“世界の獣神”に、またひとつ大きな勲章が加わった。

 今年1月4日、5日の新日本プロレス・東京ドーム大会で現役を引退した獣神サンダー・ライガーが、世界最大のプロレス団体WWEの殿堂入りすることが発表されたのだ。

 日本人レスラーとしては、アントニオ猪木、藤波辰爾に次ぐ、史上3人目の快挙となる(この他、レガシー部門では力道山、ヒロ・マツダ、新間寿がいる)。

 アントニオ猪木は1970年代から'80年代半ばにかけてWWE(当時WWF、WWWF)と提携していた新日本プロレスの総帥であり、WWEの総本山であったマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)を含めた日米のリングを股にかけて活躍。
 
 '78年には一連の異種格闘技戦での功績からWWF世界格闘技ヘビー級王者に認定されている。さらに'79年11月30日には、徳島でボブ・バックランドを破り、日本人初のWWFヘビー級王者にも輝いた(ただし、現在WWEの公式記録からは何らかの理由で消されている)。

世界中に影響を与えたライガー。

 藤波辰爾は、'78年1月23日にニューヨークのMSGで、カルロス・ホセ・エストラーダを初公開のドラゴンスープレックスホールドで破り、WWWFジュニアヘビー級王座を奪取。新日本とWWEの蜜月時代には、WWFインターナショナルヘビー級王者にも君臨し、このベルトを巡って、長州力と“名勝負数え唄”と呼ばれる抗争を展開した。

 さらに'91年3月21日の新日本プロレス・東京ドーム大会では、レジェンド中のレジェンドであるリック・フレアーを破り、NWA世界ヘビー級王座を奪取。これらの活躍が認められ、殿堂入りをはたしている。

 こうして見ると、猪木や藤波と比べて、ライガーはWWEやアメリカでの活躍、及び実績は乏しいように思える。しかし、ライガーは日本を主戦場にしながらも、世界中のプロレス界に多大な影響を与えたことが評価されているのだ。

ジュニアヘビー級の定着。

 日本でこそジュニアヘビー級は、藤波辰巳(辰爾)や初代タイガーマスクの活躍もあり、'70年代末から1つの人気カテゴリーとしてしっかりと確立されていたが、アメリカでは“ライガー世代”の選手が出てくるまで、ジュニアヘビー級(クルーザー級)はそこまで重要視されておらず、ジャンルとは呼べない状態だった。

 それが'90年代前半、新日本プロレスでライガーを中心として、ワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)、2代目ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)、デイブ・フィンレーなど、外国人レスラーたちを巻き込んでジュニアヘビー級が再ブレイク。

 '90年代半ば、そのムーブメントは海を渡り、当時のアメリカのメジャー団体WCWにも飛び火する。そして'96年にWCWはクルーザー級王座を制定し、そこではエディ・ゲレロ、ウルティモ・ドラゴン、クリス・ジェリコ、レイ・ミステリオ・ジュニア、ディーン・マレンコら、日本のジュニアヘビー級シーンを彩った選手たちが大活躍。

 ライガー自身も新日本のシリーズの合間を縫ってたびたび参戦した。この“ライガー世代”の活躍によって、アメリカでもクルーザー級がジャンルとして定着するようになったのだ。

「僕個人の勲章じゃない」

 その後、2000年代に入ると、クリス・ベノワ、エディ・ゲレロ、クリス・ジェリコらがWWEのヘビー級部門でも大活躍。ライガーの“同志”たちは、身体が小さくてもその闘いぶりによってトップに立てることを証明し、その活躍の土壌を作った。そしてそれは、現在のAJスタイルズやフィン・ベイラーたちに受け継がれている。

 ライガー自身、今回のWWE殿堂入りについて「僕個人の勲章じゃない」とコメントを残しているが、多くのライバルたちとともにジュニアヘビー級を世界に定着させ、またその功績が今回の殿堂入りにつながったのだ。

“幻のWWE殿堂者”とは?

 さて、2010年の猪木、2015年の藤波、そして今回、2020年のライガーと、これまで5年おきに日本人レスラーがWWE殿堂入りをはたしているが、これに続く選手は今後出てくるだろうか。

 アメリカでも活躍した存命のレスラーということで考えれば、'80年代後半から'90年代にかけてNWA、WCWで活躍したグレート・ムタこと武藤敬司。'80年代にヒールとしてWWEのトップで活躍、MSGで何度もメインイベントを務めたキラー・カーン。'80年代前半にダラス地区でブレイクし、日本人怪奇派レスラーの先がけとなったザ・グレート・カブキ、さらに'80年代後半にWWF女子タッグ王者となり、女子選手として初めてWWEのメインを務めたJBエンジェルス(山崎五紀&立野記代)などが候補として考えられる。

