ゴム長靴が、似合っていた。

沖縄県名護市許田。沖縄自動車道の北端である許田ICを降りてすぐ、小高い丘を登った場所にその畑はあった。

「沖縄SVコーヒーファーム」

 高原直泰が代表取締役を務めるサッカークラブ・沖縄SV(エスファウ)が所有するコーヒー豆の畑だ。高原はクラブの代表であり、現役のプレーヤーでもあるため多忙な日々を送っているが、コーヒーの成長を見守るためにこの畑に頻繁に足を運んでいるという。

「長靴もいいやつ買っちゃいましたからね」

 なぜ高原が沖縄でコーヒー豆をつくっているのか――。日に焼けた精悍な顔だけみていると多くの人を魅了してきたストライカーなのだが、クラブの経営やコーヒー栽培について、熱く、それでいて冷静に語る口調を聞いていると、そこにはサッカーファンの知らない、新しい高原直泰がいた。

 静岡県出身の高原は沖縄に縁があったわけではない。2015年までJ3のSC相模原に所属。レンタルを含めて2シーズンプレーをした後、「声をかけられて」沖縄に移った。住民票も移して東京の家や車も処分し、沖縄でクラブを設立。南国で新たなサッカー人生を送っている。

勝って昇格するだけではちょっと違う。

「このクラブを立ち上げたときに、ただ自分がチームを作って、『Jリーグ入りを目指して頑張ります』だけでは、自分自身がやる意味がないなって思ったんですよ。もちろんJを目指してゼロから昇格していくことは大事なんですけど、それだけがメインの目標みたいになると、自分が思っていることとはちょっと違うかなって」

 沖縄に移ることを決断した高原の胸中にあったのは、「恩返し」の思いだ。

「自分も年を重ねていて、いつかはサッカーを辞めなきゃいけない。でも、引退してから新しいことを始めるんじゃなくて、プレーしながら自分がサッカーで得たものをまわりに返していきたいと思ったんです。

 だから、単に昇格を目指すのではなく、スポーツクラブとして地域に貢献していくものを生み出し、生み出す過程で参加する人が楽しんでくれたり、喜んでくれたりすればいいなと思ったんです」

 そしてもうひとつのキーワードが「責任」だ。

「沖縄に来て、本当にゼロからのスタートになることはわかっていました。でも、だからこそ面白いなと思えた。自分自身の責任で、選手、監督、経営、やりたいことが全部できる。やっぱり他人が作った土台に自分の思いを乗っけるだけだと、ギャップが生まれてしまって自分が本当にやりたいことができないですから。いまは試合の成績にも、メンバーの行動にも、経営にも全部責任があるんです」

カテゴリーが下がると、地域が見えた。

 高原がこうしたサッカーにおけるプレー以外の面について考えをめぐらせ始めたのは、30歳を過ぎたころだった。それまではストライカーとしてどう成長できるか、どうゴールという結果を残すのか――自分自身のことばかりを考えていたという。

「もちろんいいプレーをして、ゴールを決めて、チームを勝たせる。それでサポーターの人が喜んでくれるというのは選手としてシンプルにうれしいですし、J1の強豪クラブなんかはそれでいいのかもしれません。

 僕の場合、ドイツから日本に戻ってきて、その後は韓国のクラブにいったり、J2やJ3のクラブでもプレーしました。そうやってカテゴリーが下がってくると、より周りの応援とか支え、それに地域やスタッフとの結びつきが見えるようになってきたんですよ」

 ピッチの「周辺」に目が向き始めたとき、高原が思い出したのはドイツのハンブルガーSVでの経験だ。

「ハンブルクにいたときは、シーズンオフやシーズン中にもチームの選手数名で近郊の小さい町まで出かけていくことがあったんです。話をしたり、イベントに顔を出したり、地元の市民クラブと練習試合をすることもあった。

 最初は俺もドイツ語がわからなかったし、『なんで行くの?』『いやだな』と気乗りしなかったんですけど、慣れてくるとそういう場に集まってくれる人こそがクラブを応援してくれているというのがすごく伝わってくるようになったんです。これはすごい大事だな、と」

