吉田輝星の力投と劇的な勝利を重ね、準決勝に進出した金足農業。
34年前の夏の準決勝で対戦したのは、桑田真澄、清原和博を擁する
PL学園だった。初出場でありながら、KKを土俵際まで追い詰めた
1984年のあの夏を、当時の監督とエースの証言で振り返った。
Number834号(2013年8月22日発売)掲載のストーリーを特別に公開します。

 1984年の甲子園は北風が強かった。東北の高校が大活躍したのだ。まず、春の選抜では岩手の大船渡高校が準決勝まで進出し、ファンを驚かせた。初出場の県立高校がここまで健闘するとは予想外のことだった。

 夏は秋田の番だった。予選を勝ち抜いた初出場の金足農業が初戦を突破すると、2回戦、3回戦、準々決勝と勝ち抜いて、準決勝まで勝ちあがったのだ。県立の、初出場の、しかも農業高校の野球部がそこまで行くとは大きな驚きだった。

「全く自信がなかったわけではありません」

 当時の監督、嶋崎久美は振り返る。

「春の選抜に出て1勝していましたし、夏の予選も決勝では9回に2点差をひっくり返して勝っていた。だからある程度戦えるのではないかと」

 だが、そんな自信も組み合わせ抽選で吹き飛んだ。1回戦の相手が名門の広島商業だったからだ。

「高校野球のシンボルみたいな学校ですからね。とでも勝てるとは思えなかった」

「カナタリ」「キンソク」と呼ばれ。

 対戦前、報道陣が集まり、双方の監督、選手から話を聞く。エースの水沢博文はそのときの様子を覚えている。

「集まった記者の8割は広島商業のほうに行っていましたね」

 東北の初出場の農業高校への注目度は当然のように低かった。嶋崎が面白いエピソードを教えてくれた。

「校名はなんと読むんだという質問がけっこうありましたね。カナタリだとかキンソクだとか。大会本部は間違われないようにと校名の脇に振り仮名を振っていました。あんなことははじめてでしょう」

全国の農業高校から激励が殺到!

 しかし、まず負けると思われた広島商業との1回戦をみごとに勝ちあがる。「ウチが広商の野球をやろう」と指示した嶋崎の策が当たったのだ。バントを多用する広商戦術を駆使して6対3で古豪を破る。

 1回戦を勝つと、全国の農業高校から激励の電話や手紙が寄せられた。当時からすでに、農業高校は減少傾向にあった。

 無欲で勝った1回戦だったが、2回戦、3回戦、準々決勝と勝ちあがると欲が出た。

「PLとやりたい」

 水沢はそう考えたという。前年の大会、1年生の桑田真澄、清原和博の活躍で優勝したPL学園は、この年になると、なかば神格化されたチームになっていた。14点、9点、9点とすさまじい打線の破壊力を見せ、当然のように準決勝に勝ちあがってきていた。

桑田対策が、全く功を奏さず。

 抽選のくじはほかの学校が引いたが、念願どおり金足農業は準決勝でPL学園と対戦することになった。真正面から力の勝負を挑んでも勝ち目はない。嶋崎の考えた策は、桑田を動かすことだった。

「甲子園で5試合目なので、だいぶ疲れているはずだ。だから1回から3回までは全員にバントの構えをさせる。バントの動きに桑田君が反応して走ってくれれば、疲れて後半に勝機が出るだろうと」

 だが、作戦は全く功を奏さなかった。金足農業の意図を見抜いた桑田は、バントの動きにも全く反応しなかった。揺さぶる策であることを見抜いていたのだ。しかし、試合は水沢の好投で金足有利に展開していた。1回表に内野安打2本で取った1点を、水沢はしっかり守りつづけた。

「特にどんな攻めをしようとかは思っていませんでした。持ち球はストレートに大きなカーブ、そしてシュートがちょっと。だいたいストレートかシュートでゴロを打たせるという形が多かった。配球は捕手の長谷川寿のサインどおりでしたね」

もしかしたらPLが負けるかも……。

 6回に1点を取られるが、勝ち越しは許さず、7回表、勝ち越し点をあげて再びリードを奪う。球場の雰囲気が変わってきた。

「マウンドにいるとどよめきが違うんです。もしかしてPLが負けるんじゃないかと観客の人も思いはじめている感じでした」

 当然そうした空気は選手にも伝わる。勝てるかもしれない。8回裏、1死後、水沢は4番の清原を歩かせてしまう。

「怖がったんじゃないんです。ぼくは清原より桑田のほうがいやだった。打席でなにをしてくるかわからない。桑田の前に走者を出したらイヤだなと思ってはいました」

桑田が放った逆転の本塁打。

 その「イヤだな」の気持ちが四球につながったのかもしれない。走者を置いて桑田。前の打席は外のカーブで内野ゴロを打たせている。

 初球は外にストレート。2球目にカーブ。捕手の長谷川はボールゾーンにミットを構えた。絶対に甘く入ってはいけない球。

 だが、水沢が投げた2球目は、きちんと変化を付け切れずに、真ん中寄りに落ちていった。桑田は見逃さなかった。金属音が響くと、打球はレフトポールのはるか上を超えていった。

「打球より審判の腕を見ました。あたりがすごいのはわかった。あとは入ったかどうかだけ。腕が回っていました」

 監督の嶋崎は三塁側ベンチなので、打球の行方がよく見えなかった。

「ポールが今よりかなり低かった。今ならポールか横についているネットに当たっていたかもしれません。ともかく、水沢があんなあたりを打たれたのはあの1球だけですね」

すさまじかった桑田の投球。

 9回、リードしてマウンドに立った桑田の投球はすさまじかった。

「まっすぐが伸びる上に、カーブが大きくなった。ウチは30cmも離れて空振りしていました」(水沢)

 それでも土俵際まで追い詰めた金足農業には大きな拍手が送られた。嶋崎はその声援に感謝を表すように選手に指示した。

「普通はアルプススタンドの応援団にだけ礼をしますが、あの時はネット裏のお客さんにも一礼しました」

 拍手はいつまでも鳴り止まなかった。

(Number834号「甲子園熱風録」収録、「絶対エースを追い詰めた夏〜マウンド上で感じた観客席の異様な空気」より)

文=阿部珠樹

photograph by Katsuro Okazawa