家族には猛反対された。ある友人は「火中の栗を拾うようなもの」と引き止めた。それでも、木村興治は、昨年12月26日に全日本テコンドー協会の会長職を正式に引き受けた。

「もちろん熟慮したけど、何日も思い悩むことはなかったですね。卓球は来たボールをすぐ打ち返さないといけないので(微笑)」

 現役時代の木村は卓球の世界チャンピオンになり、その後、国際卓球連盟の副会長を務めた、卓球界の重鎮。現在も日本卓球協会の名誉副会長を務めるなど、卓球の発展に寄与してきた。そのキャリアを見込まれたうえで、今回白羽の矢が立った格好だ。

「卓球を通して、僕は日本のスポーツの関係者とつながってきました。だからこそスポーツの心というものをつねに大事にしてきたという思いはあります」

 スポーツの心?

「ハイ。フェアなスポーツマンシップの姿勢を維持し、一緒にプレイした仲間を大切にしてきました」

「スポーツの心」を共有していなかった。

 今回のテコンドー協会の一連の騒動が起きた原因を木村は「スポーツの心を共有していなかったから」と分析した。

「思うに、テコンドー協会が若かったことも原因だと思う。日本卓球協会は昭和の初めにできたけど、当初は団体が大日本卓球連盟とか3つもあった。テコンドーは組織が分裂したりしているけど、そういうことは他のスポーツでもあるんです」

 テコンドーが起こした騒動は今回が初めてではない。組織は分裂と統合を繰り返した歴史がある。

 2004年にアテネ・オリンピックが開催される前、国内の組織は全日本テコンドー協会と日本テコンドー連合に分裂していたため、日本オリンピック委員会(JOC)は「国内競技連盟が統一されない限り、出場を認めない」という方針を示した。

 2000年のシドニー・オリンピックで日本のテコンドー選手として初めてメダルを獲得した岡本依子は、世論の後押しとJOCの救済措置で個人資格を適用してアテネ五輪に出場していたくらいだ。

テコンドーの世界は大きく進化していた。

 そのアテネでの岡本の試合を、木村は偶然にも現地で観戦している。

「率直に言ってわかりづらいスポーツだと思いました。あの頃はまだテコンドーの防具にセンサーがない時代だったので、『あれ、いまの攻撃で得点になるの?』と首を傾げた場面もありましたね」

 それから16年、テコンドーは大きく進化した。

 中でも2012年のロンドン・オリンピックから導入されたセンサー内蔵の電子防具であるへッドギアと胴プロテクターは、テコンドーの闘い方そのものを変えたといわれている。

 目にも止まらぬほどスピーディーな蹴りを、センサーの力によって的確に判定できるようになったからだ。

「テコンドーの俊敏な動きは卓球のそれと同じ」

 会長就任後、初めて観戦した今年1月の全日本社会人選手権で木村は「テコンドーの俊敏な動きは卓球のそれと同じ」と感じた。

「一言でいうと、パッと手や足を出す瞬間力。普通プロフェッショナルになると、頭から指令が手足に行くのではない。目から入った刺激がそのまま手足に伝わる。そうしないと間に合わない。卓球同様、テコンドーも零点何秒の世界だと思いました」

 やらなければならないことは山積み。

 まずは現在空席の強化スタッフを決めなければならない。東京オリンピックを目前に控え、ナショナルコーチのポストは空席のままなのだ。

「ナショナルコーチの勤務はフルタイムで長期間に及ぶ。母体(協会)との調整は極めて重要になってくる。今までは選手の大半が強化合宿に不参加というような時もあったと聞いています。コーチに不信感があったら、大切な選手を送り出す側も、かなりの勇気が必要だったと思います。なのでナショナルコーチの選出には、腰を据えた活動をしてくれるかどうかなどの確認が必要になってくる」

 旧体制では、代表が国際大会や強化合宿に参加する際、多額の自己負担金を用意しなければならないという財政面の問題もあった。その建て直しも大きな課題のひとつだ。

日本卓球協会の借金返済で辣腕振るう。

 木村には、90年代に1億円弱の赤字があった日本卓球協会の借金を清算したという見事な実績がある。

「資金がなければ、選手強化はできない。資金はなんとか増やしていきます。スポンサー獲得の方法はいろいろあるけど、僕は『スポーツの心』で接触させていただきます。

 卓球協会で働いていた時代には、どこかの企業に昔卓球少年だった人がいるという噂を聞きつけ、『一度卓球の話を聞いていただけませんか?』という資金繰りのための営業をやっていました。いまテコンドー協会の財政事情は苦しいけど、これからスポンサー企業にも理解していただきご支援願いたい。

 まずはテコンドー協会が社会に受け入れられるようなチームワークの下に進んでいると思われるような状況を作ることが第一だと思っています」

「小学生のナショナルチームを作るのは初めて」

 その一方で卓球の時と同様、若手の育成にも力を注ぎたいと考えている。

「2001年に大阪で卓球の世界選手権をやった時に厳しい現実に直面しました。当時は中国が圧倒的に強く、ヨーロッパもまだ強かった。なんとか日本のレベルを世界に近づけていくためには最低でも10年はかかる。そう思った時に小学生のナショナルチームを作ったわけです。

 ありとあらゆる日本のスポーツで、小学生のナショナルチームを作るのは初めてだった。もちろん(世間からは)厳しく評価されるわけですから公平平等性を徹底的に高め、成績上位の人たちを集めて合宿を行なう。そういう大きな流れの中で福原愛が出てきた。彼女が出てきてから日本の卓球界の流れが決まりました。いまの選手たちは愛ちゃんの後ろ姿を見て、ごく自然に卓球をやるようになった」

「テコンドーのどこが面白いのか。そこを追求」

 テコンドーへの理解を深めてもらうために、わかりやすくルールや試合の見方を解説したパンフレットなどの制作や試合会場での実況解説の実施も思案中。いずれも他のスポーツではすでにやっていることなので、そういう面でもテコンドーは大きく立ち遅れていたことになる。

「もっと世間にテコンドーをわかりやすく解説できるような状況を作らないといけない。卓球でもテレビ中継とは別に会場で解説を聞ける小型の機械を貸し出して、専門家に解説してもらっています。そうすることで、テコンドーの面白さが少しずつ広がっていくのではないかと期待しています」

 2月9日には、岐阜県羽島市で「2020東京オリンピック日本代表選手 最終選考会」が開かれる。「卓球と比べ、テコンドーのどこが面白いのか。そこを追求していきたい。まだそこまでの答えを僕は持っていないので、自分の中で温め発酵させて自分なりの感想を出したい」

 79歳とは思えぬ活力を感じさせる名伯楽のスポーツの心によって、“アスリートファースト”とはかけ離れた世界を構築していた日本のテコンドーは大きく変わるのか。

文=布施鋼治

photograph by Koji Fuse