陸上の日本選手権で100m、200mともに自己ベストで2冠を達成したサニブラウン・アブデルハキームのニュースを目にするたびに、「なぜオランダ?」と思われている方は多いのではないだろうか。

 サニブラウンは1月からオランダ陸連の短距離チームを指導する米国人コーチ、レイナ・レイダー氏の指導を受けて今季大きく飛躍した。日本選手権で2冠を達成し、ロンドン世界陸上への切符を手にした。

 サニブラウンはロンドン世界陸上後に米国フロリダ大学へ進学するが、米国学生スポーツ協会(NCAA)の規則により、入学前に大学のコーチに指導を受けることはできない。日本にとどまる選択肢もあったが、入学前に語学力をつける必要性から、そして高いレベルで練習を積むために海外コーチに師事する決断をし、1月にオランダに向かった。

オランダが外国人選手を受け入れる理由とは。

 サニブラウンの今季の活躍の陰には、2人のキーマンが存在する。1人は前述したレイダーコーチ。もう1人はオランダ陸連強化委員長のアド・ロスカム氏だ。

 サニブラウン陣営がレイダーコーチを選んだのはいくつか理由がある。高校、大学、そしてプロチームで指導経験がある点、技術的に優れたコーチングに定評がある点、そして年齢や性別が異なる選手を指導している点などがあげられる。

 米国にあるクラブチームやプロチームも候補に挙がったものの、郊外を拠点にするチームも多く、安全性や車なしでの移動の難しさを考えると、オランダ行きが最善という結論に達した。

 2015年世界ユースや北京世界陸上の動画を見たレイダー氏はサニブラウンの才能を見込んで、すぐに指導を快諾。その後ロスカム氏にサニブラウンの受け入れを相談し、ロスカム氏もチームへの加入を最終的に許可した。

 オランダ陸連の専任コーチがオランダ以外の選手を指導していることに違和感を持つ人もいるかもしれないが、それもロスカム氏の強化策の一環だ。

バートレッタなど超一流がオランダに続々と集結。

 当然レイダーコーチの仕事はオランダ選手の強化だが、海外選手の指導も認められており、現在は北京世界陸上200m金メダルのダフネ・シパーズなどオランダ選手8人のほかに、三段跳で五輪連覇のクリスチャン・テイラー(米国)、リオ五輪で走幅跳金メダルのティアナ・バートレッタ(米国)、北京世界陸上女子走幅跳び銀メダルのシャラ・プロクター(英国)をはじめ、海外選手7人を加えて合計15選手を指導している。

「オランダの選手がレベルの高い海外選手と練習することで、いい刺激がもらえると思う。常に世界を感じながら練習できるのは大きい。また海外選手にはオランダ選手がステップアップできるように手助けしてほしいと思っている」とロスカム氏は期待を寄せる。

 その言葉通り、オランダの選手たちは日々高いレベルの選手と練習できるほか、ベテランの海外選手は練習中に若い選手にアドバイスしたり、調子が良くないときは励ましたり、メンター的な役割も果たしている。レイダーコーチの指導する8選手中7人がオランダ代表権を獲得したように、ロスカム氏の強化策は順調だ。

ロスカム氏は実は元水泳選手……なぜ?

 ロスカム氏は元々水泳選手で、その後、水泳コーチ、オランダ水泳連盟の強化委員長、オランダ五輪委員会を経て、2014年からオランダ陸連の強化委員長を務めている。

 水泳の強化委員長だった2000年シドニー五輪でオランダは金メダル12個を含め、25個のメダルを獲得した。その際に「代表選手を1つの場所に集約して、外国人コーチの下で一緒に練習させる」という強化方法を採用し、成功を収めた。

 そのため陸連の強化委員長に就任するとすぐにレイダー氏を短距離・跳躍コーチとして招聘したほか、4人のオランダ人コーチを陸連コーチとして雇い、現在は多くのトップ選手が彼らのもとで練習を行っている。

 水泳から陸上と全く異なるスポーツの強化に携わっているが、「オランダでは(競技間で移動するのは)珍しいことではないですよ。五輪委員会の時は体操の強化にも関わりました。強化方法の本質はすべての競技に通じていると思います」と話す。

 水泳では米国人コーチを、体操では日本人コーチを雇ったこともあると言う。自国にいない人材は他国から採用し、彼らのノウハウを選手やコーチに伝えてもらうことで、自国のコーチや選手の育成になると考えている。とても合理的な発想だ。

「オランダを離れても、ハキームを応援しているよ」

 特筆したいのは、オランダ陸連がサニブラウンをはじめとした海外選手も自国の選手と同様に手厚くサポートしている点だ。サニブラウンのオランダの住居や滞在許可書の手配、健康診断や血液検査のための病院の予約なども、オランダ陸連の担当者がボランティアで行っている。

「ここで練習している選手は国籍にかかわらず、皆、仲間だから。才能のある選手をサポートするのはとてもやりがいのある仕事だ。国という枠は関係ないよ」とロスカム氏。

 今大会後、サニブラウンは進学予定のフロリダ大学に向かうため、オランダでの練習は7月下旬が最後となった。

「ハキームが大きく羽ばたく段階の手伝いをできて、本当に良かった。オランダを離れても我々は皆、ハキームを応援しているよ」

 ロンドンでの世界陸上に、オランダからは28選手が出場する。北京世界陸上200m優勝のシパーズには連覇の、女子7種競技の3選手にはメダルの期待がかかる。サニブラウンの快進撃を支えたオランダ陸連の強化策が、今大会どう実を結ぶのか注目していきたい。

文=及川彩子

photograph by Ayako Oikawa/Takashi Shimizu