日本のスケート界に「二刀流」が誕生した。

 昨年12月26日から29日まで長野・エムウェーブで行なわれたスピードスケート全日本選手権のオールラウンド部門女子で、平昌五輪ショートトラック代表の菊池純礼(富士急)が初出場初優勝を果たした。

 500mから5000mまでの4種目の合計で競う試合。菊池は26日の500mと3000mで1位になると、27日の1500mで1位、5000mでは3位。4種目のうち3種目でトップとなり、優勝した。

 菊池は昨年、ショートトラック全日本選手権の女子総合で2連覇を果たしている。

 スピードスケートとショートトラックで全日本選手権を制した選手は男女通じて3人目で、ショートトラックが五輪種目となった1992年以降は初の快挙だ。しかも、ショートトラックの全日本選手権が行なわれたのはわずか数日前の12月22、23日。

「総合優勝できるとは思っていませんでした。すごくびっくりしています」と声を弾ませ、1930年に始まった伝統ある大会を制したことを喜んだ。

ジュニア時代にも「二刀流」。

 長野県南佐久郡で五人姉妹の末っ子として生まれた。

 姉妹には五輪選手がズラリ。次女の彩花はスピードスケートの代表としてソチ五輪と平昌五輪に出場し、平昌では女子チームパシュートの一員として金メダルを獲得した。三女の悠希、四女の萌水もショートトラックで五輪代表入りしている。

 今回の全日本ダブル制覇により、「二刀流」として注目を浴びている菊池だが、ジュニア時代から両競技でハイレベルなポテンシャルを示していた。

 長野・小海高校1年生のときにあった'12年インスブルック冬季ユース五輪に、両競技の日本代表として出場しているのだ。

 結果は、スピードスケート女子1500m銅メダル、同マススタート銅メダル、ショートトラック女子1000m銅メダル、同500m5位など堂々たる成績。その後、高校3年生まではスピードスケート全日本距離別選手権にも出ていたが、高校を卒業して社会人のトヨタ自動車に入ったのをきっかけに、ショートトラックに専念して五輪を目指した。そして、平昌五輪で夢を叶えた。

昨年5月に富士急に移籍してから……。

 だが、そこにとどまらないのが菊池という選手である。

「やっぱり、スピードスケートでも五輪を目指したい」

 そう思ったのは、平昌五輪のチームパシュートで姉の彩花が金メダルに輝く姿を会場で見たとき。当時所属していたトヨタ自動車はショートトラックのチームしかなく、ナショナルチームの強化体制もショートトラックとスピードスケートは完全に分けられていたため、夢は封印されたが、心の中では種火を絶やさなかった。

 状況が変化したのは昨年5月に富士急に移籍してからだ。

 富士急には姉の彩花が在職中で、現在もスピードスケート部のコーチを務めている。また、ショートトラックのナショナルチームでヘッドコーチを務める長島圭一郎(バンクーバー五輪スピードスケート男子500m銀メダリスト)は姉の夫で、菊池にとっては義兄にあたる。

トップレベルで両立は極めて困難。

 菊池の意向を受けた“家族”全体が、それならばと協力し合ったことでバックアップ態勢を整備していく見通しがついた。こうして'19年秋、菊池は4シーズンぶりのスピードスケート復帰を果たした。

 ショートトラックとスピードスケートの両立は日本でもジュニア世代では珍しくなく、前述の通り、菊池自身も高校生までは二刀流だった。

 けれども、トップレベルになれば話は別だ。リンクのサイズ(ショートは1周約111m、スピードは400m)や道具などが異なるほか、練習拠点や試合日程も異なったり重なったりで、両立は極めて困難。そのため、五輪で両方の代表になる例は滅多にない。

 ショートトラックとスピードスケートの二足のわらじを履くことはどのように難しいのか。菊池によれば、「コーナーリングではショートトラックの技術が生きる」という反面、特性の違いに苦労する部分もあるという。

ブレードが離れるか、接着されているか。

 例えば、ショートトラックはブレードが靴に接着されているが、スピードスケートはかかとがブレードから離れる仕組みになっており、力の出し方に多少の違いがある。

 また、練習では、隊列をつくって高速で滑るスピードスケートの方が前後の距離が狭く、ブレードが離れることとも相まって恐怖感があるという。素人目にはショートトラックの方が怖そうに見えるので意外だ。

 また、ショートトラックでは通常4〜6人の選手が同時に滑るが、スピードスケートはダブルトラックで2選手がそれぞれのレーンを単独滑走というのが基本。「1人で先頭を引っぱりきるという経験がなかなかないので、そこが難しい」という。

“二刀流”は大谷翔平だけではない。

 ただそれでも、平昌五輪で女子初となる同一大会のショートトラックおよびスピードスケートのメダルを獲得したヨリン・テルモルス(オランダ)のような存在はいる。菊池も「テルモルス選手から刺激をもらった」と話している。

 昨今は日本でも多様性という概念の広がりと浸透が進む中、MLBロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平という世界的なアイコンの登場により、新たな領域へチャレンジするトップアスリートが一気に増えた印象がある。

 '18年には、スノーボードの男子ハーフパイプでソチ五輪と平昌五輪の2大会連続銀メダルに輝いた平野歩夢がスケートボード・パークへの挑戦を宣言し、'20年東京五輪での“冬夏メダル獲得”を目指している。

 また、平昌五輪フリースタイルスキー・男子モーグルで銅メダルを獲得した原大智は'19年からスキーを一時休止し、競輪選手を目指すべく、日本競輪選手養成所に入所した。いずれも、険しい道のりをあえて選ぶ気概を見せての転向だ。

あっぱれな“デビュー戦V”。

 菊池の場合は、'22年北京五輪でショートトラックとスピードスケートの両方で代表になることを目標としている。菊池の指導も行なう姉の彩花は、「純礼が道をつくれば後進の選手たちの選択肢も増える。そういうところは、大人が道を整えてあげられればいい」と後押しする。

 スピードスケート全日本選手権は'19年から大会形式が変わり、今回は高木美帆や高木菜那、小平奈緒らの有力選手が、同時開催の距離別代表選考レースを選んだために出場していなかった。

 トップクラスの選手が不在の中でのタイトルであるため、菊池に満足感はなく、「挑戦するからには五輪で戦うところまでやっていきたい。小平選手、高木美帆選手、高木菜那選手を超していかないといけない」とさらに目標を高く設定している。

「自分には守るものはない。本当に新しいチャレンジ。楽しい気持ちでいっぱい滑っています」

 あっぱれな“デビュー戦V”という結果で道を切り開いた菊池は、いきいきとした顔でそう言った。

文=矢内由美子

photograph by Matsuo/AFLO SPORTS