低迷続く日本女子マラソン界に光を灯したのは、
同い年、同じチームの2人のシンデレラガールだ。
彼女たちの、突然の飛躍の裏にあった想いとは。
Number925号(4月13日発売)掲載、女子マラソン期待の2人の記事を全文公開します。

 マラソン12戦6勝にして、リオ五輪の銀メダリスト。世界最強ランナーの1人、ユニス・ジェプキルイ・キルワがペースメーカーを露払いに、女王然と行進していく。3連覇に向けて死角はない……はずだった。ぴたりと後ろに張り付く日本人選手の存在を除いては――。

 3月に行われた名古屋ウィメンズマラソン。先頭集団は早々に5人まで絞られ、8kmすぎ、キルワが最初の揺さぶりをかける。ペースメーカーに囁きかけ、1kmあたりのペースを突如、10秒ほど上げたのだ。この仕掛けに反応できたのは2人だけ。スズキ浜松ACの安藤友香と清田真央だった。

 安藤は言う。

「とにかくキルワについていこう、世界に挑もうと決めていたんですが、序盤にあそこまでペースが速くなるとは思ってなかったです。私にとっては初めてのマラソンだったので、『こんなに飛ばして大丈夫かな』というのは正直ありました」

 しかし、その動揺を表情には出さず、安藤は淡々とピッチを刻む。距離を開けられかけた清田も粘り強く2人を追いかける。

「キルワは速そうに見えないんです。呼吸もぜんぜんあがっていないし、まだまだ上げていけるぞというオーラを見せていました。自分としては、もうすこしうまく流れに乗っていけるかなと考えていたんですけど、思ったよりも体が動かなくて、すこし焦ってしまって……。キルワのレベルになると、気持ちの部分でもゆとりがぜんぜん違うなと感じました」(清田)

初マラソンでの活躍と、2度目の挑戦への重圧。

 清田はこれがマラソン2戦目。初マラソンだった昨年の名古屋では、田中智美と小原怜に続く日本人3位でゴール。初マラソン歴代5位となる2時間24分32秒という好タイムで脚光を浴びることになった。

 ランナーにとって真価を問われる2回目のマラソン。ただでさえプレッシャーがかかるのに加え、今年の名古屋は世界陸上の日本代表最終選考レースを兼ねていた。おまけに期待されていた小原は疲労骨折で欠場。メディアの注目は清田に集中した。練習は順調に積み上げていたものの、精神的な重圧が歯車を狂わせる。コーチの里内正幸も清田の変調に気づいていた。

「現地入り前にやった最後の2000m走は最悪の出来でした。思うように走れず、心の乱れが顔にも出ていた。本人から『怒ってください』と言ってきたほどです。そのあと寮でしっかり話しあって、何とか気持ちを立て直しました。よかったのは、現地に入って記者会見に出たことです。小原はいない。自分はこのプレッシャーの中でがんばるしかないんだ完全に吹っ切れた」

キルワから横を走るように求めてこられた理由は?

 清田は世界陸上の派遣設定記録である2時間22分30秒切りを宣言。キルワに挑戦する覚悟を固める。

 じつは今回のレース、大会新記録を狙うキルワ向けと、前半は抑えて後半に上げていく選手向けに、2種類のペースメーカーが用意されていた。「どっちのペースで行ってもいいんだぞ」と言う里内に、清田は迷わず「先頭についていきます」と答えた。

 心も体も準備は整った。ただ、百戦錬磨のキルワが繰り出す攻撃は強烈だった。ペースメーカーを使った仕掛けに加え、給水時の細かいペースの上げ下げもしてくる。15km以降、清田はじりじりと先頭から離されていく。

 一方の安藤は、あまり腕振りをしない独特のフォームで、ひたひたとキルワを追いかける。ノーマークの選手がぴったり張り付いてくることに不気味さを感じたのか、キルワは何度も手でサインを出し、横を走るように求めてくる。

「スタート直後、キルワは一度転倒したので、足を引っかけられるのを警戒したんだと思います。でも、私をライバルとして認めてくれて、『横に来ていっしょに走りなさい』と言っているんだって、発想の転換をしたんです(笑)。『じゃあ、走ってやるわよ』と隣に並びました。実際、横で走れるのは光栄だし、このままやれるだけやってやろうと思いました」

 中間点でペースメーカーが外れると、勝負はキルワと安藤のマッチレースとなった。両者ともに一歩も引かない。どこまで行くのか――緊迫感が高まっていく。

コーチが天才肌だと思った安藤は、意外と繊細だった。

 安藤のここまでの道のりはけっして平坦なものではなかった。名門・豊川高では3年のときにキャプテンとして全国高校駅伝で優勝。実業団はチームミズノアスレティックから時之栖へと進むが、体制が移り変わる中で思うようにいかないシーズンを過ごす。そんなとき同じ御嶽山で合宿をしていたスズキの雰囲気を見て、「ここでやりたい」と初めて自分の道を自分で選ぶことになる。

