「後楽園のリングに2回も上がることができて、僕は本当に幸せでした。

 ただ一方で、試合前にジムの会長から『リング上では何が起こるか分からない』といわれて、ハッとすることもあった。あれだけ練習でも減量でも自分を追い込んで、ヘッドギアもつけず生身で殴り合う世界です。

 だから僕は、みんなもプロボクサーになってみませんか、とは、とてもじゃないけど気軽にはいえません。ただ、本当に魅せられたし、素敵な世界だった、とはいえるんです」

 戦いを終え、まだ腫れも収まりきらない顔に爽やかな笑みを浮かべながら、どこまでも実直に、ボクシングを愛した日々を語る人物がそこにいた。かつてキマグレンのボーカルを務めたアーティストであり、経営者としても活躍している男、クレイ勇輝。

 この7月11日、後楽園ホールで行われた58kg契約4回戦に登場。6日後にプロボクサーのライセンスが失効する“定年”である37歳の誕生日を控え、“ラストチャンス”としてのリングだった。

「僕は、ボクシングに選ばれなかった人なんです」

 2011年にボクシングを始め、2013年5月にプロテストに合格。同年11月には初めての後楽園リングでデビュー戦を飾るも、1R1分17秒のKO負けを喫した。だからこの夏のリングは、ラストチャンスでありながら、己へのリベンジマッチでもあった――。結果は4ラウンドをフルで戦えたものの、0−3の判定負け。

 すべてを終えたクレイは、心の底から満足を覚えている表情で、しかしながら厳しいプロの世界を体験した者にしか語れないであろう、自分への冷静な分析を口にした。

「僕はボクシングが好きでも、ボクシングは僕を選ばなかったんですよね。僕は、ボクシングに選ばれなかった人なんです」

スパーリングが好きで、パズルや将棋のような感覚。

 振り返って2011年。楽曲制作を共にしたミュージシャンからボクシングを勧められたクレイは、正直二の足を踏んだという。幼少期に住んでいたカナダではアルペンスキー・ダウンヒルのレースに、日本に帰国後も競泳の大会にと、かつては種々のスポーツに本格的に取り組んできたクレイだが、30代になって以降、体重が以前のように維持できないことが気になってはいた。

 そこでダイエット目的に勧められたのがボクシングだった。ちなみにボクシング開始時は64kgだったという。身長173cmである彼が、如何に元からストイックな身体感覚の持ち主かは、このエピソードからも明らかだ。

 格闘技には興味がなかったというクレイ。しかし実際に恵比寿のK's BOXジムに足を運ぶと、あたたかな雰囲気に驚いた。酒を飲まない彼にとって、激しいトレーニングの場でありながらも、自らの心身を解き放つことのできる“居場所”が見つかった感触があった。その後ペースこそ多忙な時期には落ちるものの、いきなり週6で通いつめるほど、のめり込んだという。

「特にスパーリングが好きで。パズルや将棋のような感覚なんです。ジャブを出しながらフックを当てて、下が空いたらボディー、ガードが下がったら今度は上に……っていう感じで。頭を使わないと体が追い付かない、手数で勝負できない年齢というのもあるんでしょうけど(笑)」

いい曲を作っても葛藤がある中、ボクシングが与えた光。

 そして何よりボクシングは、アーティストならではの苦悩を吹き飛ばしてくれる存在でもあった。

「せっかくいい曲をつくっても、数字が伴わないといい曲だとは見なされないし、そこにはどうしても、人それぞれの好き・嫌いという評価がついてまわる。音楽は好きなんですが、そうした音楽をめぐるものに『うーん』と思っていた時期は正直あって。

 ボクシングというスポーツは、強いか弱いか、それだけなんです。どんなにカッコ悪くても、人がそのボクサーを好きでも嫌いでも、強ければいい。そんなシンプルな世界は、本当に久しぶりでした」

ライセンス獲得は“タイムリミット”との戦いだった。

 プロボクサーのライセンス獲得にしても、それこそ“タイムリミット”との戦いだった。ボクシングにのめり込んですぐ、クレイは自身がまだライセンスの年齢制限にギリギリ間に合うことを知る。「自分が昔ボクシングをやっていたと、胸を張っていえるところまで行こうと思った」。2013年7月に33歳になるまで、あと2年の間に取得しなければ――自分を追い込んだクレイは、受験資格を失う2カ月前、2013年5月9日に見事、プロテストに一発合格。プロボクサーとしてのライセンスをその手にした。

 本来は、ここで終わるはずだった。アーティストとしての活動も多忙を極め、ジムに行く回数も徐々に減り始めた。そんな折、「ペーパー(の免許)でいいの?」という周囲の声を聞き、彼の闘志に再び火がついた。2013年11月29日、後楽園ホールでデビュー戦が組まれ、当日を迎えるまではあっという間だった。

 クレイは自身がいうように、オーソドックススタイルを得意とするボクサーだが、プロテストの相手は、ほとんど経験がなかったサウスポースタイル。そしてデビュー戦も、後述する引退試合の相手も、奇しくもサウスポーだった。彼の短いプロボクサー人生は、このサウスポー対策に多くが割かれたともいえる。

