快進撃の始まりとなった地、インディアンウェルズに大坂なおみが戻って来たが、BNPパリバ・オープンの2連覇は4回戦でベリンダ・ベンチッチに阻まれた。3−6、1−6と、スコアの上では完敗だったが、意外にも大坂の表情は明るかった。

「このスコアだと落ち込んで悲しくなるものだけど、今は気分はいい。ベストを尽くし、後悔はない。試合を通して前向きに戦うことを心がけたし、彼女が素晴らしいプレーをした。私にできることはもうないぐらいだった」

 同じ1997年生まれで、ジュニア時代は全仏オープンやウィンブルドンのジュニアタイトルを取った元天才少女を素直にたたえた。大坂の言葉に月並なお世辞の意味合いは含まれてはいなかった。左手首のけがから復活して再びトップ10に返り咲こうとしているベンチッチの挑戦を正面から受け止め、押し切られた。女王らしい潔さが表情からうかがえた。

“3番練習コート”は大坂なりの配慮。

 大坂を取り囲む状況がかまびすしい中で、2連覇が懸かるこの大会は始まった。

 4大大会2連勝での世界1位急浮上、電撃的なコーチ交代、ディフェンディングチャンピオンとして臨む初めての舞台。落ちついて練習に取り組むことさえ難しい中で、大坂はあえて数百人のファンが観戦できる3番の練習コートで毎日、汗を流した。

 それは彼女なりの最大限の配慮だった。

 大会前のイベントで大坂は大勢のファンに取り囲まれてサインを求められ、去年までの自分とは立場が変わったことを痛感した。かつて自分が子供の頃にあこがれの選手へ抱いていた尊敬の念。

 10数年の歳月を経て、21歳になった今、自分が子供たちからあこがれの対象になっていることへの驚き、喜びを心から感じた。

ファンの声援が最大の原動力。

 その心境を、彼女は開幕前にインスタグラムに英語と日本語でつづった。

「私を見て凄く嬉しそうにしている沢山の子供達から写真やサインを頼まれたり……。正直言って涙が出そうです。こういう時、私の気持ちは充実感で一杯、それで気付きました。テニスの事だけじゃないんだって。次の時代の為に何か感化するっていう事……思うと8歳の時ボロボロの公営コートで練習してたのは昨日の様(笑)で、実際今こうして私が子供を励ませる立場である事は本当に凄い光栄です」(原文を一部抜粋)

 日本語の字面こそ堅苦しいが、英文をそのまま読むとその言葉は彼女の優しさに満ちていて、とても柔らかい。

 大坂は笑顔で言う。

「元々は注目されるのは好きじゃない。でも昨年までと違って3番コートで練習をするとたくさんの人が見に来てくれる。サインを求めに来る子供たちがとてもかわいい」

 世界1位の重圧との向き合い方を模索していく中で、ファンの声援が彼女の大きな原動力になっている。

「私の人生へようこそ」

 ファンの他に女王の新たな戦いを支えるのが、新コーチのジャーメーン・ジェンキンス氏だ。ビーナス・ウィリアムズのヒッティングパートナーや全米テニス協会(USTA)のコーチを歴任し、陽気だった前任のサーシャ・バイン氏とは対照的な寡黙な仕事人といった黒人男性だ。

 ベンチッチ戦。大坂は第2セットで1−4と劣勢に追い込まれた場面で2度目のオンコートコーチングでジェンキンス氏を呼んだ。

 新米コーチは冷静に試合を分析し、アドバイスを送る。

「ベンチッチはベースラインに近づいて低い球を打ちうまくコントロールしてきている。相手は本当に高いレベルでプレーをしている。なおみは自滅をしているような感じだ」

 落ちついた口調で試合を修正しようと諭していた途中で、思わぬカウンターが大坂から飛んできた。

「私の人生へようこそ」

 ジェンキンス氏は少し戸惑って「あなたの人生へ?」と笑った後に「まだ戦い続けよう。サーブの球速の変化をつけたり、これまでと違いを見せよう」と、再びコートに送り出した。しかし、残念ながら流れは変わらなかった。

生真面目コーチとユーモラスな選手。

 試合後、大坂に言葉の真意をたずねた。

「最初に来た時には“ゴミ箱”に『ようこそ』って言ったの。二度目だったから私も中年の危機みたいな感じで、緊張を和らげたかった。コーチが来る時というのは、選手はストレスを抱えているものだから、あの場の空気を変えたかった。彼は私が冗談を言っているって思ってないかもしれないけど」

 生真面目な新コーチと冗談好きのテニス選手。関係は今のところ良好そうだ。

 大坂をめぐるドラマはキャストの入れ替え、展開が早い。次はどんな脚本でどんな会話が交わされるのか、SNSにはどんなメッセージが込められるのか。女王の動向から目が離せない。

文=吉谷剛

photograph by AFLO