年季の入った黒のトレーニングウエアは、汗でぐっしょりと濡れていた。背中にあしらわれた“Joe”の文字も少しかすれている。

「10年ほど前、ボクシングジム(大阪帝拳)に入門したばかりの頃に『ジョーちゃん』からもらった。減量時期になると、毎回着ている。げん担ぎもある。一緒に戦うつもりで」

 プロデビューから1年3カ月。史上最短での世界初挑戦を控えた京口紘人(ワタナベジム)の言葉には、辰吉丈一郎への敬愛がにじむ。23日にIBF世界ミニマム級タイトルマッチ(大田区総合体育館)に臨む23歳のボクシング人生は、その辰吉の指導から始まったと言ってもいい。

 中学校入学前の12歳で大阪帝拳ジムに入門すると、1年生の頃から約2年間、「毎日のようにボクシングを教わっていた」。『浪速のジョー』の愛称で親しまれたカリスマボクサーは「俺のことをジョーちゃんと呼べ」と命じると、近い距離で熱のこもった指導をしてくれた。中学時代に元WBC世界バンタム級王者に伝授された必殺の左ボディーブローは、右構えの京口にとって今も強力な武器となっている。

最軽量級とは思えないほど強烈な一発の威力。

 京口は大阪帝拳から高卒でプロになることも考えたが、大商大の特待生としてアマ経験を積むことを選択。大学時代は2学年上の現WBC世界ライトフライ級王者の拳四朗(当時・関西大)と何度も拳を交えた。

「ずっと背中を追いかけていた存在。身近に目指している選手がいたのは良かった」

 大学は決して遠回りにはならなかった。上京して、プロとなったワタナベジムでは井上孝志トレーナーの下、徹底したフィジカルトレーニングとミット打ちで、持ち味のパンチ力を強化。「ジョーちゃん直伝」と胸を張る一発の威力は、最軽量級とは思えないほどになった。

初の判定勝ちには「しょうもない試合をした」。

 今年2月28日のOPBF東洋太平洋王座決定戦では、フィリピン人アルマンド・デラクルズの脇腹にめり込むような左の一撃を見舞い、3回にKO。強烈な一撃に後楽園ホールの客席はどよめいたが、控え室では「倒すボディーブローではなかったんだけど……」と思わず苦笑い。本人の思いとは裏腹に、ハードパンチャーとして強烈に印象付けた。

 2016年4月のプロデビューから3回以内に試合を終わらせ、2、3カ月に1試合のハイペースで6連続KOを達成する。

 今年4月25日のプロ7戦目。OPBF東洋太平洋の防衛戦では、初の判定勝ちに不満顔を見せた。陣営は世界戦を見据え、フルラウンドを経験できたこと、セコンドの指示を聞いて冷静に試合を運べたことを評価したが、本人は煮え切らない。「ぎりぎり合格点。しょうもない試合をした」と唇を噛んだ。

 作戦を忠実に遂行しても、試合終盤にロープに追い詰めながら、攻めきれなかったことを悔いた。「ボクシングの醍醐味はKO」というスタンスは変わらない。得意とする左アッパーの空振りが目立ったことを反省した。

内山のニックネームにちなんだ「ダイナマイトボーイ」。

 世界戦は勝つことが最優先としながらも、ホセ・アルグメド(メキシコ)戦への期待は大きい。同ジムの先輩、前WBA世界スーパーフェザー級王者内山高志の『KOダイナマイト』にちなんで、リングネームは『ダイナマイトボーイ』となった。

 KO奪取のためには「左が重要になる」ときっぱり。4度目の防衛を狙うメキシコ人王者を倒すプランは「3パターンくらいある」と自信をのぞかせ、「ジョーちゃんと同じ8戦目にKO勝ちで世界チャンピオンになる」と宣言した。辰吉が指導したボクサーでは「世界王者"第1号"だと思う」と胸を高鳴らせていた。

 ボクシングを始めた少年時代から抱き続けてきた大きな夢が目の前に迫っている。

「ジョーちゃんからは世界チャンピオンなりたいじゃ、なられへんぞと言われてきた」

自信は100パーセント、勝利で“天下一品の味”を。

 網膜剥離から復活して王座に返り咲いたボクサーの言葉には説得力がある。半信半疑な思いでは世界のベルトは手にできない。だからこそ、京口は力強く言い切る。

「自信は100パーセント」

 決戦を4日後に控えた19日。肩の力は抜け、余裕たっぷりの顔だった。ジムのエアロバイクをこぎながら報道陣と談笑していると、リミット47.6キロの戦いから解放される翌日、何を食べるかを思案。ふと口をついて出たのは――。

『天下一品』

 当日、左から繰り出すボディーブローとアッパーもそれと同じなら、気持ちよくお気に入りのラーメン屋へ足を運べるはずだ。一夜明けの「勝利の味」は、格別にこってりしているのかもしれない。

文=杉園昌之

photograph by Masayuki Sugizono