鬼気迫る表情で最終ラインに君臨し続けた。

 青森山田の2年生・CB藤原優大は高校サッカー選手権の舞台で、182cmの高さと屈強なフィジカルを活かし、攻守において制空権を握っていた。1対1の強さ、スピードを生かしたカバーリング、味方を鼓舞する大きな声。2年生とは思えぬプレーで、チームの守備の柱となった。

 だが、2連覇を懸けた静岡学園とのファイナルで非情な現実を突きつけられた――。

 11分に古宿理久の左FKに反応し、ニアサイドで打点の高いヘッドを叩き込み、今大会初ゴール。チームに先制点をもたらした。しかし、2−1の1点リードで迎えた61分。藤原は一瞬の隙を静岡学園に突かれてしまう。

藤原が許した「一瞬の隙」。

 自身から見て右方面から静岡学園MF草柳祐介が中央に向かってドリブルを仕掛けてきた。その時、藤原は左にいたFW加納大を何度も確認した。草柳が加納に当ててくるのは分かっていたからだ。

 だが、ともに最終ラインを担った右サイドバックの内田陽介と右CBの箱崎拓が草柳に食いついたことで、藤原は咄嗟にカバーのポジションを取った。その瞬間、草柳は加納にパス。藤原は警戒していた加納に隙を与えてしまった。すぐさまブロックにいこうとするも、加納の鮮やかなターンにかわされ、同点弾を許してしまう。

 さらに85分には、ファーサイドに飛んだ左FKに対し、そのエリアをケアしていた藤原とMF松木玖生が反応できず、静岡学園CB中谷颯辰に決勝ヘッドを沈められてしまった。

「2失点とも自分のせい。心の底から悔しかったし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。特に2失点目はずっと準備をしていて、(加納に対して)正面に立とうと思っていたのですが、一瞬でターンをされて……。あそこをついていけないのは自分の実力の問題。3失点目もそう。本当に今までお世話になった3年生に申し訳ないです」

 試合後のミックスゾーンで、彼は目を若干赤らめながらも毅然とした態度でハキハキと反省を口にした。

 DFとして悔しい結果に終わってしまったが、藤原がいたからこそ、青森山田はここまで結果を出すことができたと言っても過言ではない。間違いなく、彼はこの1年間で物凄く成長した。ピッチ上での佇まい、影響力は間違いなく、春先とは違ったものであった。

伝統の堅守を司るCBへ。

 2019年は藤原にとって覚悟の1年だった。

 昨年度の選手権において、1年生としてただひとり、決勝のピッチに立って優勝を経験した。

「今年は選手権メンバーが少ないからこそ、経験している自分がそれをチームに還元しないといけないと思っています」

 この覚悟の表れがCBへの本格コンバートだった。もともと彼はトップ下やボランチでプレーする選手だったが、1年時の9月に「CBも選択肢に入れてみろ」と黒田剛監督に言われたことで、状況に応じて取り組むこととなった。

 そして優勝を支えたGK、DFラインがごっそりと抜けたことにより、新チームの堅守の中枢として白羽の矢が立ったのだった。

「自分の中で整理がついていましたし、心の中で(CB1本で)やりたい気持ちはあった。いろんなポジションができる力を生かせる時が来たとも思っています」

 早速、2018年新人戦では三國ケネディエブス(現アビスパ福岡)が背負っていた5番のユニフォームを着て、CBとして君臨。年が明けた1月の東北新人大会、3月のサニックス杯などを経験していくうちに、自身も手応えを感じていた。

中学時代から知る主将・武田の変化。

 だが、いざプレミアリーグEASTが始まると、その認識が甘かったことに気づかれる。

「緊張感と、対峙するFWのレベルが上がったこともあって、一気に自分のプレーが通用しないシーンが出てきた。その中で仲間に助けてもらっている自分が情けないというか、責任を果たせていない自分がいた。青森山田のCBがこれでいいのかと思い始めました」

 自分に課せられた責務の重さに気づく日々。それは現チームにおいて、昨年度の唯一のレギュラーとして攻撃の中枢を担っていたMF武田英寿の姿を見ても分かった。

「ヒデさん(武田)も中学から含めると5年間も一緒にやっていますが、10番とキャプテンマークを託されたことで本当に変わった。食事も含めて、ピッチ内外での雰囲気も変わったし、それは同時に強烈なプレッシャーと戦っているように見えた。だからこそ、僕も同じピッチに2年生で立たせてもらって、ひと桁番号をもらっている以上、責任を果たさないと他のレギュラー、ベンチ、ベンチ外の選手たちに示しがつかないと思った」

 意識が大きく変わった。それに彼にはここで成長しないといけない理由があった。

青森出身の柴崎岳のように。

 藤原の出身は青森県弘前市。小さい頃から青森山田は地元の象徴的なチームだった。裏を返せば、青森山田以外の県内高校に進めば、全国大会が遠ざかることになる。

「リベロ津軽ジュニアユースで全国を目指すか、青森山田中に行って全国制覇を目指すかの2択だった。でも将来を考えたときに目標を高くしないと、自分が望むものを手に入れられないと思ったんです。青森山田は中高ともに、青森県では絶対的な1強。同時にそこに行く事は相当きつい6年間になると誰もがイメージできる。だからこそ、『入る』という決断を下すには相当な覚悟がいる。

