井端弘和氏の開幕戦始球式で始まった今夏の甲子園は、達川光男氏の決勝戦始球式で幕を閉じた。達川氏は広島商出身。1973年の第55回大会で全国制覇を達成している。

「(立っている)履正社の打者には絶対に当てられんと思って投げました。最高の思い出になりましたけど、本来なら、ここで投げているのは佃だったんです」

 外角高めへの1球を振り返りつつ、46年前にバッテリーを組んだエースに思いをはせた。落差の大きなドロップが特徴的な左腕だった佃正樹氏は、同年春の選抜大会では準優勝。夏と合わせて甲子園で10勝を挙げた名投手である。それなのに達川氏が「本来なら佃が……」と言わずにいられなかったのは、残念ながら2007年に病没したからだ。

高校、プロと因縁深かった達川と江川。

 今ならば間違いなく「江川世代」と呼ばれたことだろう。昭和の怪物・江川卓(作新学院)の噂は、選抜が始まる前から全国を駆け巡り、強豪は対策を練った。

 とはいえ、現在とは違って事前に映像など入手できない。打撃練習での距離を縮めるなど、懸命な速球対策も実らず、準々決勝までの3試合、25イニングで何と49奪三振。何とか当てたところで、木製バットでは外野まで飛ばすのもままならなかった。そんな規格外の怪物を、準決勝で倒したのが佃と達川のバッテリーを擁する広島商だった。

 前年の秋から続いていた江川の連続無失点を139イニングで止めたのが、佃のポテンヒットだった。さらに内野安打と四球で得た一、二塁から重盗で揺さぶり、捕手の悪送球を誘った。江川から打ったのはこの2安打だけ。2対1で振り切り、決勝に進出した。佃は後に法政大で江川とチームメートとなり、達川はプロ野球で対戦する。

 何かと縁があったということだ。

江川痛恨……押し出しによる敗北。

 春に怪物・江川を倒したのが広島商なら、夏に倒したのは銚子商(千葉)だった。江川は栃木大会では3試合がノーヒットノーラン。計5試合で2安打しか打たせずに、甲子園へと戻ってきた。

 柳川商(福岡)との初戦を延長15回、23奪三振で振り切り、迎えた銚子商戦も延長戦にもつれ込んだ。12回裏、1死満塁。名将・斎藤一之監督はここでストライクスクイズを命じる。

 雨の中、全力で投げたストレートは高めに外れ、押し出しで決着がついた。同じ関東勢。前年の公式戦から練習試合まですべて作新学院が勝っていたが、延長に入ってから降り始めた雨は、本格派の江川には不利だった。

「商業高校」が強かった時代。

 怪物を倒したのは春も夏も「商業高校」だった。46年前は甲子園の最大勢力は「○○商」だったのだ。

 記念大会で48代表だった「江川の夏」は、北から札幌商(南北海道)、青森商、銚子商、藤沢商(神奈川)、糸魚川商工(新潟)、富山商、福井商、中京商(岐阜)、京都商、岡山東商、広島商、浜田商(島根)、萩商(山口)、高松商(香川)、高知商、柳川商(福岡)、唐津商(佐賀)と実に17校を占めていた。さらに工業高校が前橋工(群馬)、川越工(埼玉)、甲府工(山梨)、金沢市工(石川)、鳴門工(徳島)、日田林工(大分)の6校である。

 江川から25年後の「平成の怪物」こと松坂大輔(中日)が輝いた第80回大会も記念大会のため55代表だったが、商業高校は富山商、徳島商、宇部商(山口)の3校のみ。工業高校は出場しておらず、農業高校が金足農(秋田)、新発田農(新潟)の2校であった。

 さらに21年後となる今回の第101回大会は、出場こそかなわなかったが「令和の怪物」と騒がれる佐々木朗希(大船渡)の世代である。商業高校が高岡商(富山)、明石商(兵庫)、広島商、高松商で、工業高校は熊本工のみ。広島商は15年ぶり、高松商は23年ぶりと古豪復活を印象づけた大会となった。

転勤のある公務員の指導者では強くなれない。

 商業高校の苦戦は、野球部に限ったことではない。少子化に伴い、大学進学への意欲と普通科志望は平成の間にさらに高まった。野球部においてはとりわけ地方での私立高校の強化がめざましく、転勤のある公務員教員が指導する公立校では太刀打ちするのが年々難しくなったのだ。

 普通科志望が強まったことにより、商業高校は変革を迫られた。「昭和の怪物」の時に甲子園に出場した17校のうち、私立商業はすべて校名を変更している。札幌商(北海学園札幌)、藤沢商(藤沢翔陵)、中京商(中京大中京)、京都商(京都学園)、柳川商(柳川)で、札幌商と京都商は現在、商業科そのものがない。生き残りのため、私学は特進コースを新設し、急速な進学校化を推進しているのだ。

 一方、地方の公立校は再編の波にもまれている。糸魚川商工は糸魚川白嶺に、鳴門工は鳴門渦潮に校名が変わっているが、他校との統合などさまざまな理由がある。

半世紀も部活動の強さを維持できるか?

 なお、江川、松坂、佐々木世代が出場した3大会のすべての甲子園に出た高校はないが、最も年代が離れている江川の時と今大会ともに出ているのは佃、達川の広島商、江川の作新学院を含めて7校ある。

 46年前の出場校名を見ていると、現在は甲子園出場には距離がある学校もあるが、実力を維持している学校もたくさんある。ほぼ半世紀をへて、部活動の強さを保てているということは、私学、公立どちらであっても困難なことではないだろうか。

 というのもこの夏を制した履正社や、昨年の春夏連覇校の大阪桐蔭などは「江川の夏」では学校自体が誕生していないか、野球部が甲子園を目指せる強さではなかったからだ。それでも私学なら短期間で強化することは可能だが、公立だとさまざまな制約がある。

 その点では春夏4強の明石商は特筆に値する。

 混同されることがあるようだが、戦前の強豪として知られた明石中は現在の明石高(通称・明高/めいこう)で、「明商(めいしょう)」は市立高校。「野球を通じた町おこしを」という明石市の公募によって、市の職員に採用されたのが派手なガッツポーズで話題になった狭間善徳監督である。指導者としての実績は明徳義塾中などで培ったが、高校野球の監督は初めて。明石市出身だが、明石商のOBではない。

甲子園とは「時代を映す鏡」。

 狭間監督は、最初に1年間のコーチとしての活動を経て、2007年に監督に就任。

 市も屋内練習場の建設や学区を広げられる推薦制度の導入など、町おこしとしてバックアップ。狭間監督の指導力もあり、急激に力をつけた。野球部としての伝統は浅いが、令和の新たな強豪となる雰囲気に満ちている。平成の間にすっかり衰退してしまった「公立の商業高校」の見事な復権例といえそうだ。

 江川包囲網を敷いたのは強き商業高校。江川を倒した銚子商は、2年生エースの土屋正勝(のち中日など)がさらに成長し、翌年夏の甲子園を制している。

 平成の怪物世代では私学全盛となり、令和の怪物世代は再び公立校が勢力を挽回しつつある。

 出場校を見れば世相がわかる。ある意味では甲子園とは「時代を映す鏡」なのだ。

文=小西斗真

photograph by Katsuro Okazawa/AFLO