プロ野球の外国人選手が好きだ。

 好きを通り越して、尊敬している。だって彼らは異国の地で文化も違えば言葉も通じない環境で仕事をするわけだから。

 ニッポンで己の腕一本で生き抜く男たち。蕎麦とお好み焼きとダウンタウンの番組が大好きで、日本語以外はほとんど喋れない自分には到底できそうもない。素直に「すげーな」と思ってしまう。

 当然、そのパセティックでロマンチックな野球人生は一冊の本になりやすい。ぶらり大型書店へ行くと野球本の棚には「助っ人本」ジャンルがあるくらいだ。

 そのほとんどが「高給に魅かれ1年だけプレーするつもりで来日」「初めての春季キャンプで日本野球の練習量に絶望」「外国人選手同士で語り合う六本木の夜」「ベースボールと野球の違い」「日本野球への適応術」「私の愛するニッポン」的な内容で、しっかり起承転結になっているし読み物として非常に面白い。

'80年代の日本にいて、彼の名前を知らない人はいない。

 あの元メジャーリーガーのジャック・エリオット(トム・セレック)が日本の中日ドラゴンズでプレーする様子を描いたハリウッド映画『ミスター・ベースボール』もだいたい似たようなプロットだ。

 4年前にワールドシリーズMVPを獲得した元スター選手ジャックの前年打率は2割3分5厘、ヤンキースでは若手の台頭もあって出番を失い、ある日突然に日本行きを告げられる。来日したジャックは空港で中日球団幹部とマスコミ陣の多さに驚き、どんなコメントも通訳が勝手に無難な日本語に訳して話す様子に呆れ、故・高倉健演ずる内山監督(星野仙一風キャラ)の厳しさに戸惑う。

 グラウンドに出れば口うるさいコーチがつきまとい“対ガイジン兵器”と名付けられたシュートボールが襲ってくる始末。「えらいとこにきちまったぞ」なんつってアメリカと比較したら異様に狭い部屋で、衛星放送のCNNニュースを眺める日々。

 ……と映画序盤の紹介で気付いた野球ファンもいるかもしれない。これはあの伝説の助っ人選手の自伝に非常に近い内容なのである。

【『さらばサムライ野球』(ウォーレン・クロマティ/ロバート・ホワイティング共著/松井みどり訳/講談社/1991年3月発行)】

 恐らく、'80年代の日本に住んでいたらクロマティを知らない人はほとんどいないのではないだろうか?

巨人戦ナイター中継の視聴率が毎晩20%以上の時代。

 巨人戦ナイター中継の視聴率が余裕で毎晩20%越えしていた時代の、原辰徳と並ぶ看板スター選手。

 来日1年目の'84年から35本塁打を記録、'86年には頭部死球で退場した翌日に劇的な代打満塁ホームランをかっ飛ばし、'89年には打率.378で首位打者とMVP獲得。今でも風呂に浸かりながら「ラクをしてもクロウクロウ〜苦労してもクロウクロウ〜」と無意味に歌えるこの感じ。

 独特のクラウチングスタイルの打撃フォーム、風船ガムを膨らませて派手なガッツポーズ、スタンドの観客に向けたバンザイコール。そのすべてを当時の野球少年たちは真似をした。

 いわば、彼は大空翼や孫悟空と同レベルのリアルヒーローだったのである。

 だから、この本を初めて読んだ時はあまりの内容の生々しさに戸惑い、同時にその面白さにページをめくる手が止まらなかったのをよく覚えている。

当時、大リーグより高給を出せた日本プロ野球界。

 モントリオール・エクスポズで通算1000本以上の安打を放ったクロマティは、'83年オフにFAで真っ先にオファーのあったサンフランシスコ・ジャイアンツではなく、年俸60万ドルの3年契約と条件が図抜けてよかった読売ジャイアンツ行きを選択する。今となっては信じられない話だが、当時はNPB球団がMLBチームに対してマネーゲームで対抗できる時代だった。

 まだ30歳の現役バリバリのメジャーリーガーがまさかの日本球界行き。

「俺は最盛期に日本でプレーする最初の大リーガーになるだろう」

 自尊心の強いクロマティだったが、同僚のレジー・スミスからは「キャンプは地獄だと思いな。本当の地獄だぞ、ウォーレン」と脅され、実際に想像を絶するハードなトレーニングと巨人を取り巻く異常な数のマスコミにクタクタになり、夜は故郷の妻や知人に国際電話で愚痴る毎日。

 シーズンが始まると日本の投手の攻めに戸惑い、球場までの地下鉄のラッシュにも四苦八苦。守備コーチはしつこいくらいに「今日は風があるから気をつけろ」なんて分かりきったお天気リポートを繰り返す。クソ、いったいどうなってんだこの国は。今シーズンだけでも続いたら奇跡だよ……。

 そんな悩めるクロマティを救ったのは、当時の指揮官・王貞治だった。

“世界の王”から、焼き鳥屋で打撃指導を。

 いらっしゃいませ! いらっしゃいませぇ……ええっ……!

