「待っているぞ」

 2月9日、岐阜県羽島市で行なわれたテコンドーの「東京オリンピック日本代表最終選考会」は、開催国枠として認められている男女2階級の代表をひとりずつ決定する大会だった。

 男子-58kg級決勝では鈴木セルヒオ(東京/東京書籍)が東島星夜(千葉/ヨンソンテコンドー)を僅差の判定で撃破。日本代表の座を射止めると、舞台の下で出番を待っていた男子-68kg級の決勝に臨む実弟の鈴木リカルド(東京/大東文化大)を勇気づけた。

「ほかにも何か言ったはずだけど、まだマウスピースをつけていたし、たぶん聞き取れなかったと思う。でも待っているぞと言ったことだけはハッキリと覚えています」

 兄の激励を胸にリカルドは舞台に上がった。

「僕は何も返していないけど、兄の言葉を刺激にしました」

テコンドー界初となる兄弟で五輪。

 リカルドと決勝を争ったのは濱田康弘(佐賀/ベンチャーバンクホールディングス)。この日最終試合で女子-57kg級の代表の座を勝ち取った濱田真由(ミキハウス)の実兄だ。鈴木兄弟や濱田兄弟を例に出すまでもなく、テコンドーでは第一線で活躍する兄弟が多い。

 結局、リカルドは第2ラウンドまでの6ポイントを死守する形で、追い上げる康弘を1点差で振り切った。過去オリンピックの格闘競技における兄弟同時出場はアトランタ大会での中村3兄弟(柔道)、アテネ&北京大会での伊調姉妹(レスリング)など数例あるが、テコンドーでは史上初の快挙だった。

 リカルドは興奮気味に激闘を振り返る。

「兄弟でこれ(東京オリンピック出場枠)を獲れたことはうれしい」

 会場で妻ノルマさんとともにセルヒオとリカルドを応援していた父・鈴木健二さんは興奮気味に息子たちとの約束を打ち明けた。

「昨晩、ふたりとも優勝して兄弟でオリンピックに行こうと話し合っていたんですよ。夢みたいな話ですけど、みんなで決めたことなので、実現して本当に良かった」

 親の複雑な気持ち。息子たちとの約束の成就を願う一方で、健二さんは妻に「たとえふたりとも出られなくても、東京オリンピックには来よう」という話もしていたという。

長男はボリビアで研修医。

 現在、健二さんとノルマさんは妻の故郷であるボリビアに住み、日本料理屋を経営している。日本で生まれたセルヒオは5歳の時にかの地に移住した。格闘技を始めたきっかけは3歳上の長男・ブルーノさんが日本滞在時から空手をやっていたことがきっかけだったという。

「ボリビア第2の都市サンタクルスに住んでいたんですけど、いろいろな格闘技をやっているジムがあったんですよ。そこに兄と一緒に連れられて行った時にテコンドーをやってみたいと思いました」

 ちなみにブルーノさんは現在ボリビアで研修医として活動中。近い将来、外科医として独立することが夢だ。一方、リカルドはボリビアで生まれ育った。現地でもセルヒオ&リカルド兄弟の活躍はニュースになっていると思い、健二さんに確認すると肩を落とした。

「いま、ボリビアは大変な状況が続いていますからね」

 南米の中でボリビアは比較的治安のいい国として有名だが、昨年10月に実施された大統領選挙でモラレス大統領の再選が発表されるや、開票手続きに不正があったとして各地で抗議活動が激化した。同年11月、モラレス大統領は辞任を表明しメキシコに亡命してしまったので、政情が安定しているとはいいがたい。

ボリビアではチャンスがない。

 ちなみにボリビアはブラジルの隣国ながら、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの時には12名しか参加していない。2012年のロンドン・オリンピックでの参加者は5名のみ。健二さんは「ボリビアではテコンドーもうまくいっていない」と言葉を続けた。

「そもそもオリンピックは記事になっていない。サッカー記事だけという感じです。でも、ボリビアでテコンドーを始めたふたりが、日本国籍ながらオリンピックに出るというニュースはかなり大きいと思いますね」

 以前、取材した際、セルヒオは故郷のテコンドーについてこんなことを言っている。

「国からの支援もほぼないので、続けることが大変。世界選手権に出ようと思ったら実費になる。なかなかチャンスがないというのが実情です」

 10歳からボリビアでテコンドーを始めたリカルドがセルヒオの背中を追うように、来日したのはお国の事情があったからだろう。

「2年前、ボリビアからやってきたばかりの頃から毎日一緒に練習してくれた。兄のおかげで強くなったといっても過言ではない」

兄も認めるリカルドのポテンシャル。

 兄弟でもファイトスタイルは水と油。セルヒオがテクニシャンタイプなら、リカルドはパワータイプだ。リカルドはセルヒオの闘いぶりを次のように分析している。

「兄は間合いやタイミングのとり方がすごくうまい。それだけで勝っているところもすごい」

 一方、リカルドはポテンシャルの塊。セルヒオは「技術的な部分は自分の方がまだまだ上」と前置きしながら、「体の強さやバネは敵わない」と評した。父である健二さんも「リカルドはモンスター」と驚く。

「今大会もあとは心の問題だけで、それさえクリアーしてくれたら、代表枠をとってくれるだろうと期待していました。いまはまだガラスだけど、もうすぐダイヤモンドになる」
 兄弟であるがゆえに、お互いのウィークポイントは熟知している。セルヒオはこれからリカルドとより一層強いスクラムを組むことを示唆した。

「弟は誰かがケツを叩かないとやらない子。東京オリンピックまでは俺についてこい、という感じですね」

 ボリビアからやってきた異色の兄弟は新体制になったばかりの日本テコンドー界に二人三脚で新風を吹かすことができるか。

文=布施鋼治

photograph by Yohei Osada/AFLO SPORT