イニング途中で交代が告げられても、広島大瀬良大地はマウンドを降りようとはしない。

 交代に抗議の意志を示しているのではない。自分への怒りというわけでもない。

 理由は、代わりに登板する中継ぎ投手に声をかけるためだ。

 7月18日、甲子園での阪神戦がそうだった。9点の大量援護をもらい、7回まで3安打投球。だが、8回に2四球などで満塁とし、押し出し死球で失点をした直後に交代を告げられた。点差や球質を考えると厳しい継投の判断。自他への怒りで足早にベンチに引き上げても不思議ではないが、大瀬良はリリーフカーに乗る2番手・中崎翔太がマウンドに来るまで待った。

「ごめん。頼んだ」

 そう言ってマウンドを降りる。

 大瀬良という選手はそういう投手なのだ。

「優しい人間は生き残れない」と言う人もいるが……。

 その日だけじゃない。降板しても、ベンチの最前列で声を張り上げる。好投しても、不甲斐ない投球であったとしても、仲間に声援を送る。たとえ中継ぎが逆転を許して自分の勝ち星が消えても、ベンチに戻る中継ぎを最前列で出迎え、労をねぎらう。

 勝負の世界では「優しい人間は生き残れない」とよく言われる。もちろん、プロ野球の世界も同じだ。

 高いレベルの中の競争を勝ち抜くためには、優しさが隙を生み、弱さとなることもある。大瀬良自身、プロ入りしてから何度もそう言われてきた。

 でも、大瀬良は優しい。

 球宴期間中に与えられた2日間の休養日のうち1日は、後輩のために使った。開幕ローテ入りしながら、左ひじ痛でリハビリを続けるドラフト3位左腕・床田寛樹のもとを訪れるためだった。

苦しんでいる人を、どうしても放っておけない性分。

 床田は左ひじの状態が思うように上がらず、焦りや不安が募る日々を過ごしていた。

 一進一退のリハビリは精神的な負担も大きい。6月には「心が折れそう」と話していた、その新人左腕と昨年の自分が重なった。

「僕も昨年そうだったから分かるんです。思うように上がって来ない時期が長くてしんどかった。そのとき僕の場合は自分に合ったストレッチというか、マッサージ法があったので、床田に合えばと……」

 苦しんでいる仲間、悩んでいる後輩のためにいてもたってもいられなかった。

 休日を使ったのはチームメートのためだけではなかった。

 昨年4月には、休日を利用して地震からの復興を目指す熊本に足を運び、水や缶詰などの食料品を届けた。地元・長崎と同じ九州で起きた被害に、いてもたってもいられなかったという。

 大瀬良という人間はそんな人間だ。

普段は優しい。マウンド上でもやっぱり優しい。

 もちろん広島ファンにも優しい。

 年明けの大野練習場では門の前で待つファン全員にサインしていた。長い列を2周するファンがいても、嫌な顔ひとつしない。寒い中、ファンの「あけましておめでとうございます」という新年のあいさつに、「あけましておめでとうございます」と返しただけでなく、「今年も応援よろしくお願いします!」と続けた。

 普段優しい性格でも、戦いの舞台であるグラウンドに立てば表情が一変する選手は多い。だが、大瀬良はマウンド上でも柔和な表情に見える。時折、笑顔も見られる。

 そんな姿に「厳しさが足りない」、「もっと戦う気持ちを前面に出せ」などと厳しい声が聞かれる。

役目を果たすため……スタイルを貫く覚悟を決めた。

 一昨年、米大リーグから広島に復帰した黒田博樹にも言われたことがある。「プロの世界は生きるか死ぬかくらいの覚悟でやらないと、相手に勝てない」と――。

 先発から中継ぎに転向したシーズン。意識はした。実際にマウンドでの表情も厳しくなった。

 だが、常に“意識”してしまっている自分がいた。“無意識”にはできなかった。

 今季、再び先発として長いイニングを求められる。瞬発力勝負の中継ぎと違い、持久力が求められる先発では、「(無理しても)保たないんじゃないかなと思う」と自分のスタイルを貫くことを決めた。

 だが、それは決して周囲の言葉に目を背けているわけではない。

「いろいろ言われるけど、自分が初めてになればいいんじゃないかって」

 自分がそういう投手ということを受け入れ、その上で強くなる。器用なタイプではないが、胸に秘めたものは強い。

 それは、伝説の投手の背番号を引き継ぐ者の使命なのかもしれない。

“炎のストッパー”津田恒実氏の背番号を受け継いで……。

 広島の背番号14と言えば、“炎のストッパー”と呼ばれた故・津田恒実氏が背負っていた番号だ。大瀬良の優しさとは対照的に、打者に立ち向かっていく闘志を前面に押し出す投手だった。

 大瀬良はオフになれば、津田氏が眠る山口県周南市にある墓へ足を運ぶ。

 登板後は、心の中で偉大な先輩と対話するように、その日の投球を反省する。そして前を向く。

 その気持ちが――他の人たちにも伝わる。

大瀬良のひと言は、皆に大きな力と勇気を与えている。

 7月18日、甲子園。バトンを受けた中崎は「イニングの途中からマウンドに上がることはどうも思わない」と中継ぎとしてのプライドをのぞかせながらも「逆にイニング途中に降りるときは申し訳ないと僕も思う。(大瀬良が声をかけるように)そういうことを言ってくれると、こっちも抑えてやろうという気持ちになる」と続けた。

 大瀬良の優しさは、誰かの力になっている。

 新人床田も復帰へ前を向いて歩き出し、大瀬良の姿を見て勇気をもらったファンも少なくない。

 その優しさは、何より大瀬良自身を強くしているのだ。

 優しさと厳しさは相反するものかもしれないが、優しさと強さは同居できる。本物の強さは、優しさの中にこそあるのだ。

文=前原淳

photograph by Kyodo News