この夏の甲子園、大会を代表する投手として1人挙げるとすれば、星稜高・奥川恭伸投手で決まりであろう。

 150キロを、試合終盤でも捕手が構えたミットにきめられるパワーと技術。そしてスライダー、フォーク、カーブを自在に操る指先感覚の優秀さ……。それらの高い能力が、「総合力」という表現でプロ野球スカウトたちから賞賛されている。

 それも確かにその通りだが、私はそれとは別に、こんな表現で投手・奥川恭伸に敬意を表したい。

 球数制限を必要としない投手。

粒揃いの旭川大高を相手に94球完封。

 この大会、最初の試合。旭川大高との一戦を見ていて、こんな投手なら「球数制限」の必要はほとんどないんだなと思った。

 先発して9イニングを、シングルヒット3本、四球1つ、三振9つを奪って、投球数94球の1時間34分で完封してしまった。

 北海道のチームだから……と安く見ちゃいけない。今年の旭川大高は粒選りの選手が揃っていた。

 昨年夏の甲子園から2年連続の出場。春の北海道大会の時に練習を見に行ったら、選手のレベルが高くて驚いた。

「こりゃあ、今年の夏も旭大ですね」

 そう振ったら、いつもならば「いやー」と謙遜する端場雅治監督が照れもせずに言い切ったものだ。

「私も手応えを感じてます!」

 プロはともかく、大学ならレギュラーやローテーション入りできそうな選手が4人も5人もいる。それが証拠に星稜との試合、優勝候補を相手に一歩も引かない試合内容で、完封はされたが許した得点もわずか1点だった。

 その旭川大高との試合、奥川恭伸の真骨頂は「打者の技量を計りながらのピッチング」だった。

全ての球が全力なわけではない。

 この打者なら7割の力加減でだいじょうぶ。そう判断したら、7割のボールで打ち取る。

 この打者はスライダーが弱いと見ると、まずそのスライダーで厳しいコースを突いて打者にプレッシャーをかけておき、あとはボールゾーンに誘い球を配して、焦る打者に手を出させる。

 いつも全力投球じゃない。無駄球を投げない。だから、エネルギーロスが最小限に抑えられ、終始スイスイと投げているように見えた。

「全力」じゃない、という見立てにもし本人が不満なら、「力を入れすぎない全力投球」と言い直してもよいだろう。

 力いっぱい投げない代わりに、打者を観察し推理し、用心深く投げる。パワーだけじゃない、頭脳と感性も総動員させて、全部合わせて「全力投球」。

 だから94球で済んで、肩、ヒジ、腰にもそんなに負担を残さず、9イニング投げきれたのではないか。

「全力」という言葉の本当の意味。

 そもそも、投手の肩、ヒジの故障は、投げた球数そのものより、投げ方がよくないことと、なんでもかんでも力いっぱい投げてきたこと。そちらのほうが原因であることが多い。

「投げ方」についてはいつか触れることにして、なんでもかんでも力いっぱい投げること、つまり「全力投球」の意味に一考を加えてみる時期じゃないかと思う。

 全力疾走、全力プレー、全力投球……。

「全力」という言葉は美しい。

 全力疾走、全力プレー、そこまではよいが、「全力投球」というヤツには軽率に飛びついてはいけないように思う。

 全力投球とは、最初の1球から最後の1球まで力いっぱい投げることではない。ここ一番の場面で、渾身の力を込めて投げ込むことをいう。

 そこを間違えると、体を壊すことになりやすい。

奥川が持っている、投手としての技術。

 力を加減して投げる……のとはちょっと違う。たとえば7割のパワーで投げるなら、残り3割のエネルギーを、打者を観察し推理し用心深く投げることに使う。

 次のボールは打つ気がないなと読めば、6割のパワーでストライクを投げる。

 この打者のタイミングの取り方なら真っ直ぐ狙いだなと見抜ければ、カーブかスライダーでカウントを作る。

 3点リードがあれば、ランナー2人許すまでは丁寧に7割、8割のパワーで投げる。

 まさに、旭川大高打線を94球で完封した日の奥川恭伸のピッチングだった。

 これは「技術」だ。投手という職分として、当然持っているべき技術だ。

 お相撲さんも大きな体で押すばかりの取り口では故障も多く、勝ち星も上がらない。そこに投げ技があり足技があるからこそ、長い時間土俵に上がれて、成績も地位も上がろうというものだ

相手のタイミングを外すことの快感。

 スポーツとは、パワーとスピードと技術であろう。

 今の野球は、あまりにもパワーとスピードにばかり目を奪われてはいないだろうか。

 150キロ投げた投手に向かって、次の試合では160キロを目指しますか? と問う人がいる。冗談じゃない、今日のピッチングができたのは、130キロのスライダーと110キロのカーブがあったからだ。

 そりゃあ150キロ投げ込むのも痛快だろうが、もう一方の「投げる痛快さ」は打席の打者と向き合い、狙いを察して、その逆を突いてタイミングを外し、フルスイングをさせずに打ち取った時の快感であろう。

 そこが「ピッチング」のいちばん面白いところだ。

ピッチングとはいったい何をすることか。

 球数制限は、投手の肩とヒジを守るための「鎮痛剤」にはもちろんなる。

 その上で、技術をもって打者と向き合う「知恵」を投手の武器として教えること。

 そして、その知恵とは何か。タイミングを外すこととコントロールであること。そして何より投手たちが、そうした知恵が自分たちの強力な武器になることに気づくことが、球数制限以上に自分たちの肩やヒジを守ることになる。そこのところに行き着いてほしい。

 実のところ、高校に上がる前に、肩やヒジを故障している投手は多い。「球数制限」は、高校生だけの問題ではない。

 投手たちが、スピードボールを投げるだけの“機械”になってはいけない。

 ルールとしての「球数制限」も必要だろうが、もう一方、現場の努力として忘れてはならないのが、同じ球数でも負荷を小さくする技術を持った投手の養成であろう。

 高校で不幸な怪我を誘発させないためにも、「ピッチング」とはいったい何をすることなのか。

 そこに立ち返ることが、投手たちの肩、ヒジを守るための「根治療法」になるのではないだろうか。

文=安倍昌彦

photograph by Hideki Sugiyama