7月の高校野球は、言うまでもなく8月の甲子園大会の各都道府県予選だ。

 多い日には、全国で100試合以上の予選が行なわれ、試合の数と同じだけのチームが姿を消す。

 ネット裏には、熱心なファンに混じってプロ野球のスカウトたちが、その素質に惚れ込んでここまで1年、2年と追いかけてきた選手たちの成長ぷりの、最後の確認にやって来ている。

 グラウンドでの戦いも熱いが、熱戦を見守るスタンドにも、もう一つの“熱い闘い”が人知れず展開されているのだ。

予選をネット裏ではない場所で見つめる大学の監督。

 その予選の球場で、こんなことがあった。

 最初の試合が終わって、次の試合の“背番号8”がお目当ての選手だった。

 試合が始まると、外野手のスローイングを見られる機会が少ない。キャッチボールの初球をどのぐらい丁寧に投げ始めるのか。前の足にどれぐらい乗っかった遠投ができるのか。近くで見たくてスタンドを外野の方へ歩いていくと、スタンドの上の方から、声をかけられた。

 見上げると、サングラスに帽子、首にタオルを巻いて、こっちを見下ろしてニコニコ笑っている。

 人相はさだかではなくても“匂い”でわかる。ある大学の、監督である。

 なんでそんなところで……? と訊くと、「皆さんのおじゃまをしちゃいけないから」と、ネット裏を指差している。狙っている選手が、プロ野球スカウトたちと重なっているのだ。

「負けてほしい……大きな声じゃ言えませんけど」

 内野スタンドも、もうほとんど外野に近い場所だ。そんな所で見にくくないのですか……? と訊くと、こんな話をしてくださった。

「ウチはもう『獲る!』って決めてますから。実力も判断がついてます。試合も練習も見に行って、ウチのグラウンドにも来てもらって、練習参加もしてもらって、学生たちとの実力比較も済んでます。直接いろんな話もして性格もつかめてるつもりですよ。今日は、元気なのを確かめに来ただけ。私にとっては、今日の試合でできれば打ってほしくない。ほんとの本音をいえば、負けてほしい……大きな声じゃ言えませんけどね」

 すぐ横で保護者会の父兄たちが話していたので、最後のところは、明確に聞こえたわけではなかったが。

「私たちの勝負は、試合が終わった後ですから……」

 そんなことを言い添えてもくれた。

2年生の秋ごろに“内定”が出ることも珍しくない。

 学生野球のスカウティングの始動は早い。

 これ! と思う選手には、1年秋あたりから、所属する高校の監督さんに興味があるとの意思を伝える。

 実戦の様子を見ながら、2年生になれば練習参加を勧めて、間近で実力の“本当のところ”を見極め、会話を重ねて自分のチームに合った性格かどうかを判断する。

 大きな故障さえなければ、2年生の秋ごろに“内定”が出ることも珍しくないという。

 試合を見に行けば、必ず試合終了まで見届け、球場の外で監督やお目当ての選手が出てくるのを待ち、熱心にアプローチしていることをアピールする。

 ファンなら誰でも知っているような学生野球の監督さんが、球場の外でじっと出待ちをしている姿を私は何度も見ている。頭の下がる思いにかられる瞬間である。

 プロ野球のスカウトたちは、高校生選手が退部届を出すまで、直接会って言葉を交わすことはできない。プロと高校野球との間には、スカウティングに関するいくつかの制約がある。

 一方で、学生野球と高校野球、つまりアマチュア同士の間にはこうした“縛り”がない。いいことだと思う。

一度も会ったことがない相手と結婚するようなもの?

 お互いにお互いを理解して、その上で進路を決める。大学進学という人生の一大事を互いの納得の上で決められる環境は、プロ入りのそれとは比較にならないほど健全であると考えたい。

 プロ入りする選手には、選手と一度も面談せずにドラフトで指名し、高額な契約金を支払って入団させるという例もあるという。

 かつてこの国には、お互い一度も会ったこともないのに、親同士が決めて婚姻関係を結ぶ、そんなことが普通に行なわれていた時期があったと聞く。思わず、それと重ねて笑ってしまったことがある。

 また別の大学の監督は、このように語っていた。

「有名な強豪校ならいいんですよ。自分たちみたいな地方リーグのチームは、知名度もそんなにないし、学校がどこにあるのか……そこから説明しなきゃならない。去年、大学出たような若い高校の監督にも何度も頭を下げて、結構きびしいものなんですよ」

「高校の監督さんの“目”、そんなに信用してない」

 すでに、他の大学からもいくつか声がかかっている。本人と家族に推薦するために、何か条件をつけてもらえないか。学費免除、寮費免除、ぜんぶ免除など、足元を見られて、思いもしないほどの要求をされることも少なくないという。

「強豪の大学なら最初からエース、4番を狙い撃ちで声をかけられるでしょうが、私たちぐらいのチームだと、甲子園組なら2番手投手か下位打線でキラッと光るヤツ。せいぜい、そのクラスでないと話が現実的にならない。ならば、むしろ“予選組”の、それも早めに敗退したようなチームの隠れた逸材ですよ。いますから、結構。まめに見て歩いていれば。

 こう言っちゃなんですけど、私、高校野球の監督さんの“目”ってそんなに信用してないんですよ。高校野球のレギュラー、控えって実はそんなに差はないと思ってます。逆に、エースより2番手のほうに2倍ぐらい伸びしろを持った子がいること、ありますから」

 育てる楽しみ、ですか…?

「育てばね……」

 妙におだやかな笑顔で、その監督はこう返してくれた。

「大学ぐらいになったら、自分から育とうと思ってないと伸びないですよ。そこを見極めるのが、僕らあんまり知名度のないチームの監督の仕事だと思ってます。予選組の高校の2番手、3番手なんて、本当のところ、自分のこと『オレなんてこんなもんか……』ってタカをくくってるようなのが多いですよ。でもね、そんな火の消えかかってるヤツの中でも、まだ奥の奥のほうに熱いもの残してるヤツがいるんです。そういうのを探すんです、高校のグラウンドへ行って、こっちから声かけて、話をしてね」

「それが僕の“人探し”のやり方なんです」

 そんな姿勢の中から、何人ものプロ野球選手を生み出してきたのも、そのチームの事実だ。

「スカウティングとか、そういうかっこいいもんじゃないですけど、それが僕の“人探し”のやり方なんです」

 8月。

 高校野球が甲子園一色に塗りつぶされる頃、監督が「こいつだ!」と心に決めた選手たち。彼らが自分たちの“終戦直後”をどう過ごしているのか。それをソッと眺めに、高校のグラウンドへ行ってみるのを楽しみにしているそうだ。

「スカ食らうこともありますけどね……」

 また、それも一興、なのだそうだ。

文=安倍昌彦

photograph by Hideki Sugiyama