2019年3月21日。その日はついにやってきた。

 1カ月前。10カ月ぶりに現役復帰を許されたスプリングトレーニングではフリー打撃で柵越えを連発していた。右翼オンリーとも言えた本塁打の打球方向は中堅から左中間にも伸びるようになった。

 飛距離アップは誰が見ても明らか。その上に45歳にして走攻守に於ける華麗な動きも健在。これまで球界にあった固定概念をことごとく覆してきた背番号51ならば、不可能も可能になるのではないか。本気で思った。

 ところが。

 オープン戦が始まると今までには見たことのない光景が続いた。7打席で5三振を含む18打席連続無安打。打率は.080。打席内で首をかしげる姿が多くなった。

 それでも、打撃感覚はたった1球で蘇る。イチローならば奇跡は起こる。そう信じ続けた。しかし……。

 始まりがあれば終わりがあるのは世の常。3月20日、21日に行われた東京ドームでの開幕シリーズ後、彼は現役生活に別れを告げた。

周囲が衰えを指摘しだした頃。

 筆者がイチロー番記者となったのは2012年から。彼が38歳のシーズンからだった。

 前年、入団から10年続けてきたシーズン200安打が途切れ、周囲は衰えを指摘しだした。ヤンキース、マーリンズへと変えた所属先では第4の外野手扱い。過去に残した実績に関係なく、年齢だけでポジションは決められた。

 だが、その彼から不平、不満を聞いたことは一度もなかった。それどころか、立場に関係なく常に変わらぬ準備を続ける姿にチームメイトや関係者はより尊敬の念を抱くようになった。

「自分のことで精一杯だったけど」

 その頃からだっただろうか。彼の発言内容が変わってきた。

「自分のことで精一杯だったけど、人の思いに応えたいという気持ち。自分のことをやるのは当然ですけど、それと同じくらいに生まれる」

 殿堂入り確実の世界最高峰の名選手に対し、失礼ながらも“経験が人を育てる”、“人の痛みを感じるようになった”のだと思った。

 その謙虚な姿勢は現役引退まで続いた。16年シーズンに悲願の3000安打を達成した際にはこんな言葉を選んだ。

「達成した瞬間にチームメイトたちが喜んでくれてファンの人たちが喜んでくれた。僕にとって3000という数字よりも、僕が何かをすることで僕以外の人たちが喜んでくれた。今の僕にとって何より大事なことだというのを再確認した瞬間でした」

子供達に授けた2つの言葉。

 そして、現役引退。

「自分のこと」から「周りの方々への感謝」へと変わった野球観は「お役に立ちたい」へと変わった。

 12月13日から15日にかけて受講した「学生野球資格回復制度」の研修会でその思いを寄せたイチロー氏は22日、故郷の愛知県豊山町で行われた「第24回イチロー杯争奪学童軟式野球大会」の閉会式で子供達に2つの金言を授けた。

「みんなが謙虚な気持ちで先生を尊敬し、自分自身を自分で鍛えて欲しい」

 近年、パワハラとも批評される風潮がある中で指導者の威厳は弱まっている。「厳しく教育することが難しい」とされる時代背景を嘆きつつ、小学生にこう言った。

「最終的には自分。そういう時代に入ってきた」

 もうひとつは、自ら行動して挑戦することの尊さだった。スマートフォンひとつでなんでも調べられる時代に「世界が小さくなったように思えるが、外に出て分かることがある。体験して感じて欲しい」と力説。経験し、考えることが成長に繋がると自負してきたレジェンドは実感を込めて続けた。

「当たり前のことが当たり前でないことに気付き、価値観が大きく変わる経験をして欲しい」

お願いされれば、どこにでも……。

 まさに日米28年間に及ぶ現役生活の集大成とも言える金言。次世代を担う野球人の育成こそが自らが育った日本球界への「恩返し」になることを公言したイチローさんはアマチュア野球への指導についても言及した。

「特定の学校に常勤しなければ、いろんなところで『お願いします』と言われれば、どこにでも行くことができる」

 自ら培った経験と技術を自分の言葉で直接伝える。

 第2の野球人生をとなる2020年は恩返しをベースに“日本球界のためにお役に立ちたい”の思いでスタートする。

文=笹田幸嗣

photograph by Kyodo News