ウィンブルドンの余韻もそろそろ薄れ、テニスの舞台の中心はハードコートの北米シリーズになだれ込んでいく。「グランドスラムの上位8シードはキープしたい」という錦織圭はウィンブルドンで第9シードだったが、この先、目標を維持していくのはなかなか厳しい仕事になりそうだ。

 過去1年に20大会戦ってきた錦織が保有する3740ポイントのうち、3分の1以上に相当する1320ポイントを昨年夏のマスターズ・カナダ大会と全米オープンの2大会だけで獲っている。トロント準優勝の600ポイントと、全米ベスト4の720ポイント。この夏は、これをディフェンドしなくてはならない。

 そんな中で、このところ錦織に対する風当たりがやや強くなっている。

 芝のシーズンの結果はそれに拍車をかけてしまったようだ。

 ウィンブルドンでの期待値は他のグランドスラムやマスターズ等に比べればそう高くなかったとはいえ、これまで4勝0敗の世界ランク19位(ウィンブルドンの時点では)のロベルト・バウティスタ・アグートに3回戦で敗れたことは、「それでも、せめて……」と望まれたラインにも届かなかった。

芝のシーズンがうまくいかなかったことは当然!?

「試合であんまり勝っていないので、大きな自信が試合の中で生まれてこなかった。それが思いきりの良さとか、フリーなプレーができないところではある。少しずつ自信がついてくれば、またプレーも変わってくると思う」

 錦織はそう振り返ったが、グラスコート・シーズンの成績不振の原因ははっきりしている。

 芝はもともと相性がいいとはいえず、「他のグランドスラムと比べて、セカンドウィークにいく自信が出てこない大会」である上、前哨戦のハレで痛めた腰のせいで、十分な準備ができなかったからだ。

ナダルが語った「自信」についての大事なこと。

 自信はフィジカルの充実から生まれるものだと、たとえばラファエル・ナダルがよく言っている。

 今年の全豪オープンで約3年ぶりのグランドスラム決勝進出を果たしたときも、ナダルは接戦を勝ちきるために〈自信〉がどれほど重要かを話していた。

「この数カ月、本当にがんばった。試合には出ていなかったけど、すごくいい練習をしてきたから、それを一度試合で発揮できれば、どんどん自信は湧いてくる。今回はそれができたと思う」

 とにかく勝ち星が増え、トップクラスの選手も倒していくことが大きな自信を生むもっとも効果的な手段なのだが、あのときのナダルは前年の9月以降を左手首のケガでほとんど棒に振り、迎えた新たなシーズンだった。

 しかしそんなナダルを支えたのは練習だ。

 ケガのない体で練習をこなすこと、体に不安のない状態で試合に臨むこと、この両方を満たして初めて大きな自信が生まれるとナダルは言う。

錦織のモヤモヤは昨秋から始まっていたのでは?

 錦織は今年、相性のいいマイアミで右手首を痛め、クレーシーズンに向けて自信のレベルを上げることができなかった。そして遡れば、モヤモヤしたムードは昨年の秋頃からすでに始まっているように思われる。

 昨夏の錦織の〈過剰労働〉とそこで挙げた成果は、今あらためて見返してみても大変なものだ。

 トロントでのマスターズ準優勝のあと、オリンピックで銅メダルを獲得し、全米オープンでは2014年の全米準優勝以来グランドスラムの最高成績となるベスト4入りを果たした。

 その直後のデビスカップではシングルスこそ若手に任せたが、ダブルスで責任を果たし、ワールドグループ残留のためにチームの支柱にもなった。

昨夏からのハードスケジュール等が錦織を蝕む。

 シーズン終盤は、そんな夏の疲れが出てしまったという印象を受けたが、どうもそこから抜け出すチャンスを逃し続け、ケガも重なった。今年の開幕戦のブリスベンで、当時4位のスタン・ワウリンカに勝ったのを最後に、トップ10はおろかトップ20にも勝っていない。

「大事なところを取れないというところで、もどかしさを感じる試合は多い」と錦織自身も認める現状の原因を、メンタルの問題と指摘する声も少なくない。

 年間37億円も稼ぐ日本一のアスリート長者には、当然コートで出す結果に大きな責任が伴う。その評価に見合わない負け方が目立てば、多少厳しい批判も受けて当然だろう。

 しかし、こうなるまでには、昨年夏の過密スケジュールと軽い燃え尽き現象、チームで選択した2月の南米遠征の失敗、デビスカップ欠場を巡る騒動など、大小さまざまなプロセスが少なからず影響しているに違いない。

 それを、ここにきて本人のメンタルの弱さと結論づけるのは、あまりに一面的ではないだろうか。

「普段何をされても怒らないあれほど温厚な彼が……」

 そもそも、リオ五輪でモンフィスに大逆転勝ちし、ニューヨークでアンディ・マレーをフルセットで破った錦織の強さ、特に精神力の強さを皆で称えまくったのは、わずか1年前のことである。

 コート上でのラケット破壊などマナーの問題も言われているが、日本男子3人目のツアー優勝でウィンブルドン前に話題を集めた杉田祐一が以前、自身のブログの中でそのことをテーマに書いていた内容が印象的だった。

 杉田は錦織の名前を一度も出さないまま『闘争心』について綴りながら、こう続けた。

「普段何をされても怒らないあれほど温厚な彼が、あそこまで無理やりテンションを上げて状態を維持しようとしているということの意味は私は理解していますし、どうにかして踏ん張りたいという強い思いは、私に大きな価値をもたらしてくれます」

「彼」が誰を意味しているのかは明確だ。

 たった1人で何時間も戦う同じテニスプレーヤーだからこそ言えること、同年代で昔なじみの友人だからこそ感じることには、多少偏ったところがあるかもしれないが、どんな批判よりも、あるいはどんな擁護よりも、胸に響く主張だった。

「個人的にはコーチをいろいろ変えることには賛成」

 マイケル・チャンコーチは、普段から錦織には「コート上でもっと熱くなってほしい」と望んでいるそうだ。だからといって、ラケットを投げたり壊したりすることが、激しさや熱さの発散方法として正しいわけはないのだが、「それ(熱さ)さえ失うことのほうが問題」と杉田は言う。

 それでも、今季の不振や彼の柄にない態度は波紋を招き、最近では週刊誌がチャン・コーチの解任説まで報じたが、錦織は全仏オープンの最中にコーチに対する考えを明確に語っている。

「個人的にはコーチをいろいろ変えることには賛成です。違った考えを入れる機会を作ることは大切なので、新しいコーチをつけることに興味がなくはない。実際に他のコーチと話して智恵を借りることもある。でも今は、マイケルとダンテ(・ボッティーニ)が自分を磨き上げてくれているので、現状に満足しています」

 コーチと別れたり、新しいコーチを招いたりして活路を見いだすケースは多いが、自分の確かな意思で「変えない」選択をしているなら、それもまた強さになるだろう。

 このあとは、もともとエントリーしていなかった来週のワシントン大会にワイルドカードで出場する。

 狙いは明白だ。

 ここまで十分に稼げていないポイントの獲得、そしてそれよりも大切な〈自信〉の構築に、夏の望みをかける。

文=山口奈緒美

photograph by Hiromasa Mano