7月25日、リーグ設立2年目を迎えるBリーグにとって、そしてもしかしたら今後の日本代表にとって鍵をにぎることになる選手が、日本に到着した。この春、名門カンザス大を卒業したランデン・ルーカス(センター)だ。

 彼が日本に到着する直前に、Bリーグのアルバルク東京からルーカスとの契約が正式に発表された。同じ頃にルーカスの母、シェリーも、自身のウェブサイトでルーカスがチーム(アルバルク東京)と、NBAアウト(NBAからのオファーがあった場合に契約を打ち切れる権利)付の完全支払保証された3年契約を交わしたと書いている。

 実はルーカスにとって、今回は3度目の来日となる。1度目は'93年10月、なんと生後13日で初めて日本を訪れた。当時、父、リチャード・ルーカスが日本リーグのジャパンエナジーでプレーしていたのだ。その後、3歳頃まで日本で過ごした。オレゴンに戻った後も、日本語能力をキープできるようにと日本人学校に通っていたというのだから、アメリカに戻ったとはいえ、日本との縁は強いままだった。

 2度目はルーカスが11歳の時。父と離婚した母に連れられて福井に移り住んだ。息子が将来、バスケットボールに本気で取り組むことになるとわかっていた母、シェリーは、アメリカの高校で本格的にバスケットボールを始める前に、ランデンに再び日本での生活を経験させたかったのだ。オレゴンの家や家財道具を一切売り払っての、思い切った移住だった。そうすることで、ランデンの将来の選択肢が増えるように、アメリカで育ったら得られないような機会に恵まれるようにというのが移住の目的だった。

日本に戻ったら、また懐かしい人たちに会えるのでは。

 日本語での会話ができたルーカスは、地元小学校への入学を認められた。と同時に、地元のミニバスケットボール・チーム、啓蒙ミニバスケットボールスポーツ少年団に入った。

「あれは、とてもいい経験だった。多くのすばらしい人たち、友人たちに出会った。日本で過ごした時間はとても楽しかった。5年生か6年生ぐらいまでの僕は英語より日本語のほうが得意だったんだ。読み書きもできた。今はだいぶ忘れてしまったけれどね。でも、日本で2週間ぐらい生活すれば戻ってくると思う。

 日本で所属していたチーム(啓蒙ミニ)は強くて地区優勝もした。あの時のチームメイトのうち何人かとは今も連絡を取り合っている。日本に戻ったら、また懐かしい人たちに会うことができるのではないかと楽しみにしている」

子供の頃から大きくて、シャックが大好きだった。

 ルーカスは日本にいた時から、NBAに入ることを夢みていた。NBAの試合はいつも日本のテレビ中継で見ていて、録画して後から見返すこともあった。

「父も(オレゴン大を出た後)あと少しでNBAに入るぐらいのところだった。結局、日本でプレーしたけれどね。だから、僕も小さい時からNBAでプレーしたいと思っていた。日本にいたときからそれが僕の夢だったんだ」と振り返る。

 子供の頃から一番好きなチームはロサンゼルス・レイカーズ。そして一番好きな選手はシャキール・オニールだった。

「僕は子供の頃から年の割に大きかったから、シャックが大好きだったんだ」

セルティックスの一員としてサマーリーグ出場。

 皮肉なことに今年7月、ルーカスはレイカーズ……にとって永遠のライバルであるボストン・セルティックスの一員としてNBAのサマーリーグに出場した。

「セルティックスというすばらしい組織、チームでプレーする機会を得られて、楽しんでいる」と、サマーリーグ中にルーカスは語っていた。NCAA強豪のカンザス大で4年間プレーしただけに、「サマーリーグは高いレベルなのは確かだけれど、見たことがない世界でも、目新しい世界でもない」と言う。サマーリーグの試合で心がけていたのは、カンザス大のときと同じように「リバウンドと味方にスクリーンをかけること。そして、チームメイトがプレーしやすいように助けること」だった。派手なプレーをするわけでもなく、どちらかというと裏方のプレーに徹していた。ユタとラスベガスのサマーリーグを通して合計7試合、平均12分出場し、3.7得点、3.4リバウンドを記録。決して目立つ数字ではないが、常に全力でプレーしていて、チームがうまく回転するような触媒になっていた。

 サマーリーグの時点でルーカスは、「今は最善を尽くし、NBAチームから声をかけてもらえるようにしている。それができなければ、次の計画も用意している」と言っていた。

「アメリカにいる日本人選手には注目している」

 その『次の計画』が日本のBリーグでプレーすることだった。サマーリーグの時から、NBAでなければBリーグと決めていた。いくつかのBリーグ・チームから声がかかっていたが、この時点ですでに候補は絞っており、日本での生活やプレーを楽しみにするような発言も随所に飛び出てきた。

 日本のことを熱く語る言葉には、もうひとつこめられた思いがあった。子供時代を過ごした第2の故郷、日本で行われる2020年の東京オリンピックへの出場だ。それも、この先日本国籍を取得し、日本代表として出場することを目指しているのだ。実際に、先日、U19日本代表としてプレーした榎本新作(アメリカ名:アイザイア・マーフィー/ピマ・コミュニティ大)ら、アメリカにいる日本人選手たち数名とも連絡を取り、日本の話などを聞いているという。また、ゴンザガ大の八村塁や、ジョージワシントン大の渡邊雄太のことも知っており、彼らのプレーもハイライト動画などでチェック済みだという。

「アメリカにいる日本人選手には注目している。いつか、彼ら全員に会う機会があるのを楽しみにしている」とルーカスは顔を輝かせる。

「僕らの多くは、2020年のオリンピック代表として東京でプレーしたいという気持ちでいるからね。そうなったらすばらしいことだ。僕にとっても、日本を代表してプレーするというのが目標なんだ。そのためにも、パスポート(国籍)を取得して、代表チームでプレーできることを願っている。この先、それを実現するための方法を見つける必要があるけれど」

 サイズがあり、アメリカの強豪校でプレーしていたルーカスの日本国籍取得は、東京オリンピックに向けて日本バスケットボール協会の秘策となりえる。もちろん国籍取得は簡単なことではないが、可能性があるから進めようとしている話でもある。

 12年前、ルーカスの母は、ルーカスの選択肢が広がるようにと、福井に移住した。その判断によって今、ルーカスは、父親と同じように日本のリーグでプレーしようとしているだけでなく、日本のユニフォームを着て東京オリンピックに出ることになるかもしれない。

 ルーカスは日本への思いについて、次のように語った。

「僕は日本で育って、日本には特別な思い入れがある。だから、オリンピックのホスト国である日本を代表してプレーできたらすばらしい経験になると思う。ぜひやってみたい」

文=宮地陽子

photograph by USA TODAY Sports/REUTERS/AFLO