2019年12月8日。福島県のとうほう・みんなのスタジアム。

 J3第34節、福島ユナイテッドFCの敵地に乗り込んだザスパクサツ群馬は2−1で勝利し、3年ぶりのJ2昇格を手にした。

 サポーターからの歓喜の紙テープが降り注いだピッチサイドで、胴上げされたのが就任2年目の布啓一郎監督と今季レノファ山口から加入した最年長のゲームキャプテン、DF渡辺広大だった。

「僕だけですよね、監督がしゃべっているときにピシッと直立不動をしているの。最後もみんな『布コール』と呼び捨てにしていましたけど、僕はひと言も言っていません。1回も言っていません。

 布先生は口数が多くはありませんが、選手を本当によく見ています。選手の怪我やトラブルを含めて、凄く見ている。なので、毎日ピリピリした雰囲気の中で練習ができたことは、若手にとってもよかった事だと思います」

 試合後にこう話したように、2人は強固な「師弟関係」で結ばれている。

「君のような選手が必要だ」

 今から18年前の2001年。当時、中学3年生だった渡辺は千葉県のウイングスS.S.習志野でプレーしていた。そんな渡辺に熱い視線を送っていたのは、市立船橋高校の監督を務めていた布だった。

「当時から身体も大きかったですし、ウイングスでボランチなどをやっていて、彼の真面目なパーソナリティーが非常に魅力的だった。昔から上手い選手ではなかったですが、中学生の時から声を出して真面目に戦っている姿を見ていたし、リーダーシップもある。上手い、下手ではなく、絶対に市立船橋でやれると思っていた」

 すでに選手権、インターハイを制していた布だったが、新たな市立船橋を築くべく、その白羽の矢を渡辺に立てたのだった。だが、渡辺は地元・強豪校である習志野高校に進学するつもりだったという。

「完全に僕の心は習志野でした。ウイングスの仲間もみんな行くと言っていて、僕もそのつもりでした。でも、布先生が選考会に呼んでくれたので、『1回くらい行ってみるか』と思って参加したんです。その後、個別で面談があり、『ウチに来てほしい。君のような選手が必要だ』と熱意のある話をいただいた。そこで心が大きく揺れ動いたんです。布先生は有名でしたから当然知っていましたし、その偉大な方が真正面から僕と向き合ってくれていることがわかった。布先生の下でサッカーがしたいと思ったんです」

 熱烈なラブコールによって、渡辺の心は突き動かされた。

錚々たる先輩に囲まれた1年生。

 布は入学してきた渡辺をCBにコンバートした。

 渡辺が入学した当時、CBのポジションは最激戦区だった。「堅守・市船」の象徴でもある背番号5を背負っていたキャプテンの大久保裕樹やコンビを組んでいた青木良太、その1つ下の世代には増嶋竜也(千葉)が並び、DF以外でも小宮山尊信、小川佳純(元新潟)、原一樹(元熊本)など、3年生には後のJリーガーとして活躍する選手たちがそろっていた。

 試合の出場こそ難しかったが、それでも布は1年生の渡辺を常にAチームに帯同させた。それは、布が渡辺に送った「将来は彼らのようにお前が柱となれよ」というメッセージでもあり、彼自身もそれをしっかりと感じ取っていた。

「試合に出られなくても、毎日が本当に刺激的でした。2年生にも増嶋さん、カレン・ロバートさん、鈴木修人さん、佐藤優也(千葉)、石井秀典(徳島)さんと錚々たるメンバーがいた。1年生からそんな人たちに囲まれて練習や遠征をするのは、学びしかありませんでした。他にも同じポジションで上手い先輩もいたので『俺なんかがここにいていいの?』と思っていました」

 しかし、布はこの年の高校選手権優勝を置き土産に退職。翌年にU-16日本代表の監督に就任した。師弟関係はわずか1年で解消になった。

背番号5をつけて成長、プロの道へ。

 その後、渡辺はすくすくと成長を続けた。2年で不動のレギュラーの座を掴み、先輩・増嶋とのコンビで高円宮杯全日本ユース(現・高円宮杯プレミアリーグファイナル)で優勝。その増嶋から背番号5とキャプテンマークを引き継いだ3年時では、インターハイ準優勝、選手権準優勝という成績を残した。翌年、ベガルタ仙台に加入し、プロキャリアをスタートさせた。