 里内は、彼女のことを「天才肌の選手」と見ていた。実際、練習を始めてみると、重要なところでナーバスになってしまうことがあった。

 たとえば昨年の12月、徳之島へ合宿に向かう直前、安藤は「足が痛い」と言いだした。しかし、走れないほどの故障ではない。里内は安藤を残し、清田と2人で合宿へ行くことにした。1人になった安藤はそこで自分を見つめ直す。そして、里内に「合宿に参加させてください。本気でマラソンをやりたいんです」と申し出た。「また中途半端なことを言ったら帰すぞ」。里内は条件をつけた上で途中参加を許した。結果、5日間ではあったが充実した練習ができた。

ターニングポイントとなった、1月の宮崎合宿。

 もうひとつのターニングポイントとなったのが、1月の宮崎合宿だった。30kmの変化走の中盤、安藤の心が折れたことを見てとった里内は、1kmにわたって並走し、安藤の腰を押し続けた。それで目覚めた安藤は前を行く清田に追いつく。その経験が安藤に「マラソンを走れる」という確かな手応えを与えた。レース1カ月前の40km走では2時間17分台をマーク。積み重ねた練習の成果を確認することができた。

 キルワと競っているのはフロックではない。それだけの裏づけと自信を持って臨んだレースだったのだ。

 ただ、唯一の誤算は33km地点の急坂だった。キルワがそこでスパートをかけることは想定内。だが、その切れ味が鋭すぎた。それまでいっさい表情を変えなかった安藤の口元が初めて歪んだ。

「ずっと冷静に走っていたのに、あのときだけ焦ってしまって、フォームが崩れてしまいました。でも、キルワが1km3分15秒までペースを上げていたので、さすがにしょうがなかったと思います」(里内)

「気持ちを切らすな! 粘っていけば勝機は絶対ある」

 里内が「気持ちを切らすな! 粘れ! 粘っていけば勝機は絶対あるぞ」と声をかけると、再び安藤にリズムが戻る。

 しかし、その直後の右コーナー。キルワは大外から回り込むように、だめ押しのスパートをかける。安藤は最短コースをとって追いすがるが、約6秒の差をつけられてしまう。

「それでも、キルワを追いかけることしか考えてなかったです。諦めないかぎりは必ず勝機はあると思って、前だけを見ていました。そうやって走っているうちに、景色がゆっくり流れるようになって、不思議な感覚に包まれました」

 極度に集中する中で、“ゾーン”や“フロー”と呼ばれる精神状態に入っていたのだろう。

 キルワの19秒後、ゴールに駆け込んだ安藤は、号泣しながら里内の胸に飛びこんだ。

「1番でゴールしたかったんですけど、それはかなわなくて、でも日本人トップで、目標タイムもクリアできた。いままで苦しかったことや、いろんな人を困らせてきたこと、いろんな思いがいっぺんにワーッとやってきて……あんな気持ちになったのは初めてでした」

「目標は東京でのメダル。世界陸上を通過点に」

 一方の清田も、けっして諦めていなかった。キルワと安藤の姿は目視できないが、カメラ車は見える。ひたすらそれを追いかけ続けた。里内やチームメイトから「後半もういちど行けるぞ」と声をかけられ、「まだ行ける、まだ行ける」と、最後まで気持ちを保ち続けた。結果、自己記録を45秒更新する2時間23分47秒の3位でゴール。ただ「勝負所に自分がいられなかった」と悔しさを噛みしめ、安藤とは別の涙を流した。

 安藤の2時間21分36秒は初マラソンの日本最高記録であると同時に、日本歴代4位の記録でもある。停滞状況が続いていた日本のマラソン界にとっては久しぶりの明るいニュースとなった。

 レースの5日後、2人は晴れて今夏の世界陸上の代表に選ばれた。しかし、本人たちに浮かれる様子はまったくない。彼女たちの視線の先にあるのは、あくまで2020年の東京五輪だからだ。

「目標は東京でメダルを獲ること。世界陸上はそのための通過点だと思っています」

 2人は声を揃える。

「東京五輪でメダルを」と語る選手は大勢いる。だが、そこまでのロードマップを具体的に描き、日々の練習に落とし込み、一つひとつの試合で表現していける選手は少ない。2人は名古屋でキルワという“世界”にチャレンジし、少なくとも途中までは勝利へのイメージを具現化してみせた。

 レース前、安藤と清田はこんなことを話していたのだという。

「行けるところまでキルワに付いていこう。でも、最後ふたりが残ったら、そこからはガチンコ勝負だからね」

 現実にそんなシーンが見られる日は、意外と近くまで来ているのかもしれない。

(Number925号『東京へ 安藤友香&清田真央「世界はそんなに遠くない」』より)

文=柳橋閑

photograph by Nanae Suzuki