 東京・青山の焼き鳥屋店員は思わず絶句したはずだ。

 なにせ当時の日本では総理大臣やアメリカ大統領よりも有名な“世界の王”の突然の来店だ。奥のVIPルームに通された王とクロマティは他愛のない会話から、自然と日本語と英語が入り交じった野球談義へとシフトする。「いいかい、クロウ」と畳の上で繰り広げられるマンツーマンの打撃指導。

「打つときにはね。左の脇の下に本を挟んでいるつもりで、それを落とさないように振るんだ。肩が開くと、本は落ちてしまう」

 確かに振りながら左肩を開くと雑誌はポトリと落ちるが、左肩を残して振ると雑誌は落ちなかった。驚くほど簡単な理論だ。ほかの打撃コーチはややこしい方法をいくつも頭に詰め込もうとするのに……。クロマティは王のスマートさに心から感激する。

「俺はなんて幸せ者なんだろう。地球の反対側の日本料理店で、世紀の大打者から秘密のバッティング・セミナーを受けている。こんなチャンスに恵まれる人間が、世界中にいったい何人いるだろう」

王監督でなければクロマティは、すぐ帰国していた。

 何の仕事でも、信頼できるボスとの出会いは人生を変える。

 王貞治が巨人監督に就任したのが'84年、クロマティが来日したのも同じ年だ。

 マスコミからは時にワンパターン采配と批難された背番号1と、感情的かつ怠慢プレーを指摘され続けた49番。いわば戦友とも言える2人の国境を越えた師弟関係。中日の宮下昌己から死球を受け乱闘騒ぎになった試合後も、王はチームバスの中で「ナイスファイト! クロウ」とその姿勢を称えたという。

 '87年に王政権で初優勝した時はともに涙を流しながらビールを掛け合い、歓喜の抱擁を交わし喜びを分かち合った。恐らく、王監督じゃなければ、クロマティは首脳陣とぶつかり1〜2年でメジャー復帰していたのではないだろうか。

原、江川、中畑、桑田…クロマティから見た同僚たち。

 だが、自伝をただの感動話で終わらせないところが、嵐を呼ぶクロマティである。

 王采配を「心の狭いところがある」なんつって斬ったかと思えば、いつまでたってもCM出演依頼が来ない“ガイジン選手”の不当な扱いに腹を立て、当時のチームメイトたちにも言いたい放題。

 日本中のアイドルだった原辰徳をナルシスト呼ばわりし「いつも距離を置いている。一緒に飲みに行ったこともない。心から打ち解けることはない。たぶん嫉妬心が邪魔をするのだろう。お互いに、だ」と素直に心情を吐露。

 江川卓は「本当のプロで彼のバックでプレーするのは気分がいい」と褒める一方で野球への情熱を失い毎年引退の話をしていたことを明かす。

 若かりし日の桑田真澄は数々のスキャンダルでチームから孤立していた時期があり、優勝のビールかけも自分で自分の体にビールをかけていたという。そんな姿を見かねたクロマティは歩み寄って肩を組み、まるで兄貴のようにビールを注いでやるのだ。

「あいつは狂っている」

 チームリーダーの中畑清に対しての見立ても興味深い。

「中畑は俺と同じで、生まれついてのショーマンだ。成績やスコアに関係なく、シーズンを通して同じテンションを保っている。本当に偉い奴だ。頭が下がる。皮肉なのは、ジャイアンツの中で最も王を嫌っている中畑が、王のもとで誰よりも熱心にプレーしていることだ」なんてスパイスの効いたクロマティ節炸裂(もちろん『菊とバット』で見せた、この本の共著者であるロバート・ホワイティングの筆力も健在だ)。

 個人的には、やたらと乱闘騒ぎの多い中日・星野仙一監督に対して「あいつは狂っている」と嘆くところに笑ってしまった。

助っ人選手が日本に受け入れられる瞬間。

 これだけ同僚たちについて赤裸々に綴ってもあくまで暴露本ではなく、『さらばサムライ野球』が野球本史上でも屈指の名著と今も語り継がれる理由はなんだろうか? 

 それは矛盾した書き方になってしまうかもしれないが、野球以外の描写が群を抜いて素晴らしいからだ。

 良質な野球本を書きたければ、野球の向こう側を丁寧に掘り下げる必要がある。野球をするマシンではなく、ひとりの人間の人生を描くということだ。

 クロマティは'88年6月に死球を受け左手親指骨折、戦線離脱してしまい来日以来5年目で初めて夏に自由な時間ができる。この時、趣味の音楽を嗜み、様々な飲食店を食べ歩き、まるで観光客のように東京の街を楽しむことで、ニッポンの素晴らしさを再発見することになる。野球とベースボールの比較は、やがて日米文化論へと辿り着くわけだ。

日本滞在期間が長すぎて、大リーグに帰れなくなった男

 来日当初は今すぐにも帰りたいなんて嘆いていた男が、アメリカから訪ねて来た友人がレストランでダイエット・ペプシを注文するのを見て、なぜもっと日本的なものを試そうとしないのだろう。それじゃあまるで日本人がアメリカで寿司や蕎麦を食べるようなものじゃないかと疑問を呈す。そして、自ら日本語で緑茶を注文してみせるのだ。

 あれだけ拒絶していた街が、気が付けば自分の居場所になっていく体験。

 1年もつか心配していたら、結局7年間も日本でプレー。

 年月がたちすぎて、今の俺は大リーグを好きになれる自信はない。やがて、クロマティはオフシーズンにマイアミの自宅で六本木の風景がテレビに映るのを観て、すぐにでも飛行機に飛び乗って東京へ戻りたくなる。ちきしょう、あの街が肌にしみついちまったぞ……。

『さらばサムライ野球』はジャンルを越えた名作。

 この感覚は助っ人選手だけのものではないと思う。

 例えば、誰もが経験する実家を出ての初めてのひとり暮らし。

 最初は知らない街で人のいない部屋に帰るのが寂しかったのに、やがて駅前の商店街の店での買い物やワンルームマンションの一室が心地良く感じられるあの感じ。ようやく、自分はこの場所に受け入れられた。それだけで世界が変わって見えたものだ。

『さらばサムライ野球』は巨人軍で成功したヒーローの物語ではない。日本人もアメリカ人も関係ない。

 ウォーレン・クロマティというひとりの男の7年間の挑戦と成長を追った一冊であり、人間の普遍的な葛藤を描いた名作だと思う。

文=中溝康隆

photograph by Makoto Kenmisaki