今年はサイクル安打マニア(そういう人がいるかどうか知らないが)にとっては、堪えられないシーズンになっている。日米で面白いサイクル安打が出ているからだ。

 まずは4月9日、NPBの阪神・梅野隆太郎が甲子園でのDeNA戦でサイクル安打を達成した。

 一般的に“鈍足”とされる捕手のサイクル安打は非常に珍しい。

 NPBでのサイクル安打は69人、計74回あったが、過去の捕手では門前真佐人(大洋/1950年6月27日、中日戦「6番・捕手」)、田村藤夫(日本ハム/1989年10月1日、ダイエー戦「8番・捕手」)、細川亨(西武/2004年4月4日、日本ハム戦「8番・捕手」)の3例しかなかったのだ。

 MLBでは、6月13日にエンゼルスの大谷翔平がレイズ戦で達成した。日本人選手では史上初だ。そして今季マウンドには上がっていないが、投手登録の選手としても史上初である。さらに翌14日にはインディアンスのジェイク・バウアーズが、タイガース戦でサイクル安打をマークした。

 2日連続での達成は、1912年6月9日、レッドソックスのトリス・スピーカーがセントルイス・ブラウンズ戦で記録し、翌10日にニューヨーク・ジャイアンツのチーフ・マイヤーズがカブス戦で記録して以来、107年目の珍記録だ。

「運」の要素はたしかに大きいが。

 ちなみに日本では、1985年5月21日に近鉄・栗橋茂が南海戦で、翌22日に西武・岡村隆則がロッテ戦で達成している。それどころか2003年7月1日には、ヤクルト・稲葉篤紀が横浜戦で、ダイエー・村松有人が近鉄戦でまさかの同日達成。そして翌7月2日には阪神・桧山進次郎が中日戦で達成している。ここまでくればサイクル安打ラッシュだ。

「サイクル安打は『運』の要素が大きいからね。大記録とは言えないんじゃないか」と訳知り顔でファンは言うかもしれない。確かにそうなのだが、数々の記録を愛する我々日本の野球ファンは、半世紀前まで「サイクル安打」の存在さえ知らなかったのである。

“赤鬼”が教えてくれたのがきっかけ。

 1965年7月16日、京都の西京極球場で行われた阪急vs.近鉄戦で、阪急の3番・二塁に座った「赤鬼」ことダリル・スペンサーは打撃絶好調で、三塁内野安打、四球、中堅本塁打、左翼二塁打と結果を残す。

 5打席目は三ゴロに倒れるが、延長12回裏に6打席目が回ってきた。

 投手は佐々木宏一郎。

 スペンサーが思い切って振りぬいた打球は左翼線に転がる。赤鬼は巨体を駆って三塁に。この直後に、次打者である山口富士雄のサヨナラ安打が出て、スペンサーは本塁を踏んだのだ。

記者は誰もサイクル安打を知らなかった。

 試合は、4−3で阪急の勝ちとなった。

 熱戦を見届けた観客は3500人、閑古鳥が鳴いていたがこれは昭和の時代のパ・リーグでは「並み」の入りだった。

 記者たちは当然、猛打のスペンサーを囲んで話を聞く。

 5回に出た2ランホームランのこと、この日のホームランでライバルの南海、野村克也に3本差をつけたこと。そしてこの日、オールスター戦に選ばれたこと。

 スペンサーはいらいらしながら記者団に話した。

「どうして、サイクル安打について聞かないんだ?」

 大男のスペンサーは、NPBで2シーズン目のこの日まで三塁打は1本もなかった。無理をして、最終打席で三塁に駆け込んだのは、サイクル安打のためじゃないか。お前たちはなぜそのことを聞かないんだ?

 しかし、日本の記者たちは誰もサイクル安打について知らなかったのだ。

 翌日の新聞では、どこもサイクル安打について書いた記事はなかったという。

 記者、そして連盟記録部は、その後であわてて資料を調べたようだ。確かに「hit for the cycle」は、米のレコードブックにも掲載されている正式の記録だ。

 これは日本も連盟表彰記録にしなければならない――ということで、正式の記録となった。

スペンサーの直前は王貞治!

 連盟は、過去にさかのぼって調べることにした。

 スコアブックをひっくり返して追いかけると、スペンサーの前に22人が23回記録していることが分かった。

 スペンサーの直前は、2年前の1963年4月25日に巨人の王貞治が後楽園の阪神戦で記録していた。しかし、当然のことながら王は、自分がすごい記録を達成したとは知らなかった。

 NPBの初代のサイクル安打は、ミスタータイガースこと藤村富美男。1リーグ時代の1948年10月2日、甲子園での金星戦で達成している。

 驚くべきことに藤村は、1950年5月25日、甲子園の広島戦でも達成している。これはセ・リーグ第1号だった。

 その時点では名前もついていない、誰も注目していない記録だったが、藤村は「全部打ったるで!」と1人で執念を燃やして「物干し竿」と言われた長いバットを振り回したのだろう。それでこそ猛虎打線の総帥。大選手の面目躍如だ。

長嶋茂雄もイチローも未達成。

 NPBでは20年ほど前に横浜で無類の勝負強さを見せたロバート・ローズが3回達成、これに次ぎ、藤村と松永浩美、福留孝介が2回達成している。

 かと思えば、藤村にあこがれて三塁手になったといわれる長嶋茂雄は、一度もサイクル安打を記録していない。長打もあり、足も速かったが達成しなかったのだ。

 長嶋も含めて、NPBで2000本安打を打った52人のうち37人がサイクル安打を達成していない。あのイチローも日米で4000本以上の安打を打ちながら、達成していない。

 一方で、通算149安打しかしていない岡村隆則が前述の1985年5月22日の平和台、ロッテ戦で達成しているのだから面白い。

 MLBで言えば、通算最多安打のピート・ローズも2位のタイ・カッブも、ベーブ・ルースも記録していない。その一方でアレックス・オチョアはMLBのメッツと、NPBの中日で記録している。日米両国で記録したのは彼ひとりだけである。

 こう見ていくと、確かにサイクル安打は「運」の要素が強いと言える。

大谷はファンの想像を越えるような記録を!

 今季の大谷翔平は、投手としては全休の予定だ。

 トミー・ジョン手術明けのシーズンであり、プレッシャーはそれほど大きくない。この際、この手の記録を狙ってみてはどうか。

 今季、もう1回サイクル安打をできれば、20世紀以降27人目の2回達成。同じシーズンでの2回達成となると、2018年のクリスチャン・イエリッチに続いて4人目になる。

 できれば2回目は、単打、二塁打、三塁打、本塁打と順番に塁打数を重ねる「ナチュラル・サイクル安打」が望ましい。

 奇跡でも起こらないと無理だろうが、別の“サイクル”でもいい。

 二盗、三盗、本盗の「サイクルスチール」とか、ソロ、2ラン、3ラン、満塁の「サイクル本塁打」とか、そういうのもどうだろう。

 6月17日の試合後インタビューでは「体力的にも精神的にも今が一番いい」と言っている。今の大谷翔平は「持っている」のだ。何か、我々が想像をつかないようなことを、ぜひやらかしてほしい。

文=広尾晃

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