記念撮影を終えるとすぐに首から下げていた銀メダルを外した森保一監督は、やや険しい表情でウズベキスタンの優勝セレモニーを見つめていた。

 ところが、スタジアムの外に設けられたミックスゾーンで取材陣の前に立つと、意外にも、何度も笑顔を覗かせた。

「ポテンシャルを見せてくれたなと。いろんな要求への反応がすごく早い。いろんなことを吸収する能力を持っていると感じた」

 タイのブリーラムで開催されたM-150カップ。準優勝に終わった今大会における収穫についてそう語った指揮官は、さらにこう続けた。

「成功したいという野心を持っていて、みんながギラギラしたところを見せてくれた」

 初戦でU-23タイ代表に1−2で敗れたものの、U-23北朝鮮代表を4−0で下してグループステージを首位突破したU-20日本代表(東京五輪代表)は12月15日、U-22ウズベキスタン代表とファイナルを戦った。

敗れたPK戦の裏に、監督の笑顔の理由があった。

 スターティングラインナップはGKオビ・パウエルオビンナ(流経大)、DF長沼洋一(山形)、庄司朋乃也(金沢)、立田悠吾(清水)、浦田樹(北九州)、MF神谷優太(湘南)、井上潮音(東京V)、平戸太貴(町田)、三笘薫(筑波大)、FW上田綺世(法政大)、旗手怜央(順天堂大)の11人。

 指揮官が「2試合通して良かった選手と、疲労を考慮して起用した」というメンバーで臨んだ日本は、45分にカウンターから失点したが、1分後に神谷が直接FKを決める。75分にも左サイドを崩され勝ち越されるも、88分に途中出場の小松蓮(産能大)がCKに頭で合わせて再び同点。二度のビハインドを追いつく粘り強さを見せて、PK戦に持ち込んだ。

 そのPK戦では神谷、小松、松本泰志(広島)と3人続けて成功したが、菅大輝(札幌)、上田が失敗。4人全員が決めたウズベキスタンにタイトルを譲ることになった。だが、このPK戦の舞台裏にも、森保監督が笑顔を見せた理由があった。

異なるシステムに挑戦し、要求を吸収する力。

「みんな、自分から蹴ると言って蹴ってくれた。今回チャレンジしよう、トライしよう、俺がやってやるっていうところを見せてくれ、と言ってきたが、選手たちが手を上げて自分がやる、という気持ちを見せてくれたことを評価したい。外した人はめちゃめちゃ悔しいと思いますけど、その悔しさが今後の成長につながればいいなと思います」

 指揮官が評価した、要求への反応の早さや吸収力――。

 それは例えば、異なるシステムに挑戦し、それぞれでポイントを抑えたプレーを披露したところに見て取れた。

 タイ戦と北朝鮮戦でトライしたのは、森保監督が広島で重用した3-4-2-1の可変システム。5-4-1のコンパクトなブロックを築き、ハイラインを保ったチームは、攻撃になると両ウイングバックが高くせり出し、ショートカウンターを繰り出したり、シャドーにくさびを入れたりして、攻撃の形を作った。

フォーメーションも戦術も、幅を大切にする。

 それが結果に繋がったのが、北朝鮮との2戦目だった。タイ戦から10人を入れ替えたこの試合では、北朝鮮のコンディションの悪さもあったにせよ、カウンター、クロス、ニアゾーン攻略、中央打開と、多彩な得点パターンを披露した。

 一方、決勝では4-4-2が採用された。成熟を図るなら、そのまま3-4-2-1を続けるという選択肢もあったが、森保監督の考えは違った。

「これから先いろんなことを想定したときに、自分たちのできることを増やしたい、選手がどういう対応力を持っているのか見たい、ということで(4-4-2を)やった」

 常に先手を取られて2失点したように、4-4-2が攻守において完全に機能したわけではない。しかし、混乱することも破綻することもなく、90分間を戦い抜いた。

 一方で今大会は、森保監督の所信表明の場でもあった。

 3-4-2-1に固執するつもりはなく、どんなときも後方から丁寧にビルドアップして遅攻にこだわるわけでもない。「チームとして、より高いレベルに行こうと思えば、基本プラスの柔軟性、対応力を持ってやっていかなければならない」と森保監督はきっぱりと言った。

広島時代の監督のスタイルを予習した選手もいたが……。

 柔軟性と対応力――。

 これこそ、森保監督が選手たちに最初に強調したメッセージであり、このチームのコンセプトだ。

 トレーニングでのことだった。3-4-2-1のフォーメーションで3バックやGKから攻撃をビルドアップする際、ボランチのひとりが、広島が見せていたように、ディフェンスラインに落ちて4バックに変化させようとて、森保監督が止めた。

「広島時代にどんなことをやっていたのか予習してきた選手もいたけれど、決めつけないでいろんなことをやるよ、って話しました」

 そのシーンについて振り返った指揮官が、さらに説明する。

「あれはカズ(森崎和幸)がいたからやったこと。もちろん対応力で言うと、試合の流れでボランチを落とすこともあるかもしれないけど、基本的にボランチが下がらず、DFから中盤に、中盤からより良い形で前線に配球できるなら、そのほうがいい」

 このエピソードは、指揮官のサッカーを理解するために予習してきたという点で、選手の意欲やモチベーションの高さを示すものでもある。

U-20W杯に出ていなかった“Bチーム”の意識。

 今大会には、5月のU-20ワールドカップに出場したメンバーがひとりも選ばれていない。「この年代の選手をラージグループとして捉え、最終的にコアな部分を作っていきたい」という指揮官の考えのもと、代表経験の少ないメンバーが今大会に招集され、U-20ワールドカップ組は年明け1月に中国で開催されるU-23アジア選手権に出場することになる。

 U-20ワールドカップ組が誰もいないという事実は、今大会のメンバーに、自分たちが現時点で“Bチーム”であることを強烈に意識させた。

 センターバックの庄司が「今回の遠征で良ければ、年明けの大会にも呼ばれると思うから、そこは自分次第」と力を込めれば、初戦と2戦目で唯一2試合連続先発を果たしたDF麻田将吾も(京都)「サブという立ち位置は分かっているので、ここで頑張らないといけない」と誓っていた。

代表に生き残った選手は「もちろん、何人かいます」。

 選手たちの野心とギラギラ感――。

 それを指揮官が評価したのは、東京五輪をめぐるサバイバルを勝ち抜く意欲と、U-20ワールドカップ組へのライバル心を、確かに感じ取ったからだろう。

 このチームから1月のU-23アジア選手権に連れていく選手は何人かいるのか――そう訊ねると、森保監督は「もちろん、何人かいます」と答えた。当初は2、3人と考えられていたが、その口調や表情を見る限り、もう少し多いかもしれない。

 森保ジャパンの初陣は、1勝1分(PK戦負け)1敗の準優勝に終わったが、森保監督にとってその価値が、成績だけで測れないところにあるのは間違いない。

 ただし厳しいことを言えば、選手たちにとっては、勝たなければならない大会だった。ここで優勝できるかどうかが、その後のサッカー人生を大きく変える可能性があったからだ。

ロンドン五輪の時を考えれば、本当は優勝したかった。

 このチームと似た立ち位置にいたのが、'12年のロンドン五輪出場を目指した関塚ジャパンだ。初陣となった'10年アジア大会がJリーグ開催期間中に行われたため、ベストメンバーを招集できず、Jリーグで出場機会に恵まれていない選手と大学生を中心に臨むことになった。ところがあれよあれよと勝ち上がり、金メダルを獲得するのだ。

 指揮官にとって初陣で結果を残したメンバーに強い信頼が芽生えたのだろう。この大会で活躍した山口蛍、鈴木大輔、山村和也、 東慶悟、永井謙佑らは、その後の中心メンバーになっていく。

 その点で、優勝を逃したことの意味を理解していたひとりが、神谷だった。

 3試合中2試合でキャプテンマークを巻き、初戦のタイ戦で1得点、決勝で1得点1アシストと、個人としてしっかりと結果を残したが、セレモニーの際は終始険しい表情のままだった。記念撮影のあとには森保監督同様、即座にメダルを外し、ミックスゾーンでも悔しさを強烈に発していた。

2018年中に、5回の海外遠征が決まっている。

「アピールとはあまり考えていなくて。ちょっとは考えていますけど、優勝したかったっていう気持ちのほうが強かったので、1得点1アシストじゃ足りないんだな、もう1点、もう1アシストできる選手になっていかないといけないんだなって。より結果を求めて自分がエースなんだっていうところを見せていかないといけないと思いました」

 上手い選手はいくらでもいる。器用な選手も、野心に満ちた選手もたくさんいるが、果たして、この年代からどれだけチームを勝たせられる選手が出てくるか――。

 生き残りを懸けた野心とギラギラした雰囲気は、今大会に出場した数人の選手が混ざることで、1月のU-23アジア選手権にも引き継がれていくはずだ。彼らとU-20ワールドカップ組の融合で、どのような化学変化が起きるのか。

 注目の代表メンバーが26日に発表される一方で、すでに来年3月のパラグアイ遠征、5月のフランス遠征(トゥーロン国際大会参加)、8月のアジア大会インドネシア出場、12月の海外遠征が正式にアナウンスされている。

 2020年、地元開催のオリンピックという最高の舞台に立つために、若き日本代表のサバイバルは早くもヒートアップしている。

文=飯尾篤史

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