加計学園の獣医学部新設問題でメディアが大挙して押し寄せ、松山刑務所大井造船作業場から受刑者が脱走し、上空をヘリが飛び回る。「昨年から今年にかけて、ほんま大変ですわ」とタクシーの運転手はぼやくが、その口調は暗いものを感じさせない。平穏を乱された一方、商売のうえでは悪いことばかりではないのだろう。

 愛媛県今治市。タオルと造船業で知られる人口約15万人の港町だ。昨年9月に開場し、市の新たなシンボルとなった「ありがとうサービス.夢スタジアム」は今治駅から車で10分ほど走った丘の上にある。現在、JFLを戦うFC今治の小さな、けれども野心に満ちた城だ。

 クラブのオーナーは言わずと知れた岡田武史である。2014年10月、株式の51%を取得し、現在は代表取締役会長に就く。岡田とともに経営の舵取りに当たり、代表取締役社長を務める人物を、矢野将文という。

「当初は甘えていたところがあった」

 矢野は東京大学を経て、世界最大級の投資銀行、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。金融市場の最前線で10年間働き、生まれ育った愛媛に帰郷した。そこで、ゴールドマンで関係のあった小泉泰郎(FC今治アドバイザリーメンバー)を介して岡田と会い、クラブ経営に身を投じることになる。

「2025年にはJ1で常時優勝争いをするチームとなり、ACL優勝を目指す」という壮大なビジョンを掲げてスタートし、矢野は4年目の夏を迎えた。

「始動当初は岡田氏に依存する部分が大きく、甘えていたところがあったと思います。以降、意識の共有の面では進歩していると感じますが、本来はもっと自分の力でクラブを支え、担っていかなければいけない。そこはまだ充分にはできていないですね」

 日本代表の監督を2回務め、全国的に顔が売れているオカちゃんは金看板だ。しかし、すべてが岡田の重力圏で解決できるかというと、事はそう簡単ではない。

収容人員5030人に4000人を集めれば。

「当面の目標であるJ3昇格の条件は3つ。ひとつは財務条件のともなう経営環境の整備。ふたつ目がJFL4位以内で、かつ百年構想クラブのうち上位2クラブに入ること。最後が観客動員で、1試合平均入場者数が2000人を超えることです」

 JFL昇格初年度の2017シーズン、吉武博文監督に率いられる今治は6位に終わり、成績要件を満たせなかった。事業の多角化を進め、2017年度の営業収入は約6億3000万円と経営規模では抜けた存在だが、ピッチではまた別の力学が働く。

 一方、ホーム15試合の入場者数は3万2724人でリーグ最多。夢スタジアム開場以降の5試合は、1試合平均3700人を集めている。ここで、矢野が目をつけたのがスタジアム収容率だった。

「J1でトップクラスの川崎フロンターレがおよそ82%の数字を出しています。目指すなら、ここだと。夢スタの収容人員は5030人ですから、4000人強集めれば達成できる数字です。リーグのカテゴリーは違いますが、お客さんのにぎわいでは日本一の場所。サポーターと一緒になって目指す目標をつくりたかった」

ファンが当事者となる仕組みができている。

 今季の開幕戦は4493人を集めたが、以降は3000人前後のゲームが続く。人の心は移ろいやすく、熱を持続させ、さらに増幅させていくには一筋縄ではいかない。2000年以降のJリーグで、最大の成功例である川崎の凄みはそこにある。当然、矢野は等々力陸上競技場に何度も足を運び、現地の様子をつぶさに観察してきた。

「あそこにいけば楽しいことがある。その期待にずっと応え続けている証拠だと思います。人はやがて飽きるものですが、飽きさせないような工夫がある。加えて、意図したものか、結果的にそうなったのかわかりませんが、ファンが当事者となる仕組みができていますね。クラブが日常生活まで溶け込んでいるのが伝わってきます」

 いかに多くの人々の興味を惹き、一歩進んで入ってきてもらうか。矢野はその仕掛けに余念がない。会合やパーティなど、あらゆる場に出向き、自身を媒介としてクラブにつなぐ。

スモールサイズならではの長所とは?

「私だけではなく、スタッフやボランティアの方々など、中心でやってもらっている人たちは総じてその役割を担ってくれています。当事者とつながることで、また新たな当事者が生まれる。輪を大きくしていくには、その繰り返ししかありません。今治のような小さな街は人々のつながりが密で、関わる人たちの誰もが主人公の気持ちになれる。スモールサイズならではの長所です」

 過去、私はこれと似たようなことを別の人から聞いたことがあった。経営トップとしてファジアーノ岡山を発展に導き、今年3月からJリーグの専務理事に就任した木村正明だ。矢野にとっては東大サッカー部、ゴールドマンの先輩で公私とも親交が深い。木村イズムの後継者といったところか。

笑顔と楽しさの裏に経営のリアリズム。

 取材に訪れたのは5月20日、JFL第10節のFCマルヤス岡崎戦。試合前、多くのサポーターでにぎわう広場の一角で、ジーパンを穿いたラフな格好の岡田と海賊姿の矢野(ファンサービスの一環。今治は瀬戸内海で活動した日本最大の海賊「村上水軍」が拠点を置いた地だ)が打ち合わせをする場面に出くわした。

 ふたりとも眉根を寄せ、表情は険しい。ジーパンの投げかける言葉に、海賊が真剣な顔で頷く。一見、可笑しみの込み上げる絵面だが、軽口を挟める雰囲気ではない。

「年々、クラブに関わる人が増え、現在は選手を含めて報酬をお支払いしている方がだいたい80人。この責任は、しびれますね」と話す矢野の表情が思い出された。はじけるような笑顔と楽しさを提供する裏側には、クラブ経営の徹底したリアリズムがある。

 第10節の終了時点で今治は4位。じきに世間を騒がせた事件は一段落し、次はサッカーが全国的な注目を集める番だ。

文=海江田哲朗

photograph by Tetsuro Kaieda