バルカンの小国コソボは、ユーゴ内戦の際にはコソボ紛争('98〜'99年)の起こった地域として有名である。独立を果たした現在はFIFAにも加盟し、スイス人監督ベルナール・シャランドのもと、EURO2020予選において直接の本大会進出こそ逃したものの、この3月には初出場を賭けてプレーオフを戦う。

 シャランドは有能な監督である。筆者(田村)も面識があり、スイスU-21代表監督(2001〜'07年)当時は、彼の車に乗って何度もスイスの若き代表の練習を見に通ったこともあった。旺盛に監督業をこなし、すべて規格外のシャランドを、スイスのジャーナリストたちが「あいつはクレイジーだ!」と、愛情を込めて語っていたのもよく覚えている。

 そのシャランドに率いられたコソボ代表は、課せられたふたつの崇高な使命――サッカーによりコソボ国民の日常生活に彩りを与え、ヨーロッパ大陸の目をコソボに向けさせる――を成し遂げた。

 コソボでいったい何が起こったのか。『フランス・フットボール』誌12月10日発売号で、ロマン・ウェルテル記者がリポートしている。

監修:田村修一

あと一歩でEURO2020出場だったが……。

 コソボが独立を宣言したのは、つい2008年のことに過ぎない。FIFAへの加盟は2016年。初めて参加したロシア・ワールドカップ予選では、アイスランド、クロアチア、ウクライナ、トルコ、フィンランドと同じグループに入り、勝ち点1しか獲得できずに終わった。

 ネーションズリーグではディヴィジョンDを1位で終えるという成功を収めたものの、本当の実力が試されるEURO2020予選では、果たしてどれだけできるのかという不安を拭い去れずにいた。

 だが、いざ蓋を開けてみると……“ダルダネット(コソボ代表の愛称)”は予選最終節直前まで突破の可能性を残し、最終的には予選突破ならずの第3位(勝ち点11)に終わったものの、大きな躍進を見せたのだった。

 代表監督を務めるスイス人のベルナール・シャランドは、「プレーし、進化し、学ぶ」という予選の目標は達成できたと胸を張った。

生まれたての代表チームが勝利を重ねた!

 実際、コソボ人にとっても、予選において自分たちの代表がモンテネグロ(ホーム、2対0)やブルガリア(アウェー、2対3)、チェコ(ホーム、2対1)といった名の知れた国々から勝利を得たのは大きな驚きだった。

 イングランドに対しても、敗れはしたものの初戦のアウェー(第6節、2019年9月10日。5対3)で3得点を挙げたのは大健闘といえた。

 コソボの人々は、ダルダネットがどれだけ成熟し、どれほどの進化を遂げたかを、今はよくわかっている。

 ツイッターでコソボの情報を発信し続けるアルベルト・ハシャニは、コソボ代表は「大人との対戦に戸惑う赤ん坊ではもうない」と語るのだった。

 彼らの活躍は、首都プリシュティナはもちろんコソボの国中を熱狂させた。

 コソボ人の日常生活は、さまざまな問題――EU諸国への渡航ビザ獲得の難しさや高い数字を保ったままの失業率、社会全体にはびこる不正など、ネガティブな要因に溢れている。ダルダネットは、そんな生活に苦しむ人々に希望を与えたのだった。

「彼らを国の象徴と見なすのはとても大事なこと」

「たとえ1週間しか続かないにせよ、代表の試合が日常生活の厳しさを忘れさせてくれる。代表選手たちはピッチ上でもピッチを離れても素晴らしい。彼らは僕らの心の中に誇りを植えつけてくれた」と、ジャーナリストのグゼマジル・レクシャは語っている。

 ベルナール・シャランドも、代表選手が果たしている象徴的な役割をよく理解している。

「人々が彼らを国の象徴と見なすのはとても大事なことだ。コソボの状況はとても複雑だ。サッカーが国民を幸福にするのであれば、これほど喜ばしいことはない」

 スペインやギリシャ、ルーマニアといった国々から、コソボはいまだに国家として承認されていない。

 勝利が国民にどんな夢を見させているかをグゼマジル・レクシャが解説する。

「凡庸なチームに過ぎないコソボが名のある国々を破った瞬間に、国民がどんな気持ちになるか想像できるかい? 国家としては否定されているコソボがそれを実現したのだから、こんな痛快なことはないだろう」

