1月31日発売のNumber971号で、長谷部誠のインタビュー取材をしました。

 個人的には以前から「ハセ」の印象は変わっていません。ここ数年は“心を整えたり”、日本代表のキャプテンを務めたりしたこともあり、落ち着きある紳士のようなイメージを周囲に与えていたかもしれません。

 いや、ある側面においてはその通りなのですが、普段の所作と本質的に抱いている感情は、また別物なのではないでしょうか。

 最近までの彼は、対外的には敢えて硬い殻をまとっていたようにも思います。それは、当然かもしれません。特に代表キャプテンとしての振る舞いは個人に限らずチーム全体に波及します。

 その言動が時にチームを結束させ、時に邪推されることもあるのですから、彼自身も責任の重さを深く認識していたに違いありません。

クスッと笑ってしまう逸話。

 僕は約1年前にドイツへ渡ったため、ハセが2008年の1月に浦和レッズからドイツのヴォルフスブルクへ移籍して以降は、たまにドイツを訪れてスポット的に取材する以外はテレビで彼の動向を追うしかありませんでした。しかし、彼のブンデスリーガでの勇姿を見るにつけ、クスッと笑ってしまうことも多かったのです。

 例えば、審判への異議。代表キャプテンの責務としては真摯で適切なものに見えますが、クラブのいち選手としても、彼は頻繁に審判へ文句を言っているのです。

 実は、ハセは2002年に藤枝東高から浦和へ加入した初年度はJ1未出場でしたが、翌2003シーズンの公式戦初戦となったヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)のグループリーグ第1戦、ハンス・オフト監督から満を持して先発を言い渡されて颯爽と臨んだプロ初先発のゲームで、2度の警告を受けて退場しているのです。

 普段は思慮深く聡明な彼ですが、ピッチに立つと感情が爆発するのは若い頃も今も同じ。

 今回のインタビューでも「昨シーズンのヘルタ戦で、(デイビー・)ゼルケに肘打ちして退場しましたから。あれは素の部分が出てしまったかもしれないです」と苦笑いしながら話していました。

血気盛んだった18歳のハセ。

 プロ入り当時、18歳のハセはとにかく血気盛んで、練習では先輩後輩関係なく叱咤の声を浴びせ、時にチームメイトと胸ぐらを掴み合って口論することもありました。

 練習時のミニゲームである外国籍選手に足を削られた際には、激昂したもののオフト監督に「相手の足をかわせば問題ないじゃないか」と突き放されて、不貞腐れた表情をしていたことを覚えています。とはいえ、それはすべて彼がサッカーに心血を注いでいる証拠で、一切の妥協なき姿勢は今も貫かれていると感じます。

 誤解なきよう補足しますと、ピッチから離れた際のハセは以前も今も相手を常に気遣い、心情を慮ることのできる人物です。

 2002年、僕が初めてハセにインタビューしたのは浦和のキャンプ地だった函館でした。同期の徳重健太との対談。カメラマンが「蟹を持ってポーズを取っていただけますか?」と無茶な注文をしても、ノリノリで応じてくれたことを覚えています。

引退後について実は考えてない。

 今回インタビューをしてみて意外だったのは、彼はまだ、現役引退後のプランについて何も熟慮していないということです。

 風貌はスーツを着てバリバリと働くビジネスマンと言われても違和感がないですし、過去、現在、未来を客観的に見据えて、事前に選択肢を有しておくようなタイプだと思っていたので驚きました。しかし彼自身は今、サッカーに自身の全精力を注ぎたいと思っていて、ひたすらピッチ上でのプレーに邁進したいのだと語っていました。

 よくよく考えてみれば、そんなハセの心情は予測できたかもしれません。18歳の彼も、35歳の彼も、サッカーに注ぐ情熱の度合いは同じ。いや、むしろ多くの経験を積み、知見を得た今のほうが、その情熱のパワーが漲っているのかもしれません。

 プロ初年度にJ1出場を果たせず、サテライトリーグでもベンチ入りしたフィールドプレーヤーの中で唯一出場できなかった時に、ロッカールーム脇で号泣していた彼の姿を知る者としては、彼のサッカーに対する真摯な想いに触れて感慨深くなりました。

「自分もカズさんのように」

 そんなハセに三浦知良選手への思いを聞くと、目を輝かせていろいろ語ってくれました。厚い信頼と尊敬の念、そして何より「自分もカズさんのように、できる限り、いつまでもサッカーをプレーしていたい」という憧憬の念があるようにも思いました。

 所属するフランクフルトで、彼がいつまでプレーするかは分かりません。しかし、「ここでどこまでプレーできるか。それを周囲に示すのも面白いと思いませんか?」と微笑みながら発した言葉の裏に、僕はハセの揺るぎない決意を感じたのでした。

文=島崎英純

photograph by Ryu Voelkel