー駅伝から1カ月での挑戦ということもあり、走り込み不足という不安要素もあった。だが、本人はいたって冷静だったという。

「40km走をやらないと不安という人も多いと思いますけど、僕は全然不安はなかったです。不安があった時点でマラソンは走りませんし、まずは自分の練習スタイルを見つけようと思いました。あとは経験の部分だと思うので、こういう走りをどんどん積み重ねて行けば、30km以降も慣れるというか、走れるようになると思います。そうすれば日本記録は絶対に破れると思いますし、2時間4分台、5分台も目指してやっていきたいですね」

 少し意外だったのが、話をしている設楽が「世界」「日本記録」「攻めの走り」といった、強い言葉を繰り返したことだ。

兄弟の闘争心、そして箱根への思いが成長させた。

 というのも大学までの設楽は、どちらかというと飄々と試合に臨み、レース後も淡々と言葉を紡いでいた印象があったからだ。大学時代の意識については、本人もこう振りかえる。

「『世界を目指そう』という考えが出たのは社会人になってからで、学生の時は全く考えていなかったです。僕が東洋大学に行ったのは箱根駅伝が走りたかったからで、大学時代はもう、本当にそれだけでした。僕の中では絶対にはずせない試合でしたし、今の学生が『箱根駅伝は通過点』とか言っているのを聞くと、驚きます」

“設楽兄弟”の名を一躍全国区にした箱根駅伝においても、最終学年では主将に加え、山登りの5区も務めた双子の兄・啓太のキャプテンシーがクローズアップされることが多く、弟の悠太がこれほど明確に闘争心を見せることは稀だったように思う。

「小学校から兄貴と一緒に陸上をはじめて、大学まで同じチームでやっていましたけど、隣でずっと一緒に陸上を続けてくれた。自分が故障しているときもアイツがしっかりチームをまとめてくれて、自分も早く一緒に走りたいという気持ちにもさせてくれました。そういう意味では、お互い切磋琢磨しながらここまで成長してこられたと思います」

社会人になってから“弟キャラ”に変化が。

 そんな隣で支えてくれた兄は、社会人で別のチームへと進んだ。大袈裟に言えば、人生で初めて「1人」で戦う日々に身を投じ、“弟キャラ”だったメンタルは少しずつ変化していったのだろう。設楽は言う。

「やっぱり大学は走れなくてもクビになるわけではないじゃないですか。でも、社会人になれば結果がすべて。それには『世界で戦う』という強い意志が要ると思います」

 もうひとつ、設楽にとって大きなきっかけになったことがある。それが2015年に出場した北京世界陸上での経験だ。

「社会人になったばかりの頃は『世界の舞台に立ってみたいなぁ』という軽い気持ちでした。でも、北京世界陸上の1万mで惨敗して、もっと真剣に世界で勝負したくなった。あのレースは人生で初めて最下位、周回遅れを経験して、悔しさだけが残った。なんとしてももう一度、世界の舞台に立ちたいという気持ちが強くなりました」

日本人に勝つことだけを考えて……では良くない。

 年始の箱根駅伝という“超”大イベントが存在する日本では、大学卒業後になかなか次の目標を見いだせない有力ランナーも多い。そんな中で、設楽は実際に世界との力の差を肌で感じ、「攻め」の走りの重要性を実体験できたのだ。

「世界陸上に続いて昨年のリオ五輪にも出られたことで、目線を箱根駅伝から上げられたと思います。マラソンでも、選考レースの時は日本人に勝つことだけを考えて……という風になると、日本のマラソンのレベルも低くなりますし、競技を強くするには攻めないと、と思っています。そうしないと下の世代も強くならないので。もちろんレース展開もありますけど、攻める気持ちは忘れたくないですね」

「やっぱり一番注目されるのはマラソンだと思うので」

 2020年の東京での五輪が決まったことをきっかけに、予定にはなかったマラソン挑戦を決断した。それだけに、そこに懸ける想いは強くある。

「トラックで勝負したい気持ちもありましたけど、やっぱり一番注目されるのはマラソンだと思うので。東京ではその種目で結果を残したいという気持ちは大きいです。そうして応援してくれる人たちを喜ばせたい。それが今の僕のモチベーションになっています。もちろん東京でメダルを、という想いはありますけど、まだ、いま言っても『コイツ、何言っているんだ』と思われますから。そう思われないためにも、2年後の世界陸上で入賞して『東京でメダルを獲りたい』と胸を張って言いたいですね」

 強気な言葉と、確かな未来図――。

 かつてはなかった武器を手に入れた日本マラソン界のホープは、しっかりと先を見据えている。

 心も体も、ランナーとして強く進化した設楽に、最後に1つだけ聞いてみた。

――初マラソン後、最初に頭に浮かんだことは何でした?

「解放感ですね。とにかくずっと節制していたので。お菓子を帰りのコンビニでいっぱい買って、帰りの車の中で食べて帰りました(笑)」

 そう言ってはにかんだ柔和な笑顔は、大学時代のままだった。

(Number924号『東京へ 設楽悠太 攻めの走りで拓く道』より)

文=Number編集部

photograph by Manami Takahashi