ハンガリー・ブダペストで行なわれていた世界水泳選手権が終わり、競泳では、日本は銀4、銅3の計7個(非五輪種目1個を含む)のメダルを獲得した。

 リオデジャネイロ五輪の翌年、次のオリンピックへ向けての1年目だ。2020年へのスタートのシーズンでのこの成績を、どう捉えればよいのか。メダルの数で言えば、ロンドン五輪翌年の2013年の世界選手権は金1、銀2、銅3の計6個(非五輪種目1個を含む)。また、リオデジャネイロ五輪は金2、銀2、銅3の計7個だった。

 金メダルがなかった分、寂しく見えるかもしれないが、数から言えばそう悪いわけではない。加えてオリンピック、世界選手権を通じて初めての出場だった大橋悠依が200m個人メドレーで銀メダル、200m平泳ぎでは小関也朱篤が銀、渡辺一平が銅と、世界選手権で初めてのメダルを獲得といった収穫もあった。

「記録が伸び悩んで危機感を感じています」

 ただし、首脳陣の危機感は強い。それを端的に表しているのは、平井伯昌ヘッドコーチの言葉だ。

「2011年以来の金メダルなし、若手の台頭はありましたが、オリンピアン、メダリストの記録が伸び悩んで危機感を感じています」

 打開策として語った言葉が興味深い。

「チームジャパンとして戦う方がいいのではないか。お互いに助け合っていく、東京のときは国別対抗だという意識をもってやっていきたいと思います」

 帰国後にも、秋以降に合宿を重ねるなどして代表チームでの活動の割合を高めたいという趣旨の話をしているが、「国別対抗」という言葉が印象に残った。

 もともと競泳は、チーム力を高めることで、個の力を引き出す方向を打ち出してきた。時期としては、1996年のアトランタ五輪で史上最強をうたわれながらメダルなしに終わったあとからだ。

五輪のプレッシャーは個人では受け止めきれない。

 当時、ヘッドコーチに就任した上野広治氏が掲げたのが、代表を文字通り“チーム”にすることだった。

「個人競技ではあるけれど、オリンピックのようなプレッシャーのかかる舞台では、個人では受け止めきれない。みんなで送り出すことで力を出せる」

 そんな考えを生むヒントとなったのが、高校生の大会だった。

「大会のときは、学校の水泳部が一丸となって応援する。学校対抗なんです」

 それ以来、所属クラブ間の垣根を取り払ってコーチと選手の間の壁もなくすことに腐心した。2000年前後からの選手たちは、その過程を積み重ねてきたことで選手ミーティングも当たり前になっていった。

 チームであることを土台にしつつ、リオデジャネイロ五輪の前の年あたりからは所属先のコーチと選手で計画を練り、強化を進める方向性も打ち出してきた。最も選手をよく知るコーチが主体となるのがよいのではないかという考えあってのことだ。それがリオデジャネイロ五輪での金メダル2個を含む7個のメダルにつながった。

経験ある選手のトレーニングを見せて、刺激を与える。

 その一方で、結果を出せない選手もいたのも事実である。普段から指導しているコーチが最も選手を知っているのは確かだが、それを徹底させすぎるとかえって近視眼的になる可能性も生まれる。ゆえに選手が行き詰まりを感じ、不振に陥った面を感じさせたケースもあった。そのような場合には、外部の刺激があった方が潤滑油になることもある。

 今大会を終えて、さらにチーム化を図ろうとしている理由には、若手の伸び悩みにもある。平井コーチの中には、ジュニア世代の選手をナショナルチームに呼んで一緒に練習させるプランもあるという。経験のある選手のトレーニングを目の当たりにする機会の重要性を感じたからだ。

“後輩が先輩に学ぶ”という場であってほしい。

 国別対抗という言葉は、前述した学校対抗と似ている。また、上野氏には日本代表が、部活動のように“後輩が先輩に学ぶ”という場であってほしいという思いもあった。そういう点でも、平井コーチの発想には通じるものがあるし、原点を再確認するようでもある。

 チームとしての強化は、経験のある選手たちも問われることになる。これまでチームとしての成功をもたらしてきたのは山本貴司、北島康介、松田丈志ら、リーダーシップがあり周囲を牽引できる存在があったことも要因だ。練習ひいては競技に向かう姿勢、後輩への目配りができた彼らがいたからこそだ。

 指導者たちのコミュニケーションもさることながら、東京五輪へ向けて、そうした選手が複数名出てくるかどうかも、チームとしてあらためて強化を推し進めようとする競泳日本代表の鍵を握る。

文=松原孝臣

photograph by AFLO