2006年3月、角界の門を叩いた18歳のレヴァニ・ゴルガゼ――栃ノ心は、約7800キロ離れたグルジア(現ジョージア)から、数枚のプリントを手にし、来日した。

 そのプリント紙には、母国ジョージア語の単語を日本語に訳したものが、ただ羅列されているだけだった。当時、入門13年目の幕下力士だった棟方弘光氏は、兄弟子として栃ノ心の「世話係」を命じられる。

「自分なりに言葉をインターネットで調べてわざわざ持って来たものだと思いますが、なんだか実生活に必要じゃない、使えない言葉ばかりだったのを覚えているんですよ」

 そう棟方氏は笑う。師匠夫人が大型書店を巡り、ジョージア語の辞書を探すのだが、当時は容易に見つからず。ロシア語圏内の国であることから、ロシア語の辞書を購入してみたものの、栃ノ心自身のロシア語能力はカタコト程度なのがわかる。

 そこで、通訳としてジョージア大使館の職員を頼り、まずは日常生活に必要な言葉を教えてもらうこととなった。栃ノ心、部屋の力士たちの双方が、ジョージア語のスペル表記、発音の仕方、日本語に置き換えての意味を理解するべく、奮闘する。

言葉の壁。意思の疎通の難しさ。

「それこそ“おはようございます”“ありがとうございます”からですよね。僕だけでなく、周りも一生懸命でした。同期の力士が数人いたけれど、彼らは新弟子として常に一緒に働く。掃除をしたり、ちゃんこ番をしたり、ゼスチャーを交えながら教えて、きっと一番苦労したんじゃないかと思いますよ」

 毎日の生活を共にする相撲部屋ならではで、その後の栃ノ心は、言葉の上達がはやかったというが、「今、なんと言ったんデスカ?」とひとつひとつ聞き返し、スペルと意味を書き留める日々だった。

 青森県弘前市出身の棟方氏だからこそ、言葉の重要性を身に染みて感じてもいた。

「こっちは津軽弁だし、同じ日本人なのに『何を言っているのかわからない』と言われる。気後れして、まともに会話ができないんです。でも、僕はたまたま同郷の兄弟子がいたので支え合えたけれど、栃ノ心は――もっともっとつらかっただろうと思うんです」

「レヴァニはなんで泣いているんだ?」

 兄弟子だった棟方氏には、今でも記憶に残る光景がある。それは入門後間もない栃ノ心が新弟子検査を受検する頃のこと。大部屋の隅で、何時間ものあいだ、大きな体を縮こまらせ、ひとりで泣いていたのだという。

「レヴァニはなんで泣いているんだろう?」「何かあったのかな?」そう周囲は心配するものの、この時はまだ、誰も掛ける言葉を持っていなかった。もどかしく思いながら、見守ることしかできない。しかし、栃ノ心のその全身から「近づかないでくれ。そっとしておいてくれ」との雰囲気だけは感じ取れた。

「後でわかったことなんですが、栃ノ心は、忙しいお母さんに代わって祖父母に育てられたようで、おばあちゃん子だったらしいんです。そのおばあちゃんが亡くなったとのことだったんですよね……」

同胞・臥牙丸と会話した思い出の公園。

 意思の疎通もままならないストレスを感じながら、栃ノ心の唯一の救いは、同胞の臥牙丸が、すでに木瀬部屋に入門していたことだった。ちなみに臥牙丸が入門した2005年当時、日本に在留するジョージア人は、たった3人。そのうちのふたりは'01年に来日し、ジョージア初の力士となった黒海と、その弟だった。

 幸いなことに、臥牙丸の所属する木瀬部屋と春日野部屋は近く、その中間地点にある小さな公園で落ち合い、思い切り母国語で語り合った。ストレスを発散し、励まし合い、持ちうる情報を互いに交換して、日本を――相撲界を学んだ。

「若い頃は100円しか持ってない時もあってね。これでアイスを買うか、ジュースを買うか悩んで……。お互いに時間を見つけて、門限ギリギリの時間まで話していましたよ」

 そう懐かしむ栃ノ心は、現在、この思い出の公園が一望できるマンションに住んでいる。

 '08年、栃ノ心の新十両昇進を見届ける形で引退し、故郷の青森に帰った棟方氏は、以来10年ぶりに、かつての弟弟子と会話した。それは栃ノ心が初優勝した今年一月場所後のこと。春日野部屋に電話を入れると、近くにいた栃ノ心が代わって電話口に出たのだという。

ふたりの10年ぶりの会話は?

「すっかり日本語が上手になっていてね。初優勝した時に、かつての僕に感謝していると言ってくれたらしく、驚きました。それで僕宛てにいろいろ取材の電話が掛かって来てもいたので、『ご迷惑掛けてすみません』と栃ノ心が言うんです。そうやって気も遣えるし、冗談も言えるようになっていました(笑)。覚えていてくれてうれしいですよ。あの頃の僕は、ただ同じ力士として接していただけなのに――」

 大関昇進伝達式前夜、「口上を間違う夢を見たり、5回も6回も目が覚めてしまった」という新大関は、力強い口調で、来し方の思いをその一言一言に込めた。

「謹んでお受け致します。親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します。本日は誠にありがとうございました」

 思い起こせば12年前、ただ単語を羅列しただけの数枚の紙を手に、カスピ海を渡った18歳の青年――。晴れの日の、その口上のできばえに、師匠は「最高点だな」と顔をほころばせた。

文=佐藤祥子

photograph by Kyodo News