強豪校のボクシング部に出向き、鼻を折られたことも。

 やれることはすべてやった。宮崎のテレビ番組出演で知り合った、屈指の強豪校・日章学園のボクシング部にスパーリングに出向き、キャプテンとの試合で鼻が折れるという洗礼も浴びた。試合直前にはミュージシャンとしてのツアーがあり、テレビでハワイロケだといっても、朝からひとりランニングで体を絞り、食事制限を続けた。「減量を経て、『あ、水ってこんなに美味いんだ』と思った」というほどのキツい日々を乗り越えて、本名の「榑井勇輝」の名で迎えたデビュー戦は、しかし、2度のダウンを喫しての1ラウンドKO負けだった。

「デビュー戦で得たものは、ハッキリ言って後悔です(笑)」と、クレイは顔をクシャッとさせながらいう。だが、「あんなに自分を追い込む日々をまた経験するのか」と思うと、「もう1試合」という決断はすぐにはできなかった。スパーリングを中心にボクシングを楽しむ日々が戻ってきた。

「LIFE」が鳴り響くなか、穏やかな表情で入場した。

 それでもライセンス失効までの月日は、残酷に過ぎていく。しかも昨夏には、練習中に右手首の靭帯を断裂。その後も痛みは引かず、今年に入りボクシング界で頼りにされるドクターに診てもらうと「手術が必要だ」といわれたという。

「スポーツをやっていたのである程度の筋肉はついているんですが、手首が細くて……その意味では、年齢的なものも含めて、フィジカルがついていかなかったんだと思います。かといって、手術をしてしまっては7月17日にライセンスが失効するまでに試合ができない。なら、もう試合をやることにしよう、と。性格的にも、口にすることでそれが形になっていく、と思うタイプなんです」

 そして7月11日、運命の“ラストチャンス”の日がやってきた。右手の痛みはおさまらず、直前までバンデージを巻くことも、グローブを嵌めることも、腕を伸ばすことさえままならなかった。それでも、キマグレン「LIFE」の曲が鳴り響くなか入場してきた彼の顔は、穏やかで、リラックスしていた。ファンたちの黄色い声援のみならず、元からのボクシング界、いや後楽園の住民による「クレイーっ!」という野太い応援の声も飛び交う。いちプロボクサーとして、再び彼は後楽園のリングに上がった。

「相手セコンドも、レフェリーも笑顔だった(笑)」

 相手選手もデビュー後2連敗で、同じく後がなく、この試合にすべてを賭けていることが、対角線上のコーナーにいるクレイにも伝わってきた。「だからこそ、僕は倒れちゃいけないな、と思いました。芸能人だろうがなんだろうがリングの上では関係がないし、怪我も言い訳にはならない。何がなんでも、立ってなきゃダメだ、と」

 その言葉通り、クレイは4ラウンドに渡って、リングに立ち続けた。手数を多く出しながら突っ込んでくるタイプの相手選手に対し、パンチはもらいながらも隙を突いては反撃を仕掛けた。得意の左ボディーが相手を捉えた瞬間には会場も沸いた。そして、動かないはずの右も、威力こそ減じられているものの、痛み自体を吹き飛ばすように、果敢に相手に打ち込んだ。最後まで気力を振り絞って戦う、そのリング上の姿に、終盤は「クレイ! クレイ!」と場内から大きなコールが巻き上がった。そして、試合終了の、そしてクレイの“引退”のゴングが鳴り渡った――。

 判定負けの結果にも、リング上のクレイは、どこまでも晴れやかな笑顔を見せていた。

「本当に幸せでしたね。相手のセコンドの方も、なぜかレフェリーの方々まで笑顔で(笑)。まるで映画のワンシーンのようでした。

 アーティストとして武道館に立つのとはまた異なる、脳裡が真っ白になるような後楽園ホールのリングを、2度も体験できた。あんな瞬間、これからの人生でもあるかどうかわかりません。結果にかんしては、僕は弱かった、以上。それがボクシングですから」

シニア向けのアマチュアの大会に出るかも。

 彼の職業や、それを取り巻く装飾的な言葉を剥ぎ取った先にある、「人ひとりがプロボクサーとして後楽園のリングに上がること」の意味が、彼のコメントからは見えてくる。プロとして命を賭ける人々に対するリスペクトと、そうした選手たちがしのぎを削る世界にわずかな期間でも身を投じた矜持、そして勝利へ届かなかった力量に対する、さっぱりとした自己認識。だからこそ冒頭の台詞が、また異なった趣で響いてくるのだ。

「軽はずみで、みんなもやってみませんか、とはやっぱり言えません。でも本当に素敵だったし、僕はこのボクシングの世界に魅せられた人なんです。今回の試合後に、ジムの会長に『もっと早くボクシングと出会いたかった』と漏らしたぐらい(笑)」

 そんな彼は、場こそ違えど、またリングに戻ってくることがあるかもしれないという。ボクシングの魅力は、人を捉えて離さないのだ――。

「リング上で出会えたものは、想像以上に大きかった。またやりたいな、とは思いました。シニア向けのアマチュアの大会に今後出ることは、あるかもしれませんね。人生で一回は、オーソドックススタイルの人とちゃんと試合をしてみたいですし!(笑)」

文=宮田文久

photograph by Ichisei Hiramatsu