 仙台で10年、モンテディオ山形で2年過ごした後、山口へ移籍。そこで2年目のシーズンを迎えていた2018年、布はJ3群馬の監督に就任していた。

「夏くらいに、布先生から『もし来年、群馬がJ2に上がったら力を貸してほしい』と電話をもらったんです。教え子なんて数多くいるのに、なぜ俺に声をかけてくれたのかが不思議だったし、嬉しかった」

 その年、群馬はJ3で5位で終わり、J2昇格を果たせなかったが、渡辺も去就について不穏な空気が流れ始めていた。

「先生と生徒だった関係は取っ払って」

「最初は(山口から)移籍をするつもりはなかったのですが、残るのが厳しい状況になったので、移籍先を探し始めたんです。もちろん残る可能性もありましたが、もう他のJ2クラブは補強がひと段落していた時期で、宙ぶらりんの状態に……。その時にもう1度、声を掛けてくれたのが布先生でした」

 渡辺は中学時代と同じように布の誘いを受け、群馬へレンタル移籍を決断した。同時に厳しい言葉をかけていた。

「ただ、お前が来るからと言って、スタメンで使うとは思うなよ。ちゃんとした競争がある世界だから、お前がちゃんと正当に(ポジションを)勝ち取らないと。俺とお前が先生と生徒だった関係は取っ払ってやってほしい」

 その言葉には、教え子への愛情が詰まっていた。

「もちろんです。群馬のために全力を尽くします」

 渡辺は力強く答え、覚悟を持って自身初のJ3のシーズンに臨んだ。

リーグ戦全試合フル出場。

「プレシーズンの時から使ってくれて、副キャプテンに任命してくれた。この時点で『お前が引っ張っていけよ』という布先生の無言のメッセージを受け取りました」

 開幕戦からCBとしてレギュラーの座を勝ち取ると、リーグ34試合の全試合にフル出場。勝てない時期も、昇格圏内から遠のく時期もあったが、布は渡辺をずっと使い続けた。彼もその期待に期待に応えるべく、すべてをチームのために注ぎ込んだ。

 最終節の福島戦、その2人の思いが結実する。

 J2昇格がかかった大一番で、均衡した試合を動かしたのが渡辺だった。

 48分、群馬は右FKを得ると、MF姫野宥弥のキックに鮮やかなジャンピングボレーシュートで合わせ、ゴールを奪って見せた。このゴールで勢いに乗った群馬は55分にもPKで加点。終盤は渡辺を中心に身体を張って守りきり、最後は4トップにして反撃に出た福島を1点に抑えた。

満面の笑みを浮かべた布先生。

 歓喜のホイッスルを耳にした試合後、殊勲の渡辺がインタビューブースに立った。先にインタビューを終えていた布は、その様子を5mほど離れた場所で見つめていた。

「監督、みんなが呼んでいます」と、スタッフがサポーターの前に連れて行こうとしたが、それを断り、「広大が終わるまで待っているから」とその場を離れなかった。

 渡辺がインタビューを終えて歩き出そうしたとき、満面の笑みを浮かべた布先生の姿が目に飛び込んできた。込み上げてくる思いを抑えながら、2人は熱い抱擁を交わしたのだった。

「僕を待ってくれていて、抱きしめてくれた。それだけでここに来た意味があったと思いました。正直、この瞬間を味わうためだけに来たと言っても過言ではありませんでした」

 すべてが報われた気がした。義務を果たせた気がした。それは布も同じだった。

「指導者冥利につきるというか、まさかここで市船時代の教え子と選手と監督の立場で一緒に戦えるとは思っていなかったですし、この大一番でまさか点まで取ってくれるとは……。本当に広大と一緒に戦えてよかった」

宝物となった群馬での1年間。

 昇格決定から3日後の12月11日、布監督の退任が発表された。またしても2人の師弟関係は1年間で幕を閉じた。

 布はそれを察していたのだろうか。福島戦後のミックスゾーンで渡辺を呼び寄せ、こう言った。

「まさか教え子と一緒に戦えるとは思わなかった。1年間、本当にありがとう」

 師弟関係は実質2年間。だが、すべて渡辺の人生において重要なセクションだった。

「布先生の凄さを18年ぶりに一緒に戦ったこの1年間で改めて感じました。本当に偉大な人で、自分の人生になくてはならない人。ザスパで過ごした1年間は本当に宝物になりました」

 これから先、また師弟関係になることはあるのだろうか。ともかく、群馬で刻まれた1年間が2人に大切な時間になったことは間違いない。この幸せな関係は、一生色あせることはないだろう。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando