念願の海外移籍。それも2部とはいえ、敬愛する原口元気もプレーするドイツへの移籍。しかし当の本人に笑顔はなく、言葉数も決して多くない。その様子から、難しい決断だったことがうかがい知れる。

 浦和レッズが誇るサイドアタッカー、22歳の関根貴大がドイツ2部のインゴルシュタットに移籍することが決まった。ヴァンフォーレ甲府戦の翌日、8月10日にドイツに向かい、現地でメディカルチェックを受けて、正式に契約を結ぶという。

「チーム状況やこのタイミングということもあって悩みましたけど、海外に挑戦するチャンスが今、自分にはあって、そこに向けてチャレンジしたいなと思って、思い切って決断しました」

 移籍するにあたって関根は、素直な心境を明かしている。

原口に言われた「お前は行きたいのか」。

 関根を悩ませていたのは、言うまでもなく監督の途中交代に至った浦和の不調だ。4月には首位に立ったが、5月に入って急降下し、7月29日の北海道コンサドーレ札幌戦で0−2と敗れた翌日、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の解任が発表された。

 オファーが届いたことを関根が知ったのは、まさに札幌戦を終えたばかりのときだった。ジュニアユースから浦和のアカデミーで育ってきた、生え抜き中の生え抜きである。このタイミングで出て行っていいのかという迷いと、海外移籍のチャンスが巡ってきたという喜びとの間で、気持ちが揺れ動かないはずがない。

 悩める関根の背中を押したのは、同じくアカデミー出身の先輩のひと言だった。

「元気くんからシンプルに『おまえは行きたいのか、行きたくないのか』と言われて」

 多くの会話をかわしたわけではないが、そのひと言で十分だった。

「自分の気持ちに素直になって、本当に行きたいと思った。それが一番大きかったと思います」

原口のヘルタが「けちょんけちょん」の試合を見て……。

 プロになったばかりの頃は、海外移籍は漠然とした憧れだったという。それが現実的な目標へと変わったのは昨年12月、オフを利用して原口を訪ね、ブンデスリーガの試合を観戦したときだった。

 対戦カードは、フランクフルト対マインツ、ドルトムント対ホッフェンハイム、ライプツィヒ対ヘルタの3試合。なかでも大きな衝撃を覚えたのが、原口の所属するヘルタがレッドブル・アレナに乗り込んだライプツィヒ戦だった。

 昇格チームでありながら大旋風を巻き起こしていたライプツィヒはこの時点で2位。一方のヘルタも3位という、上位対決の好カードだ。しかし、試合は一方的なものになる。ライプツィヒの津波のようなアタックにヘルタが飲み込まれ、完敗したのだ。

 今季の開幕直後、関根は目を輝かせながらこう語っていた。

「0−2でしたけど、ヘルタがけちょんけちょんにやられて、何もできなかった。ライプツィヒは2部から上がってきたばかりなのに、すごく良いサッカーをしてるんですよ。ライプツィヒの試合を生で見られたのは、本当に勉強になりました。しかも、みんな若いんですよね」

関根より年下の選手が活躍するライプツィヒ。

 この試合で攻撃的MFを務めていたマルツェル・ザビツァーと2トップの一角であるユスフ・ポウルセンは'94年生まれの22歳(当時)。ボランチのナビ・ケイタと右サイドバックのベルナルドは'95年生まれの21歳(当時)。2トップのもうひとりで、のちにドイツ代表に選出されるティモ・ベルナーに至っては、'96年生まれの20歳(当時)で、'95年生まれの関根より年下だったのだ。

 エネルギーあふれる若いタレントたちが狭いスペースの中で爆発的なプレスを繰り返し、ボールを奪うとトップスピードで一気に敵陣へとなだれこむ――。関根が目の当たりにしたのは、まさに最先端の現代サッカーだった。

「そんなに強いチームには行けない」からこそ。

 得たのは刺激だけではない。ヨーロッパでプレーすることの難しさを、改めて感じ取っている。

「元気くんはあんなに頑張って守備をして、ハードワークして、何度も裏を狙っているのに、ボールが出てくるのは数えるほどだし、出てくるボールも厳しいものばかり。浦和の場合は周りに上手い選手が多いから、自分が裏を狙えばボールが出てくる。そう考えると、元気くんの凄さが分かる。自分がもしドイツに行けたとしても、そんなに強いチームには行けないと思うから、そういう中でどれだけもがいてやれるか……」