400坪を切り拓いて農地に。

 そんな高原が代表を務め、地域密着を掲げる沖縄SVは様々な取り組みをしているが、その中でも設立当初から高原が目をつけてきたのが農業だ。

「ぼくの頭になんとなく農業というキーワードがあったんですが、沖縄で農業をやられている方の中に、農福連携、つまり農業と福祉を結びつけたソルファコミュニティという組織を運営していて、障がい者の方と肥料を一切使わない自然栽培に取り組んでいる人がいたんです。興味があったので自分で問い合わせをして紹介してもらい、少しずつ農業体験をさせてもらいました」

 彼らと一緒に作業をしていくなかで、沖縄における農業を含めた1次産業の問題点が見えてきたという。

「高齢化とか後継者不足もあるんですけど、目についたのが耕作放棄地なんです。沖縄には長年耕作放棄されていて、ジャングルみたいになっている土地が結構ある。それを整備して、ソルファコミュニティとうちの選手で400坪くらいの土地を切り拓いたんです。これはクラブチームがかかわっていけば、何かできるな、と」

ジュビロにいた時の伝手を頼って。

 では、なぜ農業のなかでもコーヒー栽培を選択したのか。一般に沖縄にコーヒーのイメージはあまりなく、高原も当初は「沖縄でコーヒーをつくれるのか?」と疑問が浮かぶほど、まったく知識がなかったという。

「でも、偶然栽培している農家の方がいることを知って、漠然とハワイのコナコーヒーみたいにできたら面白いなと思ったんです。耕作放棄地を使って産業化できれば、沖縄の抱える問題の解決や地域創生にもつながるし、クラブの収入にもなるから、とても面白いんじゃないかなと。

 ただ、コーヒー豆をつくろうって思っても知識もないし、何から手をつけたらいいかわからなかったんです」

 そこで高原が声をかけたのが、世界的な食品飲料会社であるネスレだった。高原とネスレ、サッカーファンの中にはその関係性に気づく人もいるだろう。

「ぼくがジュビロにいたときの胸スポンサーだったじゃないですか。だから、コーヒーっていったらネスレでしょって(笑)。とりあえず話をきいてもらおうと思って、伝手を頼ったんです。

 自分たちだけじゃ絶対にコーヒーはできないし、金銭的なサポートだけじゃなく、技術的な指導もしてもらいたかったので。そこで『沖縄でこんなことがしたい』とお話をしたら、実はすでに世界的にコーヒー栽培の支援をしていることがわかったんです」

 それがネスレが2010年から取り組んでいる「ネスカフェ プラン」だ。気候変動による病気や収穫量の減少、栽培従事者不足など、特に小規模コーヒー農家を悩ませている問題に対してアクションをおこしていこうというもの。

 具体的には、環境に配慮したコーヒー豆の生産を手助けするために、農学者を派遣することによる技術支援や、品質の良い苗木を配布したりしている。これまでに世界17カ国、3万カ所以上の農園で、10万人以上の生産者をサポートしてきた。

 ただ、「ネスカフェ プラン」のプログラムはこれまで日本では実行されていなかった。ネスレの小原邦裕さんが語る。

「ネスレとしても、日本でどういったことができるのか探っていたんです。そこに高原さんに声をかけていただいた。耕作放棄地への問題意識を含めて、こちらとしても共感する部分が多かったんです」

「地域に根ざす」の本当の意味。

 高原も「偶然の一致だったんです」と振り返る。

「Jリーグの掲げる理念にも、地域に根ざした、という言葉があるじゃないですか。その言葉を掲げるのは簡単だと思うんです。何でも地域密着と言うことはできる。でも、単に言葉だけではなくて、長く続けていく活動にしていくためにはビジネスとしても成立させなければならないし、自分たちもやりがいを感じないといけない。

 そこまで考えたときに、コーヒーには沖縄の新しい特産物になる可能性があるって思ったんです。コーヒー自体、日本人もたくさん飲んでますし、中国でも猛烈に消費されていて、世界的にみたら需要に供給が追いついていないと聞きました。だったら、メイドイン沖縄の国産プレミアムコーヒーがあったら面白いなぁとネスレさんと話が一致したんです」

「沖縄SVコーヒーファーム」は、基本的に高原を含めた沖縄SVの選手・スタッフによって運営されている。植樹などのときは選手・スタッフ総出で作業するが、普段は1部の選手が担当スタッフとなって苗木の世話をしており、彼らの給与をネスレが支援しているというスキームだ。

 また、琉球大学の支援も受けている。農学部の施設を借り、教授のアドバイスも受けながら選手総出で種をまき、それを苗木に育てているのだ。

まずは沖縄の土地で育つ品種探し。

 その苗木を海に近い許田と、谷のような地形になっている大宜味の畑に移植。2019年の4月に最初の移植が行われたが、そのときの苗木は現在大きいもので1mくらいに成長していた。これが順調に育てば2m弱まで大きくなり、最初の収穫は2022年を予定していると高原はいう。

「植えているのはアラビカ種のコーヒーです。アラビカ種でもタイプの違う3種類を植えました。でも、どれがここの気候や風土にあうかわからなくて」

 ネスレの小原さんも続ける。

「台風の直撃もありえるし、許田は海も近いので塩害にやられてしまうかもしれません。でもまずは沖縄の気候・土壌に合うであろう品種の苗木を選定・植樹するなど試行錯誤しながら、沖縄の土地で育つ品種を見つけることがとても大切だと思っています」

 一般にコーヒーの栽培は「コーヒーベルト」といわれる北緯25度から南緯25度の熱帯で行われる。北緯26度に位置する沖縄本島はその圏外にあり、農家が独自に栽培をしているだけで、コーヒー栽培のノウハウがまったく蓄積されていなかった。

 そこで中国・雲南省を始め、世界各国で技術支援を行なっているベルギーの農学者をネスレが招いた。

「雲南省は現在、大規模なコーヒー栽培が行われている土地としての北限なんです。そこでの知見を生かして、沖縄での技術指導をしてもらいました。

 そのときに沖縄で個人単位でコーヒーを栽培している農家さんにもお声がけしたのですが、みんな必死に質問をしていて、なかなか研究者の方を解放してくれない(笑)。予定の滞在時間を大幅にオーバーしました。それだけ沖縄におけるコーヒー栽培は、みなさんが手探り状態でやってきたんだと実感しましたね」(小原さん)

高原「正直、最初からすごい美味しいものにはならない」

 許田のコーヒーファームからは、名護の美しい海がみえる。まだ豆の収穫さえできていないが、この場所でコーヒーを飲んだら美味しそうですね、と声をかけると、「そうなんですよ」と声を弾ませた。

「将来的には、産業の6次化をやりたいですよね。コーヒーをつくる、育てるだけではなくて、それを加工して販売する。この場所を、カフェを併設した観光農園までもっていきたんです。おもしろそうでしょう? 将来的には、この丘の下にある道の駅からダイレクトに登ってこられるようになるので、アクセスもよくなりますから」

 果たして沖縄産のコーヒーはどんな味になるのか。高原も想像がつかないという。

「いやー、土壌次第ですからね。ワインと同じで。かっこつけちゃうと、そのテロワール(土地柄)を表現したいというか(笑)。この許田の畑と大宜味の畑では風味が違うだろうと教えてもらいましたから。

 でも正直、最初からすごい美味しいものにはならないと思います。徐々に沖縄の風土にあったものになっていくんじゃないかなって。暖かい場所でこそ美味しく感じることってあるじゃないですか? オリオンビールも東京より沖縄で飲んだ方が美味しいし、バドライトはハワイで飲むものでしょう(笑)。ドイツの濃くて苦いビールは沖縄にはあわないですから」

「恩返し」と「責任」、このふたつの言葉を胸に行動しつづける高原たちがつくるコーヒー。その風味を味わえるのはまだ先だが、その1杯からは必ず「沖縄」が香ってくるはずだ。(後編に続く)

文=涌井健策(Number編集部)

photograph by Nanae Suzuki