 その様子は、プリシュティナの街中でも良く見てとれる。

欧州で活躍するコソボ人サッカー選手たち。

 試合の日には、代表選手たちのレプリカを身にまとった子供たちや大人の男女が通りに溢れている。

 その情熱の伝播を、アルベルト・ハシャニは次のように解説する。

「僕が子供のころは、メッシやロナウド、ルーニーの名前が背中に入ったシャツを着ていた。今は違う。子供たちが着ているのは、ミロト・ラシカやアルベル・ゼネリ、へクラン・クリエジウ(ともにコソボ代表)のシャツだからね」

 そうした選手たちの中には、すでに他国のリーグでプレーしている選手――ミロト・ラシカ(ブレーメン)やストライカーのベダト・ムリキ(フェネルバフチェ)、ディフェンダーのアミル・ラフマニ(ベローナ)などもいる。

 彼らの活躍が、コソボで育っても将来はヨーロッパのトップチームでもプレーができる可能性を子供たちに与えている。

訪れたイングランド人の多くがコソボに感謝を。

 同様にコソボにとってサッカーは、費用のかからない最高の国外向けプロパガンダでもある。

 試合結果がその役割を果たしているのはもちろんだが、EURO予選最終戦となったホームのイングランド戦(2019年11月17日)では様々なイベントやフェスタが開催された。

 訪れた数千人のイングランドサポーターは、90年代末のセルビアとの紛争の際にイングランドが果たした役割を忘れていないコソボの人々に快く迎えられた。

 このときのスローガンが《ウェルカム・アンド・レスペクト》。この言葉は、コソボとイングランド両国旗のイラストとともに、通りやファサード、バー、レストラン、商店など街のいたるところに飾られた。両国のサポーターは至福のときを分かち合い、最後は一緒に歌を歌って心を通い合わせたのだった。

 街角では、コソボの人々が、遠路はるばる出向いてきたイングランド人に感謝する姿がそこここで見かけられた。

 遠征先で嫌われることの方が多いイングランド人も、コソボ人のもてなしに心から感銘を受けていた。それはイングランドのプレスも同様で、コソボが示したホスピタリティとフラタニティ(友愛の精神)に紙面を大きく割いたのだった。

サッカーの力で国の存在を認めさせる!

 EURO予選の抽選以降、ソーシャルネットワークを通じてイングランドと常にコンタクトを取り続けているアルベルト・ハシャニは、その週末のことをよく覚えている。

「抽選で同じ組に入ったとき、イングランド人は『コソボって何だ。いったいどこにあるんだ?』とからかっていた。ところが今日では、イングランドの誰もがコソボの位置を知り、どんな国であるかを理解している」

 たしかにファディル・ボクリスタジアム('18年に悲劇的な死を遂げた、コソボのFIFAとUEFA加盟に尽力した伝説的な同国サッカー協会会長の名を冠したスタジアム)で勝利を収めたのはイングランド(0対4)であったが、真の勝者はコソボというバルカンの小国そのものだった。大きな国際試合を開催できることを証明し、ポジティブな歴史の主役となったのだったのだから。

 3月26日にコソボは、EURO2020プレーオフ第1戦を北マケドニアと戦う。勝てば5日後には、EURO本大会出場を賭けたジョージア対ベラルーシの勝者との戦いが待っている。

 コソボにとっての幸福な結末は、シャランドに率いられた若い世代が中心のダルダネットが、信じられないほどのパフォーマンスを発揮して再び爆発することである。

 コソボの人々は――国に残る人々も国外に出て行った人たちも――辛抱強くその実現を待っている。

 本大会に出場すれば、国民はこれからも夢を見続けることができる。世界中のテレビ画面に映し出されたダルダネットの雄姿を、心の底から称えながら。

文=ロマン・ウェルテル

photograph by Romain Welter/L'Equipe