マイケル・ムーアはドキュメンタリー映画『キャピタリズム』で、行きすぎた資本主義がアメリカにもたらした悲劇的な側面を描いた。自由競争の名目のもと、ごくわずかな超富裕層だけがさらに肥えていき、残りの大多数は巧妙に搾取され、なかには先代から守ってきた土地や家を失う人々さえいる。リベラルなロマンチストではなくても、この状況を理想の社会と考える人は少ないだろう。

 映画の公開から約8年が経過した今も、世の中はそれほど変わっていない。だからなのか、先日、G20が行われたハンブルクでも暴動が起きた。残念ながら、人類はまだキャピタリズムに代わるシステムを持たないが、この階級的な制度の歪みがいよいよ顕著になっているような気がする。

ルカクに対して110億円もの移籍金を支払ったマンU。

 フットボールの世界でも、資本主義に拍車がかかっているようだ。今年も恒例の夏の移籍市場が幕を開け、この2週間ほどの間に、非現実的な額のディールがいくつも締結されている。現時点における今夏の移籍金の最高額は、マンチェスター・ユナイテッドがロメル・ルカクの獲得に際してエバートンに支払った推定7500万ポンド(約110億円)。付帯条項をすべてクリアすれば、その額は9500万ポンドに上るという。

 ユナイテッドは昨夏、2012年にタダ同然で手放したポール・ポグバの再獲得に、推定8930万ポンドもの移籍金をユベントスに支払った。これは史上最高額を更新しただけでなく、さらなるインフレの引き金になると見られている。

 大富豪のアメリカ人オーナー、すなわちキャピタリズムの勝者によって運営されているユナイテッドは、国際監査法人デロイトが発表する最新の『フットボール・マネー・リーグ』で首位に返り咲いた。

 年間5億1530万ポンド、日本円にして約757億円と、世界で最も収入の多いフットボールクラブにとって、100億円ほどの移籍金は痛くないのかもしれないが(5年契約のため、帳簿上の支出は年間1500万ポンドとなる)、競合から見れば、はた迷惑な文字通りの“赤い悪魔”だろう。

エンバッペ、ドンナルンマの価値はすでに129億円。

 ルカクもポグバも特大の才能を有してはいるが、まだなにも偉大なことを成し遂げているわけではない。そんな選手たちにまさしく桁違いの移籍金が支払われているのだ。

 また今夏、カイル・ウォーカー(トッテナム→マンチェスター・シティ)に費やされた5000万ポンドはディフェンダーの史上最高額を更新し、ミラン・シュクリニアル(サンプドリア→インテル)やマイケル・キーン(バーンリー→エバートン)といったコアなファンしか知らないような若手にも、2500万ポンド以上の移籍金が投じられた。

 さらに、17歳のヴィニシウス・ジュニオール(フラメンゴ→レアル・マドリー。加入は2019年7月)は4600万ユーロ(約59億円)の移籍金で取り引きされ、キリアン・エンバッペ(モナコ)やジャンルイジ・ドンナルンマ(ミラン)という2人の18歳の値札は、それぞれ1億ユーロ(約129億円)は下らないと目されている。そんな重荷を背負わされた10代の彼らが不憫に思えてくる。

 2001年にレアル・マドリーがジネディーヌ・ジダンを迎えるために、ユベントスに7750万ユーロ相当を支払って当時の移籍金最高額を更新したが、いま彼ほどのクラスの選手がクラブを替えれば、そこにはどれほどのカネが発生するだろうか。

優秀なアカデミーを抱えながら主力に定着しない。

 こうした状況は、フットボールの世界にも歪みを生んでいる。世界で最も裕福なリーグであるプレミアリーグでは昨今、自前の若手の出場機会の少なさが問題視されている。

 例えばチェルシーは、近年のユース世代のメジャータイトルをいくつも獲得した優秀なアカデミーを持っているが、そこからファーストチームのレギュラーを掴む選手は出てきていない。ユースチームで主将を務め、早くから将来を嘱望されていたナサニエル・チャロバーは今夏、ワトフォードへの移籍を決意した。

 毎シーズン、ローンに出されてきた22歳のセントラルMFは、同年齢で同じポジションのティムエ・バカヨコが3970万ポンドで加入したことにより、チェルシーに自身の未来がないと見切りをつけたのだろう。

スーパー代理人によって、クラブが足元を見られる。

 また、10代で特別な才能を示す選手には早くから代理人がつき、今後の身の振り方について、良くも悪くも指南を受ける。まだ分別のない若者が、手っ取り早く稼ぐには移籍するのが賢明だと教われば、世話になったクラブへの情を忘れ、ドライな選択をしがちになる。

 そもそも高度な資本主義にセンチメンタリズムが入り込む余地はないのかもしれないけれど、元リバプールのスティーブン・ジェラードや元ローマのフランチェスコ・トッティのように、下部組織出身の一線級がクラブの象徴としてそこにとどまり続けるケースは極めて珍しくなるだろう。

 そして、すでにフットボール界で最もパワフルな人々とも言われるミーノ・ライオラやジョルジ・メンデスといった“スーパー・エージェント”の力はさらに強大となり、選手を育てたクラブ側が交渉の席で常に足元を見られるような状況が進行していく。

 ただし──。このクレイジーな現在の移籍市場を招いた責任を、ビッグクラブや代理人たちだけに押し付けることはできない。結局のところ、ファンやメディアを含めた多くの人が、この狂想曲を望んでいるのだ。

移籍市場そのものがエンターテイメントという功罪。

 移籍マーケットそのものがエンターテイメントとして成り立ち、刺激的な数字や発言が人々を楽しませる。どのクラブが誰々を何十億円で買ったとか、大物代理人がそこで稼いだカネで何十億円の別荘を購入したとか、我々の属する消費社会には、他人の大きな買い物に興味を持つ人がたくさんいるのだろう。僕もまた、プロのスポーツの書き手として、その恩恵に与っていると言えなくもない。

 ただ、ひとりのフットボールファンとして望むことがある。このスポーツがどれほどキャピタリズムに侵食されようと、すべてが市場の原理だけで決定されてしまうような未来は寂しすぎる。芸術にも例えられるこの競技から、情感の差し込む余地がなくなってしまえば、もはやそれはフットボールとは呼べない。

文=井川洋一

photograph by AFLO