 覚悟を持って来たにも関わらず、中学に進んでからは正直、何回も『あのままリベロ津軽で気心知れた仲間と楽しくサッカーをしていたらよかったのかな』と思ったことはありました。でも、苦しい時こそ自分の覚悟という原点に立ち返ることができた。

 それに僕は青森県出身だからこそ、ここで6年間通して成長し、プロに行くことで弘前の子どもたちだけでなく、柴崎岳(現デポルティーボ・ラ・コルーニャ)選手のように青森の子どもたちに大きな夢を与えることができるんです。絶対にくじけたらいけないと思っていました」

 青森山田の象徴的なOBである柴崎も、青森県野辺地町出身。県外から来る選手が多くいる中、地元の選手が青森山田で6年間、絶対的な存在として育ち、ロシアW杯に出場をした。柴崎の存在は藤原を始め、多くの同郷の子どもたちに夢と希望を与えた。同時に室屋成、神谷優太、郷家友太、そして武田など県外から来た選手の覚悟と成長も知っている。

プレーもフィジカルも成長した。

「青森山田中からサッカーを始めれば、高校の黒田剛監督やコーチが見てもらえるし、常にお手本となる意識が高い高校生たちと同じグラウンドで練習できる。本当に恵まれた環境だと思っています。僕も高校の先輩やスタッフに多くのアドバイスをもらっていたし、一緒にAチームの練習に参加させてもらったり、試合もさせてもらえた。高校の全国トップレベルを目の当たりにしているし、その人たちが見てくれているので、現状に満足している暇がないんです」

 中3ではキャプテンとして主軸を張り、高校に上がっても順調に出番を掴んだ。だが、それでもCBにとしての覚悟が足りなかったことに気づいた。

「僕は競り合い、ボール奪取を求められている。高さだけでなく、自分のスピード、両足が蹴れることも生かせるという実感があるからこそ、青森山田のCBとしてどんな時も崩れない存在にならないといけない」

 ボランチ時代から磨いていた利き足とは逆の左足のキック。両足で蹴れるようになったからこそ、左右どちらでもカバーの動きがスムーズにできる。シュートブロックも右足だけでなく、左足でもいける。CBとして自分がやれることが多い手応えと、青森山田の守備を司る者としての覚悟と自覚が、彼の成長速度を一気に高めていった。

 ハイレベルなプレミアリーグEASTの激戦を重ねるごとに成長し、フィジカルもまだ細さを感じた春先から、ひと回りもふた回りも大きくなった。心身ともにCBとしてのスペックはこの1年で着実に増えた。

「まだまだこんなもんじゃない」

 そして迎えた今大会。何度も献身的なカバーリングがチームの危機を救ってきた。裏を狙われても、スプリントとスムーズな足出しでボールをセーフティーゾーンに弾き、1対1と空中戦では無類の強さを発揮した。終始、味方に大きな声を出して鼓舞をする姿は、まさにDFリーダーだった。それでも決勝では3失点を喫した。

「3年生と最後まで試合ができたことは準優勝という結果以上に価値があるし、単純に楽しかったです。でも、今回の失点で自分がどう守らないといけないかをもう一度考え直さないといけないと思っています。

 2点目はその前のプレーで距離を寄せたり、自分のコーチングで周りを動かすこともできた。試合を見る目や声の質だったり、そういう細部にまでこだわらないといけないなと凄く思った。この3失点という事実を糧にもっと成長しないといけないと思う。この悔しさを結果に繋げるには口だけじゃなくて、ひとつずつコツコツ結果を出していきたい。こんなんじゃダメだし、自分はまだまだこんなもんじゃないと思っています」

最後まで涙は見せなかった意味。

 新チームでは彼がキャプテンとなるだろう。プロのスカウトもより具体的な動きを見せてくるだろう。2020年は彼にとってさらに責任と覚悟が必要な1年となる。

「高校卒業してすぐにプロになることを考えています。青森山田中に入る時も、弘前市出身のJリーガーは誰もいなくて、『自分が最初になる』と思っていたんです。でも昨年、ヴァンラーレ八戸がJ3に上がったことで、初の弘前出身の選手(成田諒介/現ブランデュー弘前FC)が誕生したので、僕は初の高卒即Jリーガーになりたいと思っています。

 柴崎選手のように県民に応援される存在になりたいですし、そのためには来年の1年間は多くのものを背負いながら、自分らしく戦っていきたい。もちろんまたこの場所に帰ってきます」

 失点を糧に。そして青森出身というプライドを糧に。

 決勝戦後、彼は1度も涙を見せなかった。泣きじゃくる3年生の背中を叩きながら、静岡学園の表彰台での姿を、表彰式後のスタンド前でのセレブレーションを目に焼き付けるようにじっと見つめていた。その眼光は未来の自分に放たれていた。「次こそは」と。

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando