皆さんは、「サッカーの神様」をご存知ですか?

 ジーコ? その通り。

 でも、鹿島アントラーズの礎を築いたジーコのことを「サッカーの神様」と称するのは日本だけのようで、ジーコは世界的に「白いペレ」という呼び名で有名です。そのペレの称号は「王様」。世界歴代最高となる公式戦1281得点。ワールドカップでブラジルを3度世界一へ導いた文字通りのキングですよね。

 また、アルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナの称号は「神の子」。1986年メキシコワールドカップ準々決勝のイングランド戦で見せた圧巻の5人抜きとハンドでのゴール「神の手」が有名で、彼もまた母国を世界一へと導きました。

 そのほかにも、元フランス代表のミシェル・プラティニの「将軍」、元西ドイツ代表のフランツ・ベッケンバウアーの「皇帝」など、歴代のスターはさまざまな称号を冠されています。けれども、サポーターから面と向かって「サッカーの神様!」と呼ばれる選手は、あまり見当たりません。

 いや、いました。ドイツのフランクフルトに。今日は、その選手のお話です。

取材目的は降格危機のHSVだったが。

 5月5日のドイツ・ブンデスリーガ第33節。穏やかな好天が続くフランクフルト。僕はアイントラハト・フランクフルトの本拠地コメルツバンク・アレナへ向かっていました。取材の目的はフランクフルトではなく、対戦相手であるハンブルガーSVの残留争いです。

 ブンデスリーガ創設以来の54年間、一度も2部降格を喫していない唯一のクラブであるハンブルガーSVの降格危機は巷の話題でして、DF酒井高徳選手やMF伊藤達哉選手などが在籍していることも相まって、日本でも動向が注目されていました。

 またフランクフルトのリベロ長谷部誠選手は、第31節のヘルタ・ベルリン戦で相手選手に肘打ちを食らわせてリーグ戦4試合の出場停止中。そんなこともあって、僕は対戦相手の情報ばかり仕入れて試合会場へ向かっていたのです。

 コメルツバンク・アレナは、フランクフルト中央駅からドイツ鉄道Sバーンでふたつ目の「Stadion」で下車して、徒歩10分程度の場所にあります。ドイツのサッカーファンはダービーマッチなどのライバルチーム同士の対戦でなければ呉越同舟で、両サポーターが入り混じってスタジアムまでの道程を進んでいます。

 道中には当然屋台が軒を連ねていて、ドイツ名物のソーセージパンやポテトフライ、そしてビールが売られています。

やけに多いサポーターの「14番」。

 ドイツのサポーターも、Jリーグと同じように応援するチームのレプリカユニホームを着ているのが常です。好きな選手の背番号と名前をプリントするのも同じ。そんななか、フランクフルトサポーターの背中を見ながら歩を進めていると、やけに14番の方が多い。いや、ほとんどのファンが14番のような……。

 そう、この選手こそが(フランクフルト界隈の)「サッカーの神様」、サポーターが愛して止まないキャプテンにしてクラブのバンディエラ(旗頭)、アレクサンデル・マイアー、35歳なのです。 

 1983年1月17日生まれ。ドイツ・ブーフホルツ出身でハンブルク育ち。ハンブルガーSVユース出身ですがトップチームには上がれず、ライバルクラブであるザンクトパウリへ加入し、2002年にブンデスリーガデビューを果たします。

 その後ザンクトパウリが2部に降格した影響もあって2003-04シーズンにハンブルガーSVに復帰しますが、さしたる成績を収められずに出場機会を失いました。若い頃のマイアーは、一介のプロサッカー選手に過ぎなかったのです。

 2004-2005シーズン、当時2部に所属していたフランクフルトがレンタルでマイアーを獲得。彼はシーズン全試合に出場して9得点を奪い、クラブの1部昇格に貢献しました。そこから彼の伝説が始まります。

高原とも仲良しだった真摯な点取り屋。

 その後、完全移籍したマイアーは、2006-07シーズンにチームメイトの高原直泰選手と2トップを組み、彼に3アシストした記録も残っています。ちなみにマイアーと高原選手はハンブルガーSV時代もチームメイトで、仲が良かったようです。

 2部に降格してもフランクフルトへ忠誠を誓う真摯な姿勢がサポーターの琴線に触れ、その存在は確固たるものになりました。2011-12シーズンに2部得点王を獲得してクラブの1部復帰に貢献し、2014-15シーズンには26試合19得点で遂にブンデスリーガ得点王にも輝きました。

 マイアーがフランクフルトで名声を得られたのは、成績面だけが理由ではありません。スターなのに驕らず謙虚な姿勢を貫き、普段の練習では誰よりもトレーニングに励みます。2003年から2016年までフランクフルトの取締役会長を務め、マイアーをハンブルガーSVからフランクフルトへ誘ったと言われるヘリベルト・ブルフハーゲン氏は彼の練習での姿を見て、こう語ったそうです。

「マイアーが練習している姿を見ると、自分が朝の8時から夜の8時まで働くエネルギーが沸々と湧いてくるよ」

近年は相次ぐ負傷に悩まされた。

 ブルフハーゲン氏は2016年にハンブルガーSVの代表取締役に就任しましたが、今季の不振の責任を問われて3月に解任の憂き目に遭っています。この後のフランクフルトvs.ハンブルガーSVの試合結果を見ると、マイアーとブルフハーゲン氏との数奇な関係性を感じずにはいられませんでした。

