その太陽がまぶしすぎて、心を閉ざした男がいた。
いつの日か対峙せんとして果たせなかった男がいた。
それぞれの路は続く。見上げれば彼はそこにいる。
Number926号(4月26日発売)の特集記事を全文掲載します。

 小山良男はこの19年、必死で自分をあの夏から前に進めようとしてきた。

「後ろを振り返らないという意味でも高校時代について取材は断ってきたんです」

 どんなシナリオもかなわない戦いの末、甲子園のマウンドでガッツポーズした松坂大輔に真っ先に抱きついたのは小山だった。怪物と1つのフレームに収まったそのイメージは他者の中で永遠になり、そこから小山に対する時間は止まった。

 亜細亜大に進み、先輩投手のボールを受けると、こう言われた。

「すまんな。松坂より遅いだろ」

 苦笑いで言うしかなかった。

「そんなことありません……」

 球場では試合にも出ていない1年生の小山が記者たちに囲まれた。

「松坂くんがまた勝ったけど、どう?」

 いつしか、苦笑いが顔に張り付いた。

「僕は小山なのに。先に進もうとしているのに……」

 そして2年時の大学選手権、優勝を決めるホームランを放った小山は先輩たちと抱き合い、涙した。翌朝、胸を躍らせて新聞を買ってきたが、見出しに絶句した。

「あの松坂とバッテリーを組んだ小山がいる亜細亜大が優勝したという感じだったんです。寂しかったですね。僕は亜細亜大の小山なのに。先に進もうとしているのに、なぜ昔の話ばかりなのかって……」

 1歩、1歩、人生を進めてもいつも過去に引き戻される。6年遅れてのプロ入り。実績という点で松坂の背中はもう見えないほどになっていたが、周りはその差をなかったことにして小山を見る。重かった。だから高校時代について、松坂について、公には口を閉ざした。中日黄金時代の裏で実働3年、9試合出場という足跡を残してひっそりとユニホームを脱いだ。

「結局、対戦したいのは松坂大輔だった」(小池)

 小池正晃と後藤武敏には打者としてのやり残しがある。横浜高校時代、杉内俊哉、新垣渚、上重聡、久保康友ら全国屈指の投手を倒し、公式戦無敗を誇った彼らが誰よりも対戦してみたかった投手がいる。

「結局、対戦したいのは松坂大輔だったんです。そこにしか照準があっていなかった。ずっとどうやって打つか考えていた」

 ライトを守っていた小池は松坂を後ろから見ることしかできなかった。その背中は「俺たちは負けない」という不思議な自信の根拠だったが、同時に打者としての欲求も駆り立てられた。どんどん大きくなっていく松坂を目の当たりにしながら、相手打者にどこかで嫉妬していた。

 それが叶えられたのは唯一、練習でのシート打撃だった。松坂が投げる。

「ただただ本当に楽しい時間でした。大輔がどこまで本気だったかはわからないですが、結構打ったんですよ」

引退を告げると後藤は何も言わず、ただ泣いていた。

 他のメンバーはプロの門をたたかず、あえて別の道を行った者も多いが、小池と後藤は追いかけた。松坂に立ち向かう打席を求めて。

 だが、小池の願いはもう叶わない。'13年限りでバットを置いた。ついに公式戦で対することはなかった。

「未練があるとすれば、大輔と対戦できなかったことです。自分がプロで力をつけてきた時、大輔はもう抜けていっちゃってましたけど、彼と自分がどういう位置関係にいるかを真剣勝負で測りたかった」

 引退した年の8月、まだ二軍にいた小池はほぼ覚悟を決めていた。だが、かすかな未練が断ち切れない。そこで後藤と、横浜高の先輩として慕ってきた多村仁志の2人に会った。指導者を目指すか、他球団で現役を続けるか。自分にまだその力があるのか。

「2人には正直に言ってほしい……」

 行き付けの店にいつもと違う沈黙が流れる。後藤は何も言わず、ただ泣いていた。代わりに多村が言ってくれた。コーチの道に進むべきだ、と。

登録名は「ゴメス」でも変わらぬ「ごっちゃん」。

「僕もある程度、答えを決めていて、そのダメを押してほしかった。最後のところを委ねてしまったんですけど、後藤が何も言えず泣いているのを見たら、答えはわかった。そこまで言いたくなかったんでしょうね。僕も後藤だったから相談できた。昔からそういう関係にいるんです」

 後藤もバット1本で同じものを追いかけてきた親友の未練は痛いほど分かっていた。だから介錯の刀は振れなかった。

「あの時、僕は黙ってしまったけど、多村さんが『横浜に恩返しするつもりで』と。3人で泣きました。そこで僕は高校のとき以来の小池の涙を見ました」

 後藤は今、代打として生きる道を決め、バットを振っている。朝起きてから、あらゆる行動をひと振りに結びつける。球場へ向かう車内、真上に打つような独特のティー打撃、ガムを噛むこと……。すべて自分でつくり上げたルーティンだという。