 このとき口にした「そんなに強いチームには行けない」というくだりは暗示的で、この頃から自分が何をすべきか、しっかり見据えていたことが分かる。

 5ゴール10アシスト――。

 ドイツへの想いを膨らませて帰国した関根が、今季の目標として掲げた数字がこれだ。

「ゴールとアシストをもっと増やす。あと、これまで以上に走ることを意識したい。もっと怖さを見せないと、って思うんです」

 覚悟のほどは、プレーから滲み出ていた。右サイドからカットインして味方にボールを預けると、人垣をかき分けるようにして裏に飛び出し、リターンをもらう。サイドに流れたシャドーの選手と入れ替わって中央のスペースに潜り込み、シュートを放つ。

 シーズンの半分を終えた時点でACLを含め公式戦5ゴール8アシストをマーク。しかも、この成績をFWでも、攻撃的MFでも、ウイングでもなく、守備の負担も強いウイングバックとして出場しながら実現してみせたのだ。目標はいつしか5ゴールから10ゴールへと上方修正された。

月間ベストゴールに選ばれた5人抜きドリブル。

 なかでも大きな意味を持つのが、7月の月間ベストゴールに選ばれたサンフレッチェ広島戦でのゴールだろう。

 リーグ戦3連敗で迎えたこの試合で、浦和は2点を先行しながら逆転を許す。だが、85分に関根のスルーパスをズラタンが決め、3−3で迎えたアディショナルタイム。センターライン付近からドリブルをスタートした関根は、柴崎晃誠と清水航平の間をすり抜けると、さらにスピードアップする。野上結貴のスライディングをかわし、千葉和彦と水本裕貴を抜き去り、ゴールエリアに右サイドから切り込んでいく。

「GKが少し寄っていたのが見えたので、そこしかないなって」

 右足で渾身のシュートを放つと、ボールはGKとニアポストのわずかな隙間を抜け、逆サイドのゴールネットに突き刺さったのだ。

原口が話していた「チームの調子が悪い時」の大切さ。

 '04年のジュビロ磐田戦で長谷部誠が、同じく'04年の東京ヴェルディ戦で永井雄一郎が、あるいは'11年の大宮アルディージャ戦で原口が決めたような、浦和の歴史に残るゴールだった。

 だが、このゴールが大きな意味を持つのは、スーパーゴールだったからではない。

 その数日前、シーズンオフで帰国した原口が、アカデミーの後輩について、こんな風に語っていた。

「関根はこれからもっともっと伸びると思う。今シーズンも活躍しているみたいですけど、選手の真価が問われるのは、今だと思う。チームの調子がいいときは誰でも活躍できる。調子が悪いときにチームを救う活躍を見せてほしい」

 まさに関根が決めたのは、苦しむチームを救うゴールだったのだ。

「チームを勝たせるゴールを奪えたことが、本当に嬉しいですね」

 試合後の関根は疲労困憊といった様子だったが、晴れやかに胸を張った。

インゴルシュタットはアウディをバックに持つ新興勢力。

 関根が加入するインゴルシュタットは、'04年に産声をあげた新興クラブ。メインスポンサーは、大手自動車メーカーであるアウディ。そのサポートによって、創設からわずか11年で国内最高峰の舞台にたどり着いた。

 1部初参戦となった'15-'16シーズン、ラルフ・ハーゼンヒュットル監督に率いられたチームは、前線から連動して果敢に追い回すプレスと速攻を武器に11位と躍進を遂げたが、ハーゼンヒュットル監督が退任した昨季は17位に終わり、2部降格を避けられなかった。

 1年での1部復帰を目指す今季は、7月29日の開幕戦はウニオン・ベルリンに、8月4日の2節はザントハウゼンにいずれも0−1と敗れ、スタートダッシュに失敗している。しかし、だからこそ、やりがいがあると関根は言う。

「厳しい状況ですが、自分がどれだけチームを変えられるか楽しみ。スタジアムは埼玉スタジアムと比べて小さいけど、新たな環境の中で自分がどれだけできるのかも楽しみです」

浦和時代と同じ3バックであることも追い風。

 追い風なのは、インゴルシュタットが3-5-2のシステムを採用していることだ。慣れ親しんだウイングバックでのプレーが可能となる。

 ユース時代は攻撃的MFを務める小柄なテクニシャンだったが、トップチームに昇格してウイングバックを任されるなかで、ハードワークや守備力、走力といった、自身に足りないものを身につけてきた。

 攻撃力を備えながら、汚れ仕事も厭わず、最後まで走り抜く――。そのプレースタイルは、昨季のブンデスリーガで大きく羽ばたいた原口に通じるものがある。

 7月15日に行われたドルトムントとの親善試合では、歴戦の勇、マルセル・シュメルツァーに向かって果敢にドリブルを仕掛ける姿が印象的だった。そのチャレンジ精神を失わない限り、インゴルシュタットでのレギュラー獲得、そして、さらに上のステージへ、道は必ず開けるはずだ。

文=飯尾篤史

photograph by URAWA REDS