昨年のプレミア12で「足のスペシャリスト」として抜擢されると大活躍を遂げた周東佑京(ソフトバンク)。3月15日のオープン戦では快速を飛ばしてランニング本塁打を放つなど、今季のさらなる飛躍に注目が集まっている。

 彼が大学4年間を過ごしたのは、北海道網走市にある東京農業大学北海道オホーツクキャンパスだ。最も近い大都市の札幌からも約330キロ。ある部員は「遊ぶところはカラオケくらい。野球をやるしかない環境ですね」と笑う。

 そして最も寒い時期で氷点下20度にもなる厳しい冬も待っている。だが、そんな北の最果ての地から、わずか30年ほどの歴史で周東をはじめ、これまで14名の選手がNPBへと羽ばたいている。

 いかにして若者たちはこの地に集うのか? そして、いかにして成長を遂げるのか? そのキーマンに成り立ちを探るとともに、現地に赴いて強さが身につく要因を探った。

「サークルのような状態から」始まった。

 近年躍進著しい地方大学野球のトップグループに位置すると言っても過言ではない大学の歴史を語るのに欠かせない男が現在は東京都世田谷区にある東京農業大学で指揮を執る樋越勉だ。今年4月で63歳となるが、言葉だけでなく体全体から若さが漲る。

「ここで野球ができるんだろうか……」

 1988年5月26日。東京から北海道・網走に向かう飛行機から見た景色を今も忘れられないと言う。都会で生まれ育った男の眼下に映る広大な大地は衝撃的だった。

 樋越は、銀座で花屋を営んだ後、母校である東京の日本学園高校と東京農業大(東京・世田谷キャンパス)で指導をし、大学の命でその翌年創部された網走の東京農業大生物産業学部(2012年から現名称)のコーチに就任した。1990年からは監督に就任し2017年まで約30年間指導にあたった。

 強化を託されて向かった樋越だったが、選手の意識もぺんぺん草などが生い茂るグラウンドも「サークルのような状態」だった。練習のボイコットもされ、退部者も多く出た。

商売人の嗅覚で名将に寄り添い。

 だが、大学から強化を託されたからには投げ出すことも許されず、選手獲得に文字通り東奔西走する。日本学園高校で監督を務めていたこともあり、人脈はあった。横浜隼人や聖望学園といった当時強くなっていく過程にあった高校に加え、名門中の名門である帝京やPL学園、沖縄水産にも足繁く通った。ただ行くだけでなく、覚えてもらうこと・面白がってもらうことも重要視した。

「あえてウチには絶対来ないような選手を“ください!”と言ったりね。しつこく通って覚えてもらうしかなかった。PLの中村順司監督にはゴルフ場の風呂場に先回りして背中を流して“何やってんだ”と驚かせたり、沖縄水産の栽弘義監督とは奥さんとも仲良くなったりね。わざと田舎者の世間知らずを装って飛び込んだね(笑)」

 花屋で培った商売人の嗅覚が大いに生きた。のちにプロ野球選手となる徳元敏(元オリックス、楽天投手/現東練馬リトルシニア監督)、稲嶺誉(元ソフトバンク内野手/現スカウト)は沖縄水産、小斉祐輔(元ソフトバンク、楽天外野手)や樋越の後を継いで監督となった三垣勝巳はPL学園からやってきた選手だ。

環境も整備、できることを突き詰めた。

 環境整備にも励み、地元行政を巻き込んだ。1997年春に全国8強入りを果たすと、現在の冬場の練習場所となる屋内施設のオホーツクドームが建設された。朝6時から全体練習を行い、授業が無い選手たちは午前中いっぱい自主練習ができるため、雪により屋外で練習できないハンデを最小限に抑えることができるようになった。

 冬場はそこでトレーニングや、バントだけでの紅白戦(バスターまではOK)でバント技術やサインプレーを叩き込んだ。できないことを嘆くのではなく、できることを突き詰めた。こうしてゼロから作り上げた土台に、樋越が「網走まで来る選手はやっぱり覚悟が違いますよね」と語る選手たちのハングリー精神も相まって、多くの選手が4年間で大きな成長を遂げていくようになった。

 そうすると当然チーム力も上がっていき、現在も社会人野球で活躍する野手たちや、風張蓮(ヤクルト)、玉井大翔、井口和朋(ともに日本ハム)を擁した投手陣で2014年秋に全国4強入りを果たした。

後を継ぐ三垣監督、昨春も4強。

 三垣監督が就任して2年目となった昨春も全国4強入りを果たした。だが、リーグ戦は開幕2連敗から始まった。しかも会場は網走から約360km離れた苫小牧。約6時間のバス移動で車内は重く暗い雰囲気が立ち込めた。それでも網走に戻ると練習をした。

「これは罰じゃない。勝つためなんだ」と、三垣監督の言葉を誰よりも本気にして取り組んだのが4年生たちだった。

 精神的支柱だった前・主将の田辺直輝は「まだ絶対できる。諦めるのは早い」とチームの先頭に立ち、前・副将の松本大吾(全足利クラブ)は次戦で決勝打を放つと、さらに8連勝後に行われた優勝決定戦でもサヨナラ打を放った。

 全国の強豪が集う全日本大学野球選手権でも冬場に取り組んできたウェイトトレーニングの成果を実感できた。田辺が「周りの大学よりも体が大きくて、これだけのことをやってきたんだと自信が持てました」と話すように、堂々とした戦いぶりを見せた。

 準決勝では優勝した明治大に1対5で敗れたが7回までは1対1と競り合った。田辺が「相手が(東京)六大学でも“同じ大学生なんだ”と後輩たちも分かってくれたと思います」と振り返るように、今や大学日本一も夢ではないところまで来ている。

「人間的にも大きく成長できた」

 そして今年も強打の三塁手・ブランドン大河(沖縄・石川高)と、最速151キロのストレートを投げ込む185cm右腕・中村亮太(千葉経済大附高)がドラフト候補としてNPB球団から注目されている。

 また、多くの部員たちが卒業し、社会へ巣立っていく。神奈川出身の田辺は現役を引退し一般就職により関東に戻る。

「高校(長野の佐久長聖)の時にこれ以上田舎に行くことは無いと思いましたが、ここはもっと田舎でした(笑)。でも野球だけでなく人間的にも大きく成長できましたし、網走の人はとても温かくて応援もたくさんしてもらいました。本当に楽しい4年間でした」

 東京では既に桜の開花発表がなされたが、網走での開花予想は5月2日。オホーツク海にはまだ流氷が残る。だがそれをも溶かすほどの思いが、30年変わらず今もなおこの地では燃え続けている。

文=高木遊

photograph by Yu Takagi