「かなり神経質ですよ。性格は。高校でも大学でもどこに行くにもバットは持っていました。1日でもスイングを怠ったら打てなくなると、自分で解釈してしまう。本当はルーティンなんてない方がいいんです。ほんとに疲れますから」

 チーム最年長の36歳。登録名の頭に「ゴメス」。若手にとっては強面の重鎮かもしれないが、素顔は繊細で生真面目で涙もろくて、それゆえ愛される高校時代の「ごっちゃん」のままだ。そんな後藤は小池の思いも背負って松坂への旅を続ける。

「高校時代、シート打撃で真剣勝負をして、まっすぐと言われても当たらない。すごく衝撃を受けて以来だから。ナンバーワンの投手は今でも松坂だと思っていますから。一番の夢は交流戦、横浜スタジアムで松坂と対戦すること。彼が日本球界に戻ってきて、ひとつまた夢が増えました」

ナゴヤ球場で小山コーチは20歳の捕手に指導していた。

 名古屋市中川区のナゴヤ球場。コーチとして歩み始めた小山の前には20歳の捕手がいる。育成選手の藤吉優だ。

「去年は怪我もあって6試合しか出ていなかったので捕手としての立ち居振る舞いからですね。この前、スタメンで出て試合を作っていた時は僕も嬉しかったです」

 高校時代、松坂の剛球を捕るため小倉清一郎部長から至近距離のノックをよく受けた。そのノックを今、藤吉に打っている。

「150kmの投手を受けるんだから、170kmを体感しろって言われて。僕はあんなに強くは打てませんけどね(笑)」

松坂と一緒につかんだ、2009年WBCでの世界一。

 そんな小山にプロ野球人生のハイライトを尋ねた。'05年に放った初ヒットかと思いきや、しばらく考えた末にこう言った。

「選手としては全然やり切れていないんですが、2009年のWBCで世界一を経験させてもらったことですかね」

 '09年、ブルペン捕手として侍ジャパンに参加した。そこでは年下の投手陣とのコミュニケーションに悩んだ。代表のエースだった松坂に相談すると、選手とスタッフの食事会を開催してくれた。2次会には裏方では小山だけが参加し、彼らと心を通わせた。そして、世界一となったロサンゼルスの夜、投手陣の「ヨシオ・コール」の中、監督や選手に続いて胴上げされた。

「普通、スタッフは選手と食事に行こうなんて思えないんですが、松坂と一緒にいたおかげかもしれないですね」

「松坂のいいところは弱みを見せないところ」

 かつて自分があの夏に縛りつけられるような恐怖に苦しんだ。だが、気づけば高校時代と同じノックを打ち、松坂の登板をチェックし、その結果に喜んだり、悲しんだりしている自分がいる。

「やっぱり松坂大輔を気にしてたのかな。そうしないようにしてきたつもりでも、気にしてたのかもしれませんね……」

 今、松坂はマウンドに上がるためにもがいている。高校時代、一塁手として常に声を掛け、西武でも同僚だった後藤は2年前、肩の手術直後に会いに行ったという。

「時間があったのでお見舞いに行けたんです。でも彼のいいところは弱みを見せないところ。すごく前向きでいました。だから必ず復活すると思っています」

「僕の中では今もクラスメイトの『マツ』です」

 右翼から、ライバルとしてその背中を見つめていた小池は電話で話したという。

「おう、頑張ってるか、とは言えるけど僕はそれ以上入っていけない。高校の時、大輔が全国区になっても僕は『ちゃんと投げろ。手抜いてんじゃねえ』と言っていた。大輔も『ちゃんと守れ』と言ってきた。でも、お互いにそれ以上は踏み込まない」

 そして白球のやり取りで松坂と会話してきた小山は捕手らしく、投げるためにあがき続ける胸の内を察した。

「決勝でノーヒットノーランはできませんよ。凄いです。でも普段は全然そう思わない。僕の中では今もクラスメイトの『マツ』です。もし金や名誉のためであればキャリアを終えてもいいと思うんです。それでもこだわるのは投げるのが大好きで、意地もあるからじゃないですか。ならもっと頑張って欲しいと思ってしまうんですが……」

 怪物であろうとなかろうと、いつも腹蔵がなく、寛容で、容赦がない。それぞれの距離感でマウンドの松坂を見守っている。甲子園のダイヤモンドに散っていたあの頃と変わらない彼らの存在は、松坂がマウンドに立ち続ける理由の1つであるのかもしれない。

(Number926号『小池正晃/小山良男/後藤武敏「松坂への旅」より』)

文=鈴木忠平(Number編集部)

photograph by Hideki Sugiyama