 その中でザ・グレート・カブキは、“幻のWWE殿堂者”だったことを以前、本人から聞いている。

「店が忙しいからダメだ」と断った。

 2016年に「レッスルマニア32」がテキサス州ダラスのAT&Tスタジアムで開催された際、かつてダラス地区で活躍したファビラス・フリーバーズ(テリー・ゴディ、マイケル・ヘイズ、バディ・ロバーツ、ジム・ガービン)が殿堂入り。その時、同時期にダラスで大ブレイクしたカブキにも、WWEから殿堂入りの打診が来たというのだ。しかし、カブキはそれを辞退。その理由を次のように語っている。

「あの時、以前WWEにいたTAJIRIを経由して、自分にもWWEから殿堂入りの話があったんですよ。『ダラスまで来てくれ』って。でも俺は『店(経営する居酒屋<かぶき うぃず ふぁみりぃ>)が忙しいからダメだ』って言って断ったんだよね(笑)。

 昔からWWEはどうも好きじゃないんだよ。俺がアメリカで活躍していた頃、あそこはレスラーの力量より政治力がものを言う世界でね。選手がもう足の引っ張り合いで、ゴマスリ、ストゥージ(太鼓持ち)ばっかり。あそこに行くと、稼げるんだけど精神的にやられちゃうんだよ。だからマサやん(マサ斎藤)やテリー・ゴディたちも、ちょっとだけWWFに行ってきたけど、すぐに戻ってきたからね。それ以来、俺もニューヨークは避けるようになったから」

 また'90年代前半、WWEが日本のSWSと業務提携を結んでいた際、カブキはSWS側の代表として交渉にあたっており、その時の苦い経験も辞退した理由のひとつだという。

「WWFはSWSと提携していた時も、いろいろ面倒くさいことがあったからさ。当時、自分はマッチメーカーだったから、東京ドームで合同興行をやるときも、頭が痛かったもん。ストレスで頭の中ができものだらけになっちゃってね。

 それに殿堂入りすると、その後1年間はプロレスの活動をいちいちWWEに許可を得なきゃいけないらしいから、面倒くさい。それだったら殿堂入りなんかするより、たまに『出てくれ』って言われる団体に協力してさ、あとはのんびり居酒屋をやっていたほうがいいよ(笑)」

 殿堂入りを受け入れるかどうかは本人次第であり、こうしたカブキのようなケースもまたあるのだ。

ジャイアント馬場も辞退したひとり。

 そしてアントニオ猪木と並ぶ、日本プロレス界の象徴であるジャイアント馬場もまた、WWE殿堂入りを辞退したひとりだと言われている。

 馬場は、'60年代前半にWWEの前身WWWFで大型トップヒールとして活躍。MSGでメインイベントを何度も務めた。さらに時のNWA世界ヘビー級王者バディ・ロジャースとも幾度となくタイトルマッチを行なっている。アメリカでの活躍は、猪木を大きく上回っているのだ。

 しかし、なぜ馬場はWWE殿堂入りをはたしていないのか。以前、高山善廣にインタビューした際、興味深い話を聞かせてくれた。

「これは“噂”で聞いた話ですけど、猪木さんがWWEの殿堂入りしたとき、じつは馬場さんも同時に殿堂入りするはずだったらしいんですよ。でも、“どなたか”が『なぜ猪木と一緒なの?』って、なったらしいんです。猪木さんよりずっと前に、MSGのメインイベンターだった馬場さんが、猪木さんと同時とか、猪木さんより後に表彰というのは受け入れられない。だから、だから、お断りした……という噂です(笑)」

 高山は全日本プロレス所属時代、ジャイアント馬場にかわいがられたことで知られ、また'04年にはWWEからオファーがあり入団が内定。その時は、脳梗塞を発症したため実現しなかったものの、以降、WWEが日本公演を行うたびにリングサイドに招待されるなど友好関係を続けている。その高山の発言だけに、信ぴょう性は高いと言える。

かつて“ON”がそうであったように……。

 つまり、大物であればあるほど、こういった名誉の表彰における順番が重要ということだろう。

 プロ野球の長嶋茂雄がなかなか国民栄誉賞を受賞しなかったのは、ライバルである王貞治が受賞者第1号だった関係もあり、よきタイミングがなかったことが理由の1つと言われている。

 プロ野球の“ON”がそうであったと同じように、プロレスの“BI”もやはり、そのライバル関係が影響したと考えるのが自然だ。

 ジャイアント馬場が亡くなって、すでに21年。馬場元子夫人も一昨年亡くなられた。そろそろ「レガシー部門」としてでも、WWE殿堂入りをはたしてほしいと思っているのは、筆者だけではないはずだ。

 そして今回のライガーも含め、日本人レスラーたちの功績が世界のプロレスファンに知られるようになってくれることを願いたい。

文=堀江ガンツ

photograph by L/Naoya Sanuki R/AFLO