 近年のマイアーは、相次ぐ負傷に悩まされて戦線離脱を繰り返していました。昨年夏に右足首を負傷して2度の手術。そして昨年11月には右足かかとの痛みを生んでいた骨の除去手術を行なうなどして、これまで約8カ月間も戦列から離れていたのでした。

 マイアーがかつてブンデスリーガの得点王だった事実は知っていましたが、こんな経歴の持ち主だったことは初めて知りました。そんなチームを象徴する選手が、今回のハンブルガーSVとの一戦で久方ぶりにベンチ入りを果たしたのですから、そりゃあ、みんな彼の勇姿を見たくてスタジアムへ訪れますよね。でも、このときは僕、まだマイアーの存在を片隅にしか留めていませんでしたけども……。

87分、ピッチに入ると会場がゾワゾワ。

 試合はハンブルガーSVの伊藤選手が巧みな動きからゴールゲット! と思ったらVARでオフサイドと判定されて取り消し。すると、その直後にマリウス・ボルフがゴールを奪いフランクフルトが先制します。これで意気消沈したハンブルガーSVは、後半にオマール・マスカレルに追加点を決められて敗戦濃厚となります。

 大勢が決まったと思った僕は、酒井選手らのコメントを取ろうと記者席を立って階段をゆっくり下り始めました。スタジアムの経過時間は87分を指しています。

 その瞬間、何だかスタジアム全体からゾワゾワとした空気が……。ライン際に長い髪を後ろに縛ったポニーテールの大男が立っています。セバスチャン・アレの交代が告げられ、代わりにピッチに立った選手の名前がコールされると、スタジアム全体がマグマのように沸き立ちました。その熱狂的な空気に、思わず僕もスタンドの踊り場で足を止め、しばしピッチに見入ってしまいました。

ゴールを決めた“フッスバルゴット”。

 91分、フランクフルトはカウンターを発動しますが、相手の防御にあってボールが跳ね返されます。チームメイトが頭を抱えるなかボールが再び右サイドへ展開されて前へ進むと、後方からのっしのっしと大男が敵陣へ侵入していきました。

 この大男は並走する仲間(ミヤト・ガチノビッチ)に対して、「おい、お前。ゴール中央へ行け」と手で示して敵を彼に引きつけさせ、自らは“美味しい”ファーサイドへ入り込んでノーマークとなり、右からのクロスを逆足の左で叩いて鮮やかにゴール! その瞬間、僕の周りにいた誰もが立ち上がり、抱き合い、絶叫し、文字通りスタジアムが"噴火"したのでした。

 スタジアムアナウンスが声を枯らしながらコールします。

「背番号14! ア〜レ〜ックス!」

 すると、スタンドの四方を埋めたフランクフルトサポーターが一斉に唱和しました。

「マイアー! フッスバルゴット!」

 フッスバルゴットとは、ドイツ語で「サッカーの神様」という意味です。そう僕はこの日、コメルツバンク・アレナで神様を目撃したのです。

「いやー……」と頭をポリポリ。

 興奮冷めやらぬスタンドを後にし、ミックスゾーンへと急ぎます。僕のお目当ては断然マイアーです。しかし当人、元来の恥ずかしがり屋ぶりを存分に発揮して何だか奥の方でモジモジしています。テレビの取材対応を終え、記者が待つ囲み取材の場に歩を進めると、思わずドイツ人記者から歓声が起こりました。

 それを聞いた“マイアー神”は、「いやー(恥ずかしいよ)」とばかりにポリポリと頭を掻いています。先ほどのゴールシーンでの佇まいとのギャップに、思わずこちらも笑みを漏らしてしまいました。

「2−0になったときに、少し試合に出られるかなとは思っていたんだ。だけど、ピッチに立ってからはアドレナリンが出てしまって周りのことが分からなくなった。ゴールの後、僕の背中に誰が乗ってきたのかも分からなかったし(笑)」

 フランクフルトで通算379試合に出場し、このゴールが137得点目。その偉大な実績に周囲は騒然としていましたが、本人だけが冷静沈着。この素朴な佇まいも、彼の魅力の一端なのかもしれません。

足、頭、ポニーテールでも決める男。

 スタジアムからの帰路。フランクフルトサポーターが狂喜乱舞しています。そして友人が教えてくれました。

「マイアーには個人のチャントがあるんだよ。ドイツのサポーターは味方チームや相手を揶揄するようなチャントはするけど、選手個人にチャントが送られるのは珍しいんだよね。それくらい、フランクフルトサポーターにとってマイアーは偉大ということだよ」

 片手にビールカップを掲げて、高らかにサポーターが歌い上げています。

「足で決めれば、頭でも決める、何してもゴールを決める、ポニーテールでもさ。フッスバルゴット! フッスバルゴット! アレックス・マイアー、フッスバルゴット!」

 実はドイツは、各チームにフッスバルゴットがいます。バイエルンは、かつて所属したバスティアン・シュバインシュタイガー。レバークーゼンならば今も同チームに所属するシュテファン・キースリンクなど。でも、ここフランクフルトではアレックス・マイアーこそが唯一神です。

 今、現地では、2018年6月30日をもってフランクフルトとの契約が満了する彼の去就の話題で持ち切りですが、サポーターはまったく心配していません。

「あんなゴールを決められたら、クラブも契約を切るわけにはいかないだろ。そもそも、俺たちサポーターが許さねぇから」

 愛する選手と共にある――。それもまたサッカーと寄り添う人生で得られる、至福の時なのかもしれません。

文